数学において写像の不動点(ふどうてん)あるいは固定点(こていてん、英語: fixed point, fixpoint)とは、その写像によって自分自身に写される点のことである。
定義
x が写像 f の不動点であるとは、f(x) = x が成り立つときに言い、かつそのときに限る。たとえば f が実数全体で
によって定義される函数ならば、f(2) = 2 であるから、2 はこの函数 f の不動点である。
どんな写像でも不動点を持つわけではなく、たとえば f が実数全体で f(x) = x + 1 によって定義される函数ならば、どんな実数 xも x = x + 1 を満たすことはないから、これは不動点を持たない。函数のグラフを考えれば、不動点とは直線 y = x 上にある点 (x, f(x)) のことであり、同じことだが f のグラフと直線 y = x との共有点のことであると言うことができる。f(x) = x + 1 の例でいえば、この函数のグラフと直線 y = x は互いに平行であって、共有点を持たない。
自然余弦関数(「自然」というのは単位が ° ではなくラジアンであるという意味) はちょうどひとつだけの吸引的な不動点を持つ。この場合「十分近く」というのはとてもゆるい基準であって、ためしに例えば函数電卓でもって好きな実数を入力して cos ボタンを繰り返し押してみれば[1]、瞬く間に不動点である約 0.73908513 に収束してしまう。つまりそこがグラフと直線 y = x が交差する点である。
これはドッティ数と呼ばれる。
必ずしも全ての不動点が吸引的であるわけではなく、たとえば x = 0 は函数 f(x) = 2x の不動点だが、0 以外の値ではどれもこの函数の反復によって急速に発散してしまう。しかしながら、函数 f が不動点 x0 の適当な開近傍で連続的微分可能かつ |f′(x0)| < 1 であるならば、吸引性は保証される。
論理学者ソール・クリプキは自身の有力な真理の理論において不動点を活用した。彼が示したのは、「真理」を語が新たに発生しない言語の断片から再帰的に定義して、新たに矛盾のない文章が獲得される過程が停止するまで続ける(これは可算無限回の段階を踏むことになるかもしれない)ことによって、人は如何にして部分的に定められた真理を叙述するかということであった(「この文は間違っている」というような問題のある文に対しては曖昧にしたままである)。つまり、言語 L に対して L′ を、L 内の各文 S に対して「S は正しい」という文を L に付け加えることによって生成される言語とする。L′ が L と一致するときが不動点に到達したときである。この点にあっても、「この文は間違っている」といったような文の真偽は定められていないまま残っている。そしてクリプキに従えば、この理論はそれ自身の真理の叙述を含む自然言語にとって適したものであるというのである。