ロバート・ウッドワード・バーンウェル・エリオット(Robert Woodward Barnwell Elliott、1840年8月16日 - 1887年8月26日)は、当時の米国聖公会テキサス州西部教区の初代主教(1874年 - 1887年)である。
家族および若年期
エリオットはアメリカ合衆国のサウスカロライナ州ビューフォートで、スティーヴン・エリオット(英語版)とシャーロット・ブル・バーンウェルの息子として1840年8月16日に生まれた[1]。エリオット家は古くからサウスカロライナ・ローカントリーに住む家系であり、および「ザ・シヴァルリー(the Civalry)」会員でもあった。父親のスティーヴン・エリオットは南北戦争勃発時の米国聖公会ジョージア州教区(英語版)主教であり、南部連合プロテスタント聖公会(英語版)の最初にして唯一の首席主教を務めたほか、テネシー州スワニー(英語版)にあるサウスカロライナ大学の創立者でもあり、1840年代にジョージア州にあるモントピーリア女学校(英語版)を創設した。父方の祖先はイングランドのコーンウォール州に端を発しており、1690年にカロライナ植民地に辿り着いた一方で、母方の祖先は1689年当時のアイルランド王国ミーズ県からカロライナ植民地に到着した[2]。南部地方出身の小説家であるサラ・バーンウェル・エリオット(1848年 - 1928年)はロバートの妹である。1864年1月7日に三従姉妹のキャロライン・エリオットと結婚し、5人の子供をもうけた。
サウスカロライナ大学に通ったエリオットは1861年に卒業した。のちにアメリカ連合国陸軍に入隊し、アレクサンダー・ロートン陸軍准将(英語版)の補佐官に任命された。第二次ブルランの戦いで負傷し、1865年5月に投降した際にはジョセフ・エグルストン・ジョンストンに同行していた[3] 。
聖職者
戦争終結後に聖職者として仕え、1868年8月4日にテネシー州出身のチャールズ・トッド・クインタール主教(英語版)により聖ペテロ教会で執事に叙任されたジョージア州ロームに落ち着いた。1868年8月1日から1870年9月までケイヴ・スプリング(英語版)、センターヴィル(英語版)、ダルトン(英語版)、およびキングストン(英語版)で布教活動を行った。その後、1870年11月にはニューヨークにある米国聖公会受肉教会堂(英語版)の副司祭に任命され、その間に総合神学校(英語版)にも通った。その後の1871年4月9日、ジョージア州サバンナにあるクライストチャーチ(英語版)において、米国聖公会ジョージア州教区のジョン・ワトラス・ベックウィズ主教により司祭に叙任された。1871年5月、ニューヨークの悔悛礼拝堂に転任し、同年9月まで留まった。その後、1871年10月にはジョージア州アトランタにあるセント・フィリップ主教座聖堂(英語版)の教区牧師に就任した[4][5][6]。
主教職と遺産
1874年、主教院により初代テキサス州西部管区主教に選出された。1874年11月15日、テキサス州教区のアレクサンダー・グレッグ主教により主教に任命され、1887年8月26日に没するまで在任した。1879年、テキサス州サンアントニオにあるセント・メアリー公会堂(St Mary's Hall)を創設した。ここはかつて米国聖公会の教会と密接な関係にあり、尊敬の念を込めてテキサス州西部教区内ビショップ・エリオット協会(The Bishop Elliott Society in the Diocese of West Texas)と命名された[7]。
脚注
- ^ Barnwell, S.B. (1968). The Story of an American Family, p. 160.
- ^ “ROBERT WOODWARD BARNWELL ELLIOTT , D. D.”. The Living Church Annual and Clergy-list Quarterly: 83. (1885). https://www.google.co.uk/books/edition/The_Living_Church_Annual_and_Clergy_list/JR49AAAAYAAJ?hl=en&gbpv=1&dq=Robert+Woodward+Barnwell+Elliott+seminary&pg=RA2-PA83&printsec=frontcover.
- ^ “Elliott, Robert Woodward Barnwell”. The Handbook of Texas. Texas State Historical Association. February 13, 2015閲覧。
- ^ “Elliott (Robert Woodward Barnwell) S.T.D.”. Johnson's Universal Cyclopaedia 2: 859. (1887). https://www.google.co.uk/books/edition/Johnson_s_Universal_Cyclopaedia/dQxJAQAAMAAJ?hl=en&gbpv=1&dq=Robert+W.+B.+Elliott+b.+August+16,+1840&pg=PA859&printsec=frontcover.
- ^ “Elliott (Robert Woodward Barnwell) S.T.D.”. The Supplementary Cyclopedia of Universal Knowledge: 210. (1893). https://www.google.co.uk/books/edition/The_Supplementary_Cyclopedia_of_Universa/--mTo24Zf8wC?hl=en&gbpv=1&dq=Robert+W.+B.+Elliott+b.+August+16,+1840&pg=PA210&printsec=frontcover.
- ^ “Elliott, (ROBERT WOODWARD BARNWELL, S.T.D.)”. The Century Reference Library of Universal Knowledge 3: 924. (1909). https://www.google.co.uk/books/edition/The_Century_Reference_Library_of_Univers/pflFAQAAMAAJ?hl=en&gbpv=1&bsq=Robert+Woodward+Barnwell+Elliott+b.+August+16,+1840&dq=Robert+Woodward+Barnwell+Elliott+b.+August+16,+1840&printsec=frontcover.
- ^ "Robert Woodward Barnwell Elliott Report, 1886", Texas Archives. Retrieved on August 31, 2022.