伊万里市立東陵中学校(いまりしりつとうりょうちゅうがっこう)は佐賀県伊万里市松浦町提川(さげのかわ)にある市立の中学校。
2025年(令和7年)に、伊万里市立大川小学校・伊万里市立松浦小学校との統合により、東陵中学校の校地に、「義務教育学校東陵学園(wikidata)」が開校する予定である[2]。
概要
歴史
1993年(平成5年)に以下の2校が統合して開校した。2023年(令和5年)には創立30周年を迎えた。
校魂と校訓
- 校魂
- 「和」
- 校訓
- 「進取、練磨、創造」
校章
中央に校名の「中」の文字を配している。
校歌
歌詞は3番まであり、各番に校名の「東陵」が登場する。
通学区域
沿革
- 旧・大川中学校
- 1947年(昭和22年)
- 4月1日 - 学制改革(六・三制)の実施により、新制中学校「大川村立大川中学校」が創立。
- 5月3日 - 大川小学校で開校式を挙行。生徒数308名、6学級、教職員14名。
- 大川村国民学校高等科、黒川農業青年学校の普通科が統合の上、改組された。
- 校舎完成までの間、小学校(旧・国民学校)に併設されていた青年学校校舎を使用。
- 1948年(昭和23年)4月 - 大川野2609番地に木造新校舎(第一期工事)が完成。
- 1949年(昭和24年)- 第二期工事が完了。週5日制実験校となる。
- 1950年(昭和25年)- 第三期工事が完了。
- 1959年(昭和34年)- 牛乳給食を開始。
- 1963年(昭和38年)- 生徒数が最大の738名を記録する。
- 1964年(昭和39年)- 完全給食を開始。特殊学級を設置。
- 1972年(昭和47年)- 1970年(昭和45年)の立川鉱山閉山により、生徒数が275名にまで激減。
- 1984年(昭和59年)10月 - 生徒会活動「きみがいて・ぼくがいる」がNHK教育テレビで放送される。
- 1993年(平成5年)3月31日 - 統合のため、閉校。
- 最終所在地 - 〒849-5251 佐賀県伊万里市大川町大川野3340番地1
- 跡地 - 校舎が解体された後に、大川コミュニティセンター(大川公民館・伊万里市大川出張所)が建設された。グラウンドと体育館は「大川運動広場、大川体育館」としてそのまま残されている。
- 旧・松浦中学校
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制)の実施により、新制中学校「松浦村立松浦中学校」が創立。
- 松浦村国民学校の高等科と青年学校の普通科が統合の上、改組された。生徒数は277名、6学級、教職員10名。
- 校舎完成までの間、松浦小学校に併設された青年学校校舎を使用。
- 1948年(昭和23年)- 生徒数の急増で、民有の鶏舎を改造し、2教室を増築。分散授業を余儀なくされる。
- 1950年(昭和25年)3月 - 木造新校舎(第一期工事)が完成し、全生徒を収容。分散授業を解消。
- 1951年(昭和26年)10月 - 第二期工事が完了。
- 1965年(昭和40年)- 完全給食を実施。
- 1969年(昭和44年)- 特殊学級を設置。
- 1993年(平成5年)3月31日 - 統合のため、閉校。
- 最終所在地 - 〒849-5263 佐賀県伊万里市松浦町山形5490番地2
- 跡地 - 校舎が解体された後に、松浦コミュニティセンター(松浦公民館・伊万里市松浦出張所)が建設された。グラウンドと体育館は「松浦運動広場、松浦体育館」としてそのまま残されている。
- 統合後・東陵中学校
- 1993年(平成5年)4月1日 - 現在地に新校舎が完成し、移転・統合を完了。「伊万里市立東陵中学校」(現校名)が開校。
- 旧・大川中学校と旧・松浦中学校のほぼ中間地点に新校地は設置された。
- 1996年(平成8年)- JR九州筑肥線の線路と松浦川をまたいで、校地と佐賀県道38号相知山内線を結ぶ大黒大橋が完成。
- 2025年(令和7年)4月1日 - 伊万里市立大川小学校、伊万里市立松浦小学校との統合により、「義務教育学校 東陵学園」が開校(予定)[2]。
交通
最寄りの鉄道駅
最寄りのバス停留所
最寄りの幹線道路
周辺
参考資料
- 「伊万里市史 教育・人物編」(2003年(平成15年)3月31日発行, 伊万里市)p.403 - p.407
脚注
注釈
出典
関連項目
外部リンク