坂田 昌亮(さかた まさあき、1890年5月17日 - 1960年12月24日)は、日本の技術者、政治家。内務省技師、満州国交通部技監などを務めて土木行政に携わったのち、八代市長、荒尾市長を歴任、2つの地方工業都市の首長を務め、戦後の復興に尽力した。
経歴
熊本県八代郡八代町(現在の八代市)出身。1913年(大正2年)、東京帝国大学工科大学土木工学科を卒業。
大学卒業後、内務省土木局の技師となり、1917年(大正6年)、最上川改修、酒田築港の任に当たった[3]。
1937年(昭和12年)より、満州国へ赴任、道路司長、技監として哈大道路の建設など、道路行政に携わった[4]。1943年(昭和18年)に本土に引き上げ、神戸市技監兼港湾局長を務めた。
1947年(昭和22年)、公選初の八代市長に選出された。都市計画など市の戦後復興に努めたが、2期目続投を目指した市長選で落選した。
1952年(昭和27年)、荒尾市長に選出された。市の労働会館、運動公園、道路網の整備などを行い、戦災によって荒廃した炭鉱都市の復興に努めた。3期目の任期中に死去。
著書
中村左衛門太郎; 坂田昌亮『熊本の治水策;水害と白川改修の方策』熊本日日新聞社、1953年。 NCID BA48124196。
脚注
参考文献