昭和39年台風第20号(しょうわ39ねんたいふうだい20ごう、国際名:ウィルダ/Wilda)は、1964年(昭和39年)9月24日に九州に上陸し、日本列島を縦断して大きな被害を出した台風である。
概要
1964年9月17日3時、北緯11度7分・東経149度3分地点で熱帯低気圧が発生し、19日15時に台風20号へと昇格した。台風は急速に勢力が強まり、20日9時から21日9時までのわずか24時間に、中心気圧が975mb(hPa)から900mbと、75mbも低下した。21日12時、飛行機による観測では中心気圧897hPaとなっていた。台風はさらに発達し、21日15時には895hPaにまで気圧が低下し、最盛期を迎えた[1]。その後も勢力はあまり衰えず、920~930mbの気圧を維持して北西に進み、23日ごろから進路を北に変え始め、24日3時~6時頃に、中心気圧930mbで鹿児島県屋久島付近を通過した。そして24日9時ごろ、遂に鹿児島県霧島市付近に上陸。上陸時の気圧は依然として930mbであった。台風はその後速度を速めて北東に進み、15時には940mbという気圧で高知県宿毛町付近に再上陸した。そしてさらに加速して瀬戸内海から若狭湾へ抜け、仙台の北方から三陸沖に達し、26日3時に北緯45度・東経155度地点で温帯低気圧へと変わった。
台風の影響で、愛媛県の宇和島では72.3m/s以上の最大瞬間風速を記録し、これは台風として観測史上第7位にあたる記録である。この台風は進行速度が速く、上陸時も950mb台の気圧を維持していたことから、台風の進路の東側に当たった兵庫県西宮市や相生市などでは、高潮によって住宅が浸水被害を受けるなど、全国で死者・行方不明者56人、浸水・損壊家屋110,000棟以上という大きな被害がもたらされた[2]。また、台風の発生位置や最盛期の位置・値などが伊勢湾台風と類似していたため、本土に接近した頃にはマスコミも大きく取り上げた。また、当時は東京オリンピックの開催を10月に控えていたため、その中でのこの台風の襲来は、オリンピック開催への影響が懸念された。
被害・記録
- 被害
- 死者47人・行方不明者9人・負傷者530人[3]
- 建物被害:131,736 戸
- 耕地被害: 16,326 ha
- 記録
- 最大瞬間風速: 72.3 m/s(宇和島)
- 最大風速:50.2 m/s(屋久島)
- 最低海面気圧:944.2hPa(屋久島)
その他
NHKが1964年に放送したドキュメンタリー「現代の映像」第27集「台風地帯」において、本台風が直撃した地域の住民や漁師、自治体などの台風との戦いや、鹿児島地方気象台に勤務する予報官たちの、観測設備が整っていない状況下での予報作成における苦悩などが取り上げられている。
外部リンク
脚注