橋本 博光(はしもと ひろみつ、1894年(明治27年)4月23日 - 1968年(昭和43年)12月25日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級。
経歴
1894年(明治27年)に福岡県で生まれた。陸軍士官学校第27期卒業。1939年(昭和14年)3月9日に野砲兵第26連隊長(第1軍・第20師団)に就任して日中戦争に出動し、8月1日に陸軍砲兵大佐に進級した。1940年(昭和15年)8月に第1砲兵司令部高級部員に転じ、1941年(昭和16年)4月に陸軍野戦砲兵学校教官を経て、1942年(昭和17年)5月に陸軍野戦砲兵学校研究部主事に就任した。
1943年(昭和18年)8月2日に陸軍少将進級と同時に陸軍野戦砲兵学校附となり、1944年(昭和19年)8月2日に陸軍野戦砲兵学校長に就任。終戦後の1945年(昭和20年)10月9日に予備役に編入された。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[3]。
脚注
- ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」21頁。
参考文献