小堀 政弘(こぼり まさひろ)は、江戸時代中期の旗本。禄高は3000石[3]。茶道小堀遠州流第9世で、号は「宗道」[1]。
小堀政展の長男として生まれる[1]。幼名は貞五郎、のち内記を名乗る[1]。
明和元年(1764年)8月4日に父の遺跡を継ぎ、同年閏12月9日に中奥の小姓となる。明和3年(1766年)12月19日に従五位下河内守に叙任。安永4年(1775年)閏12月4日に小姓組番頭、天明元年(1781年)閏5月26日に書院番頭となるが、天明7年(1787年)2月23日にその職にふさわしくない振る舞いがあったとして解任されて、4月29日まで出仕を止められた。天明8年(1788年)に43歳で死去[3]。
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