広元市(こうげん-し)は中華人民共和国四川省に位置する地級市。
地理
四川盆地の北端にあり、嘉陵江が陝西省方面から流れてきて市域を貫き、南方にある重慶市の長江合流点へと向かう。西では四川盆地と高山地帯の境をなす龍門山脈が発し、南西へ500kmにわたり伸びる。
東は巴中市に、南は南充市に、西は綿陽市に、北は甘粛省隴南市と陝西省漢中市に接し、四川省・陝西省・甘粛省の三省が接する「川北門戸」である。北の陝西省とは、大巴山脈や米倉山脈で漢中盆地と隔てられ、古くから漢中から蜀への入口に当たる関門として重要であった。
歴史
広元市は1985年に設立された。市内からは多くの遺跡、遺物、墳墓が発掘されている。長江文明の重要な遺跡・三星堆遺跡は、広元市から西へ離れた広漢市で発掘されている。
武則天の出身地として大々的に宣伝してきた。張霊甫によってスパイとして射殺された「妻」呉海蘭の出身地でもある。
行政区画
3市轄区・4県を管轄下に置く。
年表
この節の出典[1][2]
川北行署区剣閣専区
- 1949年10月1日 - 中華人民共和国川北行署区剣閣専区が成立。広元県・旺蒼県・蒼渓県・閬中県・剣閣県・江油県・北川県・平武県・青川県・昭化県が発足。(10県)
- 1952年1月15日(10県)
- 江油県の一部が平武県に編入。
- 蒼渓県・昭化県の各一部が広元県に編入。
- 旺蒼県・昭化県・閬中県、達県専区巴中県の各一部が蒼渓県に編入。
- 蒼渓県、達県専区南江県の各一部が旺蒼県に編入。
- 江油県・広元県・蒼渓県・青川県・剣閣県の各一部が昭化県に編入。
- 昭化県の一部が青川県に編入。
- 江油県・昭化県の各一部が剣閣県に編入。
- 閬中県の一部(万年埡場)が南充専区南部県に編入。
- 南充専区南部県の一部(双柏郷の一部)が閬中県に編入。
- 蒼渓県の一部が達県専区南江県に編入。
- 1952年2月2日 - 閬中県の一部が達県専区巴中県に編入。(10県)
- 1952年6月24日 - 昭化県の一部が蒼渓県に編入。(10県)
- 1952年7月14日 - 川西行署区綿陽専区彰明県の一部が北川県に編入。(10県)
- 1952年8月7日 - 四川省の成立により、四川省剣閣専区となる。
四川省剣閣専区
- 1952年9月1日(10県)
- 茂県専区茂県、綿陽専区安県の各一部が北川県に編入。
- 達県専区南江県の一部が蒼渓県・旺蒼県に分割編入。
- 1952年12月20日 - 剣閣専区が広元専区に改称。
広元専区
- 1952年12月(10県)
- 江油県の一部(四合湾村・燕子山村・董家湾村)が剣閣県に編入。
- 剣閣県の一部(秀鍾郷の一部)が江油県に編入。
- 1953年3月10日
- 蒼渓県・閬中県が南充専区に編入。
- 剣閣県・江油県・広元県・旺蒼県・北川県・平武県・青川県・昭化県が綿陽専区に編入。
広元市
- 1985年2月8日 - 綿陽地区広元県が地級市の広元市に昇格。市中区を設置。(1区3県)
- 1985年9月9日 - 南充地区蒼渓県を編入。(1区4県)
- 1989年8月15日 - 市中区の一部が分立し、元垻区・朝天区が発足。(3区4県)
- 1991年7月1日(3区4県)
- 元垻区の一部が青川県に編入。
- 市中区・元垻区の各一部が剣閣県に編入。
- 1993年4月12日 - 蒼渓県の一部が元垻区に編入。(3区4県)
- 2005年11月30日 - 青川県の一部が市中区に編入。(3区4県)
- 2007年1月11日 - 市中区が利州区に改称。(3区4県)
- 2009年1月7日 - 利州区の一部が元垻区に編入。(3区4県)
- 2013年3月12日 - 元垻区が昭化区に改称。(3区4県)
経済
広元市の経済はさまざまな重工業のほか、鉱業、農業に依存する。西隣の綿陽市から広元市にかけては核兵器研究・生産施設が集中し、プルトニウムを生産する大型の反応炉・821工場は広元市付近にある。
教育
大学
交通
空港
鉄道
道路
国道
健康・医療・衛生
- 利州区第一人民医院、広元市昭化区人民医院、朝天区人民医院、旺蒼県人民医院、蒼渓県人民医院、剣閣県人民医院
- 青川県人民医院、青川県中医医院
名所・旧跡・観光スポット
- 剣門関国家森林公園
- 昭化古城
- 皇沢寺
- 白竜湖
- 青川地震博物館
- 千仏崖景区
脚注
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、
広元市に関連するカテゴリがあります。