岡儀平

岡 儀平(おか ぎへい、1883年1月30日 - 1991年9月28日)は、かつて男性長寿日本一だった栃木県小山市の人物。

人物

小山市生まれ。20代で小山駅前に下駄屋を開店。その後靴店に衣替えし、70代まで現役として働いた。子供4人、孫13人、ひ孫17人に恵まれた[1][2]。108歳になっても「高下駄づくりは難しい」と当時の思い出を話すこともあった[2]

108歳の誕生日時点では、朝食を介助を受けながらもしっかり食べ、新聞を30分ほどかけて読む生活であった[2]。「お茶か水がほしい。年寄りの冷や水というからな」と冗談を飛ばす程であった。

誕生日には孫・ひ孫のうち15人が参加し、ロウソクをしっかり吹き消した。そして孫たちの励ましにもと笑顔でこたえた[2]

1991年6月18日に福岡県原志免太郎が死去し、男性長寿日本一になった[3]。同年9月28日に老衰により自宅で108歳で死去[1]。岡の死去により、渡名喜元完が男性長寿日本一となった。[注釈 1]

脚注

注釈

  1. ^ ただし、海外に移住した日本人も含めれば、衛藤衛が岡の次代の最高齢者となる。

出典

  1. ^ a b 朝日新聞、1991年9月29日東京朝刊31面「岡儀平さん死去 男性長寿日本一」
  2. ^ a b c d 朝日新聞、1991年1月31日東京地方版栃木「小山の岡儀平さん、108歳の誕生日 栃木県最高齢者」
  3. ^ Japanese Centenarian Record Holders [1978 - 2001]