伊万里市立大川小学校(いまりしりつおおかわしょうがっこう)は佐賀県伊万里市大川町大川野にある市立の小学校。
2025年(令和7年)3月末に閉校し、伊万里市立小学校2校(大川・松浦)および中学校1校(東陵)の統合により、東陵中学校校地に「義務教育学校東陵学園」が開校する予定である[1]。
概要
歴史
1872年(明治5年)に多久の儒学者 草場船山[2]が招かれ、「本立堂」を創立。数回の改組・改称を経て、現校名になったのは1954年(昭和29年)。2022年(令和4年)に創立150周年を迎える。
校章
中央に校名の「大川」の文字(縦書き)を置いている。
校歌
作詞は中原勇夫、作曲は富永定による。歌詞は3番まであり、各番に校名の「大川小学校」が登場する。
通学区域
住所表記で伊万里市の後に「大川町(宿、川西、駒鳴(こまなき)、立川(たつがわ)、片竹、戸石川、山口、井手口、東田代、長野、川原(かわばる)、相の谷)」が続く地域[3]。
沿革
- 1872年(明治5年)6月 - 多久の儒学者であった草場船山が招かれ、「本立堂」が創立。
- 1873年(明治6年)4月 - 学制に基づき、賢勝寺に「大川小学校」(「大川野小学校」とも)が開設される。
- 1883年(明治16年)11月 - 大川野字町山に移転し、「本立小学校」に改称。
- 1886年(明治19年)- 小学校令の施行により、尋常科(4年制)を設置の上、「尋常本立小学校」に改称。
- 1889年(明治22年)- 町村制の施行により、大川村立の小学校となる。高等本立小学校が併設される[4]。
- 1892年(明治25年)- 「本立尋常小学校」・「本立高等小学校」に改称。
- 1894年(明治27年)- 乾鼓尋常小学校を統合の上、高等科を併置し、「大川尋常高等小学校」となる。
- 1907年(明治40年)- 小学校令改正により、義務教育年限(尋常科の修業年限)が4年から6年に延長される。
- 1914年(大正3年)- 現在地に校舎を新築し、移転を完了。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「大川村国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める(初等科6年・高等科2年)。
- 1942年(昭和17年)4月 - 立川炭鉱の労働者増加により、立川分校を設置。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制)の実施により、国民学校初等科が「大川村立大川小学校」に改組・改称。
- 国民学校高等科は青年学校普通科と統合され、新制中学校「大川村立大川中学校」に改組された。
- 中学校校舎完成までの間、小学校校舎一部を貸与。
- 1951年(昭和26年)- 東田代分校を設置。
- 1954年(昭和29年)4月1日 - 町村合併により、「伊万里市立大川小学校」(現校名)に改称。
- 1962年(昭和37年)4月1日 - 特殊学級を設置[5]。
- 1963年(昭和38年)3月31日 - 東田代分校を廃止。
- 1974年(昭和39年)- 北部給食センターからの配送による学校給食を開始[6]。
- 1969年(昭和44年)3月31日 - 立川分校を廃止。
- 1993年(平成5年)4月1日 - 中学校の統合により、伊万里市立東陵中学校校区となる。
- 2025年(令和7年)3月31日 - 閉校(予定)[1]。
主な進学先
中学校区は伊万里市立東陵中学校。
アクセス
最寄りの鉄道駅
最寄りのバス停留所
最寄りの幹線道路
周辺
- 賢勝寺
- 伊万里市大川コミュニティセンター(大川公民館・伊万里市大川出張所)・大川運動広場・大川体育館
- 伊万里警察署 大川警察官駐在所
- 伊万里・有田消防組合 伊万里消防署 東分署
- 大川野郵便局
- JA伊万里 四季の里大川
- 松浦川
参考資料
- 「伊万里市史 教育・人物編」(2003年(平成15年)3月31日発行, 伊万里市)p.369 - p.371
脚注
関連項目
外部リンク