ワカオライデン(欧字名:Wakao Raiden、1981年4月25日 - 2007年9月21日)は、日本の競走馬、種牡馬[1]。主な勝ち鞍に1985年の朝日チャレンジカップ。のち地方競馬に転じ、笠松競馬でも重賞を制した。
引退後の1989年より種牡馬となり、地方在籍馬として初めて中央の重賞を制したライデンリーダーなど、地方競馬を中心に活躍馬を輩出。1997年と1999年には地方競馬のリーディングサイアーとなっている[3]。
経歴
デビューまで
1981年、北海道勇払郡早来町の吉田牧場に生まれる。場長の吉田晴雄によれば、「馬体の均整が取れていることに関しては、百点満点に近い馬で、ほとんど教科書に出してもいいぐらいの体型の持ち主」であった[4]。叔父には八大競走2勝を挙げ「流星の貴公子」と呼ばれたテンポイントがおり、3000万円近い価格で[5]、母オキワカを牧場と共同所有していた小塚美近(よしちか)に購買された。のちに笠松で本馬を管理することになる荒川友司も、牧場で小塚と一緒に馬を見てその素質を感じ取っていたが、高額ゆえに笠松の賞金では元が取れないと考え、中央の厩舎へ入れることを小塚に勧めていた[5]。その後、ワカオライデンはオキワカの管理調教師であった栗東トレーニングセンターの戸山為夫厩舎に入った。
戦績
1983年11月にデビューし、3戦目で初勝利を挙げたが、常に脚部に不安を抱えた競走生活を送った[6]。5歳時の1985年9月に出走した朝日チャレンジカップで、1位入線馬ニシノライデンの斜行失格による繰り上がりで重賞を初制覇したものの、6歳になっても脚部不安は晴れなかった。この状況を受けて、小塚が荒川に管理を打診すると荒川は即座に引き受け、ワカオライデンは笠松への転出が決定した[5]。その後、笠松の厩舎ではなく荒川の自宅裏において約1年の療養生活を送り、脚部の完治をみた[5]。
笠松には転入から4カ月以上休養した馬はレースに出走できないという規定があったことから[7]、荒川と懇意であった公営・金沢競馬の桑野進のもとに一時転厩し、金沢最大の競走である白山大賞典を含む3戦2勝の成績を挙げたのち、笠松へ再入厩した。以後、荒川厩舎に所属する井上孝彦を鞍上に、ゴールド争覇、東海菊花賞、名古屋大賞典、ウインター争覇と、白山大賞典から5連勝を遂げた。年末の東海ゴールドカップでは負担重量が7.5kg軽いフェートノーザンに敗れて連勝を止めたが、休養後の1988年7月に出走したサマーカップでは再び勝利を挙げた。
その後は地方所属馬に唯一門戸を開いていた中央GI競走のジャパンカップを目標に、地方代表馬選定の場であったオールカマーへ出走する予定となっていたが、競走3日前に左前脚を骨折し、そのまま引退を余儀なくされた[8]。
種牡馬
1989年より生まれ故郷である吉田牧場で種牡馬となる[9]。近親に優秀な競走馬がいるとはいえ自身は地方競馬での活躍馬であり、中央競馬ではGIII止まりの馬であったが、生産者の吉田重雄は競走成績にかかわらず種牡馬にするつもりだったという[9]。予想外に種付け希望者が集まったことからシンジケートが組まれ、その多くは地方競馬と繋がりのある生産者であった[9]。
初年度には23頭が誕生したが、そのうち12~13頭を荒川が購買し、馬主達に所有を頼んで自身の管理馬とした[10]。「安いうちにツバをつけておこうと」2年目の産駒も同様に買い、その様子は「ワカオライデンの仔で荒川厩舎はひっくり返る」と噂が立ったほどであった[10]。しかし初年度からサブリナチェリー、ライデンスキーらが活躍し、東海ダービーでは両馬が1・2着を占めるなど、荒川の見立てが当たった結果となった[8]。1995年に中央競馬がクラシック競走の門戸を地方競馬へ開放すると、荒川厩舎からライデンリーダーが牝馬クラシック戦線に臨み、桜花賞への前哨戦・報知杯4歳牝馬特別を制し、地方競馬のファンのみならず全国的に大きな人気を獲得した[8]。またこれに伴い、ワカオライデンの名前も全国区のものとなった[8]。
初年度37だった種付け頭数が1993年には93まで増え[9]、各地の地方競馬場で産駒が活躍した。中央競馬では結局ライデンリーダー以外の活躍馬は現れなかったが、1997年には全日本サラブレッドカップ (統一GIII) で中央競馬や地方競馬他地区の馬を相手に荒川厩舎のワカオライデン産駒が1着から3着までを独占するなどし、地方競馬のリーディングサイアーに輝いた[11]。1999年にも地方競馬のリーディングサイアーとなっている[3]。
2005年に種牡馬を引退。2007年に吉田牧場で老衰のため死亡[2]。26歳(馬齢は現表記)であった。翌2008年、地方競馬での種牡馬としての実績が評価され、NARグランプリ2007で特別表彰された[3]。
主な産駒
- 統一重賞優勝馬
- その他地方重賞優勝馬
- 1990年産
- 1991年産
- 1992年産
- コルテスチェリー(スプリングカップ、新緑賞)
- フジノタイショウ(ジュニアクラウン)
- 1994年産
- 1995年産
- 1996年産
- 1997年産
- 1998年産
- 2000年産
- 2003年産
- 2006年産
母の父としての産駒
- 統一重賞優勝馬
- その他地方重賞優勝馬
- 2000年産
- 2005年産
- 2007年産
- 2010年産
血統表
父ロイヤルスキーは同馬の項目を参照。母オキワカは中央競馬6勝、中京記念3着がある[14]。半兄ワカテンザンはきさらぎ賞に優勝し東京優駿と皐月賞、スプリングステークス、シンザン記念、金杯(西)で2着[14]、半弟ワカポイントは東海大賞典優勝馬。祖母ワカクモは桜花賞優勝馬であり、叔父にテンポイント、甥にフジヤマケンザンがいる一族である(詳しくはテンポイントの項目を参照)。
脚注
参考文献
外部リンク