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この項目では、「松竹京都撮影所」を経営する映画会社について説明しています。映画・舞台興行会社「松竹」の撮影所については「松竹#撮影所」をご覧ください。 |
株式会社松竹撮影所(しょうちくきょうとさつえいじょ)は、日本の映画スタジオ「松竹京都撮影所」を経営する日本の映画会社である。
1946年(昭和21年)に設立された京都映画株式会社(きょうとえいが-)を1995年(平成7年)に改称した松竹京都映画株式会社(しょうちくきょうとえいが-)[1]を前身として、2008年(平成20年)10月15日に設立された[1]。「京都映画」当時の撮影所名は「京都映画撮影所」[1]、「松竹京都映画」当時の撮影所名は「松竹京都映画撮影所」[1]であった。 ⇒ #名称の変遷
同撮影所は松竹系の撮影所で、現在も時代劇を中心とした映画やTV、CMフィルム撮りに使われている。2009年には立命館大学映像学部の学生実習用スタジオが作られた。
2011年3月、社名が松竹撮影所に変更された際、松竹大船撮影所の閉鎖以降松竹本社に設置されたセクションである「新撮影所準備室」を統合し「東京スタジオ」を設置。東京にもプロダクション機能が置かれる。
データ
北緯35度00分47.48秒 東経135度42分1.44秒 / 北緯35.0131889度 東経135.7004000度 / 35.0131889; 135.7004000
名称の変遷
所在地を固定した名称の変遷
「太秦堀ヶ内町」の同敷地に存在した撮影所の名称の変遷である[1][3]。
年号
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名称
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経営会社
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備考
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1935年(昭和10年)
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マキノトーキー製作所
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マキノ・トーキー株式会社
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開所
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1937年(昭和12年)
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今井映画製作所
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今井映画製作所
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1940年(昭和15年)
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松竹太秦撮影所
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松竹キネマ
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買収
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1941年(昭和16年)
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興亜映画撮影所
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興亜映画
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松竹系
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1942年(昭和17年)
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松竹太秦撮影所
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松竹
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1952年(昭和27年)
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松竹京都撮影所
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松竹
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松竹下加茂撮影所焼失による
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1965年(昭和40年)
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(閉鎖)
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松竹
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企業合理化による
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1968年(昭和43年)
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松竹京都撮影所
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松竹
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撮影再開
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1975年(昭和50年)
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京都映画撮影所
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京都映画株式会社
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下加茂閉鎖による
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1995年(平成7年)
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松竹京都映画撮影所
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松竹京都映画株式会社
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社名変更
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2008年(平成20年)
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松竹京都撮影所
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株式会社松竹京都撮影所
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新規設立
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2011年(平成23年)
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松竹京都撮影所
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株式会社松竹撮影所
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社名変更
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会社を固定した撮影所の変遷
現在の「株式会社松竹撮影所」の前身である「京都映画株式会社」および「松竹京都映画株式会社」が経営した撮影所の変遷である[1][3]。
年号
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名称
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所在地
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経営会社
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備考
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1942年(昭和17年)
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京都映画株式会社
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設立
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1952年(昭和27年)
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京都映画撮影所
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下加茂
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京都映画株式会社
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松竹下加茂撮影所譲受
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1975年(昭和50年)
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京都映画撮影所
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太秦堀ヶ内町
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京都映画株式会社
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下加茂閉鎖、太秦へ移転
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1995年(平成7年)
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松竹京都映画撮影所
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太秦堀ヶ内町
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松竹京都映画株式会社
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社名変更
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2008年(平成20年)
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松竹京都撮影所
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太秦堀ヶ内町
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株式会社松竹京都撮影所
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新規設立
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2011年(平成23年)
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松竹京都撮影所
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太秦堀ヶ内町
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株式会社松竹撮影所
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社名変更
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代表作
テレビ
映画
オリジナルビデオ
関連項目
註
外部リンク
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連結子会社 | | |
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持分法適用会社 | |
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主な映画館 | |
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演劇事業 | |
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放送事業 | |
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関連項目 | |
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