林 兎喜太郎(はやし ときたろう、1850年8月10日〈嘉永3年7月3日[2]〉 - 没年不明)は、明治時代の政治家。山形県山形市長。
経歴
林勘右衛門の長男としてのちの山形県に生まれる。幼くして藩校に入り和漢学を学んだ[2]。文学訓導を経て、1873年(明治6年)宮城師範学校に入学[2]。翌年7月に卒業し、山形県巡回訓導となった[2]。その後、山形県師範学校教授を経て、山形市会議員に当選[2]。ついで山形県会議員に当選し、同県参事会員、山形市商業会議所議員を歴任した[2]。1913年(大正2年)1月、山形市長に就任した。前市長の新関善八は大火後の難問処理に2名の助役を置き切り抜け去ったが、林は1916年(大正5年)の奥羽六県共進会の山形市での開催に向け復旧を進めた。1917年(大正6年)1月、退任した。
脚注
参考文献