富山化学工業株式会社(とやまかがくこうぎょう、英語:TOYAMA CHEMICAL CO., LTD.)は、かつて東京都新宿区に本社を置いていた日本の製薬会社である。
元々富山県で化学薬品の製造・販売・研究を行う会社として1930年に富山化学研究所として創業。1936年に法人化(株式会社化)された。1961年に東京へ本社移転したが、富山県富山市にも事業所が所在する。
2002年9月に大正製薬と資本・業務提携を行い、同年10月に同社との合弁で医療用医薬品の販売を行う大正富山医薬品を設立。2008年には富士フイルムホールディングスを加えた3社で戦略的資本・業務提携を結んだうえで、株式公開買付けにより富士フイルムホールディングスの傘下に入った。その際、富士フイルムホールディングスが保有する株式の一部を大正製薬に譲渡したことにより、富士フイルムホールディングスと大正製薬が出資する企業となった。
2018年7月31日付けで富士フイルムホールディングスの完全子会社となった[1]後、同年9月30日に富士フイルムの完全子会社を経て、翌10月1日付で富士フイルムRIファーマと合併し、解散。88年の歴史に幕。存続会社の富士フイルムRIファーマは富士フイルム富山化学へ社名変更した。
他
1940年代、富山化学はネオアゴチン注射液(ヒロポンに代表されるメタンフェタミン系覚せい剤)の製造を行っていた。当時、覚せい剤は合法的な薬物であったが次第に乱用が社会的問題となったため、1950年3月、厚生省は覚せい剤を製造していた各社に生産量の割当を行い流通量の抑制を図った。この際、富山化学に割り当てられた生産数は第二四半期分として52,000本であったが、経営陣はこれを無視して大量生産を続行。8,043,564本を生産する一方で、厚生省には生産数を30,800本とする嘘の報告を行った。これに加え、発売禁止中の結核治療薬テベックス錠(ティオピン)の製造を行っていたことも発覚したため、厚生省は富山化学の姿勢を問題視。薬事法違反として1951年2月1日から2か月間の業務停止命令を発した。朝日新聞のインタビューに応じた常務は、「従業員の給料も滞りがちだったので、背に腹は替えられないと思ってやった」と戦後の混乱ぶりが窺える弁明を行っている[5]。
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