ワシントン (USS Washington, ACR-11/CA-11/IX-39) は、アメリカ海軍の装甲巡洋艦。テネシー級装甲巡洋艦の一隻。艦名はワシントン州に因む。その名を持つ艦としては7隻目。
艦歴
ワシントンは1903年9月23日にニュージャージー州カムデンのニューヨーク造船所で起工した。1905年3月18日にヘレン・スチュアート・ウィルソン(ワシントン州選出上院議員ジョン・L・ウィルソンの娘)によって命名、進水し、1906年8月7日にフィラデルフィア海軍工廠で艦長ジェームズ・D・アダムズ大佐の指揮下就役した。
フィラデルフィアで艤装が完了すると、11月1日にハンプトン・ローズに向けて出航、一週間後にワシントンはパナマ運河を視察するルーズベルト大統領が乗った戦艦ルイジアナ (USS Louisiana, BB-19) の護衛として出航した。この航海の間、ワシントンはハンプトン・ローズ、パイニー・ポイント、パナマのコロン、チリクイ礁湖、モナ海峡に立ち寄り、11月26日にニューポート・ニューズに帰還した。12月8日にデラウェア岬に向かい、11日にフィラデルフィア海軍工廠に入渠、1907年の春まで修理が行われた。
ワシントンは4月11日にリーグ島を出航し、翌日ハンプトン・ローズに到着した。その後5月まで同地に留まり、1607年にジェームズタウンが設立されたのを記念するジェームズタウン博覧会に参加した。間もなくワシントンは北に戻り、5月の大半はニューヨーク海軍工廠でオーバーホールに費やされた。5月28日から6月5日までスタテンアイランドのトンプキンズヴィルで整調を行い、その後ハンプトン・ローズに戻ってジェームズタウン博覧会に再び参加した。
ワシントンは6月11日にハンプトン・ローズを出航し、ロードアイランド州ブラッドフォードを経由してニューポートでテネシー (USS Tennessee, ACR-10) と合流、14日に大西洋を横断しヨーロッパ海域に赴く。両艦は6月23日から7月25日までの間にロワイヤン、エクス島、ラ・パリシおよびブレストを訪問し、8月にトンプキンズヴィルに帰還、速度公試を行った。
1916年に「シアトル(USS Seattle)」に改名。第一次世界大戦では駆逐隊の旗艦任務に付いた。戦後の1920年には重巡洋艦(CA-11)に類別変更され、戦間期には宿泊船として利用されていた。1941年2月には海軍に復帰(IX-39)したが、第二次世界大戦中は本国から離れることはなく、1946年6月28日に退役した。
外部リンク