沖之島(おきのしま[1])は、沖縄本島南部の西にかつて存在した島で、1960年代に周囲が埋め立てられ消滅した。
地理
沖縄本島南部の西側に位置する、沖縄県糸満市の西部海岸に存在した[2]。報得川の河口にあり、周囲は干潟となっていた[3]。
歴史
沖之島は方言で「アナギ」と呼ばれ、陸地測量部による1921年(大正10年)発行の地図には、「沖ノ島(アナギ)」と表記され、戦後には「沖之島」へ名称が改められた[3]。もとは大字「糸満」の一部で、小字の「沖之島」が設定されていたが[4]、1992年(平成4年)に「糸満」から「西川町」へ分離された[5]。
かつての沖之島に塩田が存在し、製塩業が営まれていたという[3]。戦後は、糸満漁港の整備が開始され、1954年(昭和29年)に浚渫により完成した水路が報得川から運ばれた土砂で堆積し、1959年(昭和34年)の再浚渫の際に沖之島と沖縄本島間の海域が埋められ[1]、1966年(昭和41年)以降の公有水面埋立事業により、周囲も埋め立てられた[3]。本土復帰後の1973年(昭和48年)に、沖之島が存在していた場所に造船所が建設され、2006年(平成18年)まで同地で操業していた[3]。
島内には「アナギの竜宮神」と呼ばれる拝所があったが、2000年代に西寄りに移動された[6]。3か所に祠があり、「龍宮神社」と「七龍宮神」の石碑が建立されている[6]。
(左)対岸の沖縄本島と陸続きとなった沖之島(撮影年不明)。
(右)2010年現在の糸満市字糸満。画像中央上部が沖之島があった場所。
出典:『国土交通省「国土画像情報(カラー空中写真)」(配布元:国土地理院地図・空中写真閲覧サービス)』
出典
- ^ a b 「糸満漁港」、『日本歴史地名大系』(2002年)、p.213上段
- ^ 「糸満市」、『日本歴史地名大系』(2002年)、p.203下段
- ^ a b c d e 「第1章 現況 沖之島」、糸満市史編集委員会編(2016年)、p.17
- ^ 「第1章 現況 小字の変遷」、糸満市史編集委員会編(2016年)、p.14, 16
- ^ 「第1章 現況 沖之島」、糸満市史編集委員会編(2016年)、p.18
- ^ a b 「第8章 祭祀と信仰 アナギの竜宮神」、糸満市史編集委員会編(2016年)、p.243
参考文献
関連項目
- 伊保島 - 同市に存在した島で、1980年代に周囲が埋め立てられ消滅した。
外部リンク