山田 慶児(山田 慶兒、やまだ けいじ、1932年3月7日 - )は、日本の科学史家。専門は東アジア科学史。京都大学名誉教授、国際日本文化研究センター名誉教授。
経歴
1932年、福岡県で生まれた[1]。京都大学理学部宇宙物理学科で学び、1955年に卒業。京都大学大学院文学研究科に進学し、西洋史学を専攻。1959年に修士課程を修了した。
同1959年10月、京都大学人文科学研究所助手に採用された。1966年4月、同志社大学工学部助教授に就いた。1970年5月、京都大学人文科学研究所助教授に就任。1978年4月に同研究所教授昇格。1989年3月に京都大学を退官し、4月より国際日本文化研究センター教授となった。1995年2月、京都大学名誉教授となった。1997年3月、国際日本文化研究センターを退任して名誉教授。龍谷大学客員教授も務め、古典籍デジタルアーカイブにも参加していた[2]。
受賞・栄典
- 1988年:『黒い言葉の空間』で大佛次郎賞を受賞。
研究内容・業績
専門は科学史。科学技術の発展と自然哲学に関する著作が多く、その著作は『山田慶兒著作集』(全8巻)にまとめられている。学問と思索については『わたしはどんな学問をしてきたか』がある。
著書
単著
- 『未来への問い 中国の試み』筑摩書房 1968
- 『混沌の海へ 中国的思考の構造』筑摩書房 1975
- 『朱子の自然学』岩波書店、1978
- 『授時暦の道 中国中世の科学と国家』みすず書房 1980
- 『科学と技術の近代』朝日選書 1982
- 『黒い言葉の空間 三浦梅園の自然哲学』[3]中央公論社 1988
- 『夜鳴く鳥 医学・呪術・伝説』岩波書店 1990
- 『制作する行為としての技術』朝日新聞社 1991
- 『中国医学の思想的風土』潮出版社 1995
- 『本草と夢と錬金術と 物質的想像力の現象学』朝日新聞社 1997
- 『西洋近代科学と東洋の方法』作陽ブックレット・れんが書房新社 1999
- 『中国医学の起源』岩波書店 1999
- 『中国医学はいかにつくられたか』岩波新書 1999
- 『気の自然像』岩波書店 2002
- 『日本の科学 近代への道しるべ』藤原書店 2017
著作集
- 第一巻 自然哲学Ⅰ
- 第二巻 自然哲学Ⅱ
- 第三巻 天文暦学・宇宙論
- 第四巻 中国医学思想Ⅰ
- 第五巻 中国医学思想Ⅱ
- 第六巻 科学論 近世篇
- 第七巻 科学論(近代篇)/欧文 ※
- 第八巻 補遺・講演録 ※
編集グループSURE
- 『中国の医術を通して見えてきたもの:天文学から『夜鳴く鳥』へ』鶴見俊輔(編集グループSURE)
- 『ダンテは世界をどう描いたか:新訳「神曲地獄篇」と、その解説』ダンテ・アリギエリ(編集グループSURE)
- 『技術からみた人類の歴史』編集グループSURE 2010
- 『海路としての〈尖閣諸島〉:航海技術史上の洋上風景』編集グループSURE 2013
- 『ぼくの戦争』編集グループSURE 2017
- 『わたしはどんな学問をしてきたか』編集グループSURE 2018
共著
編著
- 『中国革命』(現代革命の思想 3) 筑摩書房 1970
- 『人間学への試み』(座談会)筑摩書房 1973
- 改題『学問の地図 人間学への試み』朝日選書 1979
- 『三浦梅園』(日本の名著 20) 中央公論社 1982
- 『物のイメージ・本草と博物学への招待』朝日新聞社 1994
- 『東アジアの本草と博物学の世界』思文閣出版 1995
共編著
- 『中国の科学と科学者』京都大学人文科学研究所 1978
- 『人文学のアナトミー:現代日本における学問の可能性』阪上孝共編、岩波書店 1995
- 『歴史の中の病と医学』栗山茂久共編、思文閣出版 1997
- 『中国古代科学史論』京都大学人文科学研究所 1989
訳書
脚注