上田 晋也(うえだ しんや、1970年〈昭和45年〉5月7日 - )は、日本のお笑いタレント、司会者、キャスター、俳優。お笑いコンビ・くりぃむしちゅーのツッコミ担当。相方は有田哲平。熊本県熊本市南区出身。プライムを経て、ナチュラルエイト所属。身長172 cm、体重63 kg、血液型O型。既婚。
来歴
1970年5月7日、熊本県熊本市南区に生まれる。3歳上の兄と妹を持つ3人兄妹の次男として誕生。熊本市立日吉小学校、熊本市立城南中学校、熊本県立済々黌高等学校卒業、早稲田大学教育学部中退。高校の時に入部したラグビー部で有田哲平と知り合い、プロレスの話題[1]や両者が「お笑いスター誕生!!」を見ていたことで意気投合した[1]。当時の上田はいわゆる学校の番長的存在で、有田はその上田に付いていくような形だった。当時、上田は有田に「将来はプロレスの記者かお笑いをやる」と語り、驚かれている[1][注釈 1]。高校を卒業してお笑い芸人になることを決意し、事務所に履歴書を送る前日に、奇しくも友人宅で有田と再会し2人で履歴書を提出することになり、有田とコンビ海砂利水魚 (かいじゃりすいぎょ)[注釈 2]を結成し、デビューを果たす。上田本人がネタを見て1度も笑ったことがないというコント山口君と竹田君の付き人として芸能活動を開始する。数々のライブ経験をこなすが、コンビ名をくりぃむしちゅーに改名後はコント重視の作家志向な芸風から一転し、バラエティ番組を中心にタレント業で活躍するようになる。
いとうせいこうに見出され、『天才ビットくん』、『虎の門』(「いとうせいこうナイト」)などに出演、後者の番組の企画「うんちく王決定戦」でブレイクを果たした。
2004年12月14日に同郷・熊本県出身の一般人女性と結婚。2006年6月7日に第1子となる長女が誕生していたことを、11日放送の日本テレビ系列『おしゃれイズム』内で発表。2010年12月1日、第2子となる長男が誕生したことを「ナチュラルエイト」サイトにて発表した[2]。
2006年8月からCS放送のテレ朝チャンネルにて、単独の冠番組『上田ちゃんネル』が放送開始。上田と仲が良い古坂大魔王やプライムの後輩芸人浜ロンなどが出演。
2012年3月17日放送『Going!Sports&News』(日本テレビ系)で、近く声帯ポリープ手術を受けることを発表[3]、『おしゃれイズム』収録では会話なく出演したが、31日『Going!Sports&News』以降本格復帰を果たした[4]。
2016年には『天才バカボン』の実写ドラマ版においてバカボンのパパ役に抜擢され、テレビドラマで初の主演を務めた[5]。
2021年2月、初のエッセイ集『経験 この10年くらいのこと』を発売[6]。
2021年7月24日、新型コロナウイルスへの感染を公表[7][8]、同年8月9日放送日本テレビ生放送特番「くりぃむしちゅーの!THEレジェンド東京五輪総集編SP」にてVTR出演した上田による2020年東京オリンピック開催後の出来事に関するアスリートへの質問が放送された[9]。
人物
芸風
- 現在はツッコミを担当しているが、デビュー当時はボケ担当だった。現在も、稀にボケ役にまわることがある。ブッコミ芸を得意とする。
- 例えツッコミ(例:蛯原友里出演回でロケ中に子供がたくさんついてきたときに「ごめんね、これあの、映画『ロッキー』の撮影じゃないんで[注釈 3]」)を得意とする。
- 『くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン』、『くりぃむナントカ』をはじめとした「くりぃむシリーズ」、『シルシルミシル』[10]、『太田上田』などでは、いじられキャラのポジション(それに上田がツッコミを入れる)となっている。
- 話術にも優れており、バラエティ番組に慣れていない俳優やスポーツ選手などから話を引き出すのが上手い[10]。
- 持ちギャグに「ぺろ〜ん!」というのがある。これは、『銭形金太郎』出演時に使っていたギャグで、『Going!Sports&News』などで見ることができる[11]。
- 簡単な英語が話せる。
家族
- 実家はプロパンガスの業者である。
- 3人兄妹の次男。兄の上田啓介は熊本で番組プロデューサー兼ローカルタレントを務めており、全国放送の番組としてはフジテレビの『ものまね紅白歌合戦』に「上田晋也のそっくりさん」や『ペケ×ポン』[注釈 4]、『FNSの日』に出演した。それ以外にも『くりぃむナントカ』に数回出演しており、公式ホームページには上田が居るべきところに兄が写っている。ラジオ番組のピンチヒッターを務めたり、『おしゃれイズム』に出演したりなど頻繁に全国放送の番組に出演したがっている兄を上田は「日本一性質(たち)の悪い素人」と呼び、迷惑がっている上、「地元熊本では兄の方が人気があるんです。(僕としては)残念です。」と皮肉交じりでいろいろな番組で語っている。事実、プライベートに熊本で兄と共にゴルフコンペを行った際、上田の方はキャディに全く気付かれず、対照的に兄の方がキャディから写真をお願いされるなど、「兄は気づかれるが、自身は気づかれない」という現象が頻繁に起きるという。因みに兄は自身の高校時代の同級生と組んでM-1グランプリに出場したことがあるが、1回戦で敗退している。他に妹が1人いる。また、相方の有田に溺愛されている2人の姪(前述の兄・啓介の娘で1995年以降に誕生)がいる。
- 海砂利水魚時代に出演した自動車教習所のCMは兄が制作し、ギャラは焼肉一食分であった[13][出典無効]。
- 現在の妻とは熊本の予備校時代から交際していたが、上田は別に2人の女性と並行して交際していた時期があり、耐えきれなくなった彼女から「別れよう」と切り出されたため、上田が平謝りして(他の2人との関係は清算)、結婚した[14][15]。
趣味・嗜好
- 松田優作の大ファンで、無名時代に墓参りに行ったことがある。松田の声真似が非常に上手く、木村拓哉から教えを請われたこともある。
- 大の長渕剛ファンであり、18歳の時、熊本市民会館で行われた長渕剛のコンサートで、長渕の投げたハーモニカをキャッチすることに成功した。今でも大事に保管しており、後年長渕本人にその思い出話をしている。長渕本人とはライブでステージに上がって一緒に歌ってくれと頼まれたり、メールを交換しあったりなど親交が深い。コンサートへも行っている。
- 仲間由紀恵の大ファンである。仲間が出演する舞台『スター誕生!!』を最前列で鑑賞した際、「好きな人が目の前にいるのに、なぜ抱きしめられないんだ!!」と苦しんだ。
- 古舘伊知郎のファンでもある[16]。
- 好きなスポーツは野球とボクシング。ボクシングジムに通っている[17]。
- 好きな食べ物はピザ。
- 辛い食べ物やパクチーが苦手。また、コーヒーも飲めない[24]。
- 中学・高校時代はプロレスに非常に熱中しており、熱狂ぶりは相方の有田以上だった。試合開始直前にアントニオ猪木が観客席に投げたタオルを受け取ったことがあり(猪木のセコンドについていた橋本真也が、他のファンに取られないように手に巻きつけてくれた)、それを大事に自宅の壁に飾っており、「アントニオ猪木さんのタオル(本物)」と書かれた紙も張っていた。また、新日本プロレスが熊本で試合を行う際に、しゃもじやハチマキを持ち込んで応援しに行っていた(1986年熊本大会の前田日明vsディック・マードック戦のワールドプロレスリングの映像には、ハチマキをした上田が映っている。また藤波辰爾がスーパー・ストロング・マシンに対して『お前平田だろ』発言をした1985年5月17日熊本大会も会場に見に来ていた)。のちにプロレスの「暴露本」を読んで学校を数日休むほどのショックを受け(有田と同級生がお見舞いに行ったところ発覚した)、プロレスからは一旦興味が離れていった。しかし現在はプロレス熱が再燃し、2021年時点でラジオでリアルタイムのプロレスを語っており、ロス・インゴのシャツやキャップをかぶって楽屋に入っていることを、有田が動画配信で語っている。
- 海砂利水魚時代からゴルフを始め、2009年3月にレッスンを受け始めた。
- 自分が出演する番組を含め、ほとんどテレビを視聴しない。テレビ視聴時間は1週間に3時間であると発言したこともある。
- 小学校の頃から水谷豊のファンで、テレビ朝日『相棒』を観たり[25]服装を真似している。
- 競馬予想・馬券購入を爆笑問題の田中裕二としている。
- 映画鑑賞が趣味で、『ダイ・ハード』や『ターミネーター』が好きである。
- アメリカンフットボールに興味を示している。オードリーのオールナイトニッポンによると、アメフト経験者である若林正恭にルールの解説を請うため、家を訪ね試合を観戦している。
- 以前は腕時計を左腕につけていたが、現在は右腕につけている。
交友関係
- 「一生足を向けて寝られない恩人」の1人に、いとうせいこうの名をあげている。上記の通りせいこうから見い出されいくつかの番組に出演することとなり、上田自身「仕事が増えるきっかけを作ってくれたのは、せいこうさんだと言っても決して過言ではない」と語っている。上田に寄れば「虎の門」の企画である「うんちく王決定戦」の1回目の収録に臨んだ後、企画の難易度の高さから以降の出演オファーは断るようにマネージャーに伝えていたが、せいこうが「上田なら何とかするだろうから」という理由で上田を呼ぶようにしつこくスタッフに進言したこともあり、以降も出演し続けたという。そして結果的に同企画へ出続けたことによって「上田=蘊蓄」という1つのキャラがつき、そこから色々な番組に呼ばれ、仕事が増える大きなきっかけの1つになったという。また、「天才バカボン」の実写版ドラマをやったほうがいいとアイデアをくれたのもせいこうであることを明かしている。
- アンジャッシュとは彼らが芸歴1年目の時から25年以上の付き合いであり、中でも児嶋一哉に関しては一時期上田の家の合鍵を持たせていたほどであった。対して渡部建も相方の有田と山崎弘也(アンタッチャブル)の3人で共同生活をするほどの親密な仲だったという。ただし渡部が2020年6月に自身のスキャンダルが発覚し、芸能活動を自粛・謹慎することになった時は、その1ヶ月後に渡部へ励ましのメールを送ったが、連絡先を消されていたため「どちら様ですか?」と返信されてしまった。またアンタッチャブルとも仲が良く、彼らがM-1グランプリで優勝した時は自分のことかのように大喜びしたという。海砂利水魚時代には、この3組で合同コントライブも行ったことがある。
- 若手時代から明石家さんまとも親交があり、コロナ禍になるまでは年に6、7回はゴルフを共にするほどであった。
- 同期の古坂大魔王に対しては底ぬけAIR-LINE時代から笑いの才能を高く評価しており、自著内で「いまだにこの世で私を一番笑わせてくれる人」「私は常々『この世に天才などいない』というポリシーを持っているが、古坂は天才ではないか、と自分のポリシーを曲げてもいいと思うくらいの才能の持ち主」「『何か笑わせてみろよ』というムチャブリに対しても、遅くても90秒後には腹を抱えて笑わせてくれる」などと語るほど絶賛している。とある食事会にて明石家さんまと同席した際にさんまから「お前の周りでコイツおもろいなーって奴おるか?」と聞かれた時は迷わず「古坂っていう日本一面白い芸人がいるんです!」と返答したこともある(ただし、その直後にさんまから冷静かつ鬼の形相で「日本一ってことは、そいつ俺よりおもろいんか?」と返され激しく動揺してしまったという)。その一方で古坂が「ピコ太郎」のプロデューサーとして大ブレイクし、世に認められた現在においても「正直(古坂の)面白さの10分の1も世間には伝わっていない」とも語っている。
- ドラマ『天才バカボン』での共演がきっかけで俳優・タレントのえなりかずきと親友になり[34]、上田とえなりは2人きりで沖縄旅行や美術館に出かけ[35]、一緒に絵画教室に通い、毎日LINEで絵を送る[36]ほどの深い親交がある。上田はえなりに対し、「プライベートで一番時間を共に過ごす友人」、「(えなりは)俺のすべて」[38]と語っており、度々えなりとの仲良しエピソードを披露している[35]。
容姿
- トレードマークは天然パーマの髪型。番組内で「どうも天然パーマです」と自己紹介することもある。1998年には一時期、金髪や坊主頭にしていたこともある[24]。
- ファッションセンスが悪く、よく他人に笑われるが開き直ることにしている。結婚後は、家を出る前に妻にファッションチェックをしてもらうようになったが、3回に1度は服を変えるよう言われる。
- いわゆる「老け顔」で、デビュー当時から顔の見た目が変わっていない。有田は若手時代に「なんであんな年上の人とコンビ組んでるの?」とよく聞かれたと語っている[10]。EXITの兼近からはGoing!出演時に「しわくちゃパイセン」と呼ばれている[39]。
- 『上田ちゃんネル』の収録中、テンションが上がった拍子に差し歯が飛んだことがある[40]。
学生時代
- 幼少は野球少年であった。高校でラグビー部に入部し、後に相方となる有田哲平に出会う。高校時代にはリーゼントヘアの番長であったが、硬派で女性に疎く、有田には「童貞番長」のあだ名で呼ばれた[41][42]。
- 早稲田大学入学後、各種サークルの新歓コンパに参加するが、大抵の場合、一次会終了時に先輩から遠慮するように言われていた。その理由は、トイレから帰って来る時に下半身を露出しているなど、周りを全く考えずに一人で騒ぎ過ぎたからである。その後も、どのサークルにおいても馴染むことが出来なかったうえ、学部でも友達を一人も作れなかったことから、大学生活はつまらないものとなってしまい、最終的には中退に至ることとなった。
その他
- 催眠術に全くかからないため、催眠術そのものを信じていない[43]。
- 有田とは対照的に、家電に全く興味がない。
- 記憶力が優れており、暗記する企画では活躍することが多い。ただし、40代後半以降は記憶力が減退していることが『太田上田』で度々言及されている[44]。
- 人前で泣くことは滅多にない[43]。
- 「かまわんよ」が口癖である。
- 『ハナタカ!優越館』など自身が司会を務める番組では、しばしば有田以外の出演者に対してもツッコミを入れることがある。
- 高所恐怖症である。ニッポン放送『知ってる?24時。』で上田がリスナーのリクエスト投票でアルバイト体験をする企画では「ビルの窓ふき」バイトに投票が殺到した[45]。
- 倉科カナとは出身地が隣町同士である。『しゃべくり007』に倉科がゲスト出演した時に出身地の話になり、最初は、宇土と言っていたが、上田が出身地を(熊本市南区)南高江町(実際は町は付かない。)と言うと(熊本市南区)川尻と修正した。南高江は川尻の隣町である為、興奮していた。宇土と言ったのは川尻を知らない人がいるからと言う理由だった。尚、因みに南高江には倉科の祖母宅がある事も語っている。
影響
- 髭男爵の山田ルイ53世は、ネタ番組出演時に上田から「コンビ名と容姿が合致していない」と言われたことがきっかけで、髭の容姿でネタを披露するようになった[46]。
出演
テレビ番組
現在の出演番組
- 特番
過去の出演番組
- 特番
ラジオ
ドラマ出演
Webテレビ
映画
テレビアニメ
舞台
PV
CM
著書
単著
共著
脚注
注釈
- ^ 『QuickJapan』vol.55、51ページによれば、お笑いよりもプロレス記者になることに憧れていたが、暴露本「アントニオ猪木・最後の真実」(板坂剛、1985年、鹿砦社)を読み、精神的にショックを受けている。
- ^ なお、上田は当初、『海砂利水魚』というのが落語の「寿限無」から出てきた言葉だということを知らなかったという。
- ^ 『ロッキー2』内の、ランニングするロッキーをたくさんの子供が追いかけているシーンを指す。『くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン』でリスナーからいじられ、2008年2月14日のYahoo! Japan急上昇ランキングで3位に入った。
- ^ 晋也が2012年に声帯ポリープ手術(先述)に伴い当番組を欠席した際に、ピンチヒッターとして代理司会を担当。
- ^ テレビ放送版のみの出演。DVD版では大西健晴が吹き替えている。
出典
参考文献
- 上田晋也『経験 この10年くらいのこと』ポプラ社、2021年。
- 上田晋也『激変 めまぐるしく動いた30代のこと』ポプラ社、2022年。
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