三山 近六(みやま きんろく、1839年10月15日(天保10年9月9日) - 1913年(大正2年)12月2日)は、明治時代の政治家、実業家。貴族院多額納税者議員。
経歴
肥前国彼杵郡時津村(現長崎県西彼杵郡時津町)で、呉服商・三山為吉の長男として生まれる[3][4]。家業の呉服商を営んでいたが[4]、三山汽船を設立し、大村湾で定期航路を運航する。1893年(明治26年)九州鉄道が開通すると、湾内航路を中止し、島原、佐世保、天草方面への定期航路を始めた。1910年(明治43年)肥後汽船と合併して設立した九州汽船の社長に就任した[4]。
村会議員などを務め、公共事業を進めて地域の振興に尽力した[4]。1911年(明治44年)長崎県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日[5]から1913年(大正2年)12月の死去まで在任した[6]。
脚注
- ^ 『人事興信録 第3版』み31頁。
- ^ a b c d 『長崎県大百科事典』829頁。
- ^ 『官報』第8485号、明治44年9月30日。
- ^ 『官報』第406号、大正2年12月4日。
参考文献