安田 菜津紀(やすだ なつき、1987年〈昭和62年〉3月30日[4] - )は、日本のフォトジャーナリスト。認定NPO法人Dialogue for People副代表。横須賀市出身、上智大学総合人間科学部教育学科卒業。夫はDialogue for People代表で、フォトジャーナリスト、ライターの佐藤慧。
人物・経歴
1987年、神奈川県横須賀市に生まれる。14歳の時、新橋で鰻屋を営んでいた在日コリアン2世の父[5]を亡くしている[6]。パスポート取得時に戸籍を取り寄せるまで自分がコリアンの系譜にあることを知らなかった。父方の祖父は関西で活躍した元プロボクシング選手の金命坤(キム・ミョンゴン、金明根とも)。16歳でNPO法人「国境なき子どもたち」友情のレポーターとしてカンボジアで子どもたちを取材[7]。2005年、上智大学総合人間科学部教育学科入学[8]。2008年に『情熱大陸』500回放送記念回に出演する[9][10]。2009年、上智大学総合人間科学部教育学科卒業[11][8]。2010年に初個展「『緑の壁』HIVと共に生きる」をコニカミノルタプラザで開催した[12]。
2011年の東日本大震災以降は、岩手県陸前高田市をはじめ東日本大震災で被害のあった各地の取材を継続している。
2014年、オリンパスと、安田が所属していたスタディオアフタモードにより「フォトジャーナリスト安田菜津紀と行く東北スタディツアー」を実施する[13]。
2018年8月、スタディオアフタモード(studioAFTERMODE)の事業部を改編して「Dialogue for People」を発足[14][15]、2019年5月17日、NPO法人としての認証を受ける[16]。10月から佐藤慧を代表、安田を副代表として、NPO法人として正式に活動を開始する[17]。
2019年、『しあわせの牛乳』で第66回産経児童出版文化賞JR賞受賞[18]。
「東北スタディツアー」は2018年以降も継続されてきたが[19][20]、2020年は新型コロナウイルス感染拡大の影響で開催を断念し、2021年はオンライン開催となった[21]。
Twitter投稿で誹謗中傷、人種差別をされたとして、師岡康子弁護士、神原元弁護士を原告代理人に立てて、書き込んだ匿名の人物を特定し、2021年12月8日、東京地裁に民事提訴した[22]。2023年6月19日、差別的表現であると事実認定され33万円の損害賠償を命じる全面勝訴判決を得た[23]。
受賞
- 2008年7月 - 青年版国民栄誉賞「人間力大賞」会頭特別賞を受賞[24]
- 2009年 - 日本ドキュメンタリー写真ユースコンテスト大賞受賞[24]
- 2012年 - 「HIVと共に生まれる-ウガンダのエイズ孤児たち-」で第8回名取洋之助写真賞を受賞[25]
著書
単著
共著
訳書
写真展
個展
- 「『緑の壁』HIVと共に生きる」(コニカミノルタプラザ、2010年2月2日 - 12日)[27]
- 「君が生きるなら−HIVと、子どもたちと−」(オリンパスギャラリー東京、2015年4月9日 - 15日 / オリンパスギャラリー大阪、2015年5月7日 - 14日)[28]
- 「The Voice of Life 死と、生と」(オリンパスギャラリー東京、2018年4月13日 - 18日 / オリンパスギャラリー大阪、2018年5月7日 - 17日)[29]
- 「世界の子どもたちと出会って」(神奈川県立地球市民かながわプラザ あーすぷらざ、2019年10月12日 - 11月24日)[30]
- 「照らす 生きた証を遺すこと」(オリンパスギャラリー東京、2021年4月15日 - 26日)[31]
企画展
- 「Sign -写真家たちの311-」(2011年8月2日 - 11日、コニカミノルタプラザ)[32]
- 安田菜津記・佐藤慧・渋谷敦志写真展「舫 ファインダー越しの3.11」(2013年4月13日 - 4月22日、コニカミノルタプラザ)[3][33]
- 渋谷敦志 + 安田菜津紀 + 佐藤慧「Ubuntu, I am because we are」(2013年5月29日 - 6月3日、ギャラリー同潤会[34]、2013年6月8日 - 17日、JICA関西1Fロビー[35])
- 国境なき子どもたち(KnK)写真展「時を重ねて― 東日本大震災から現在―」(2022年4月7日 - 13日、アイデムフォトギャラリー「シリウス」)[36]
出演
テレビ番組
ウェブ番組
ラジオ
脚注
参考文献
- 『考える人』編集部. “安田菜津紀 ”. 『考える人』. 2021年4月12日閲覧。
外部リンク