座標: 北緯38度45分13秒 東経48度51分04秒 / 北緯38.75361度 東経48.85111度 / 38.75361; 48.85111
レンキャラン (アゼルバイジャン語: Lənkəran、タリシュ語: Lankon) はアゼルバイジャン南東部のカスピ海に面する都市。
2015年の人口は約22.1万人。
レンキャラン県に囲まれている。
語源
- ペルシア語:「碇を上げる場所」を意味する「ランガルカナン」
- タリシュ語:「竹の家」を意味する「ラン・カラン」
- メディア語:「ラン族の境界」を意味する「ラン・カラン」
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歴史
レンキャランはレンキャラン川河口の北の丘に設立された。
新石器時代には既に人が住んでおり、青銅器時代や鉄器時代には要塞化された村が有った。
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1728年、露土戦争の結果レンキャランはロシア帝国に割譲された。
1732年、ラシュト条約の結果レンキャランはサファヴィー朝(イラン)に割譲された。
1747年、アフシャール朝創始者のナーディル・シャー王が暗殺された。
同年、アフシャール朝からタリシュ・ハン国(英語版)が独立した。
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タリシュ・ハン国は終始イランのザンド朝とガージャール朝に服属した。
1813年、露土戦争が起き、ピョートル・コトゥリャレヴスキー(英語版)将軍がレンキャラン襲撃(英語版)を行った。
同年結ばれたゴレスターン条約で、レンキャランはガージャール朝(イラン)に返還された。
1828年、露土戦争の結果結ばれたトルコマンチャーイ条約によって、レンキャランはロシア帝国に割譲されタリシュ・ハン国は滅亡した。
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[5]
[7]
1917年、ロシア革命が起き、ロシア帝国が滅亡しソ連が成立した。
1918年、アゼルバイジャン民主共和国が成立した。
1920年、アゼルバイジャン民主共和国は滅亡し、アゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国が成立した。
1991年、ソ連の崩壊によってアゼルバイジャンが独立した。
気候
レンキャランは温暖湿潤気候(Cfa)である。
年間平均降水量は1600~1800mmで、アゼルバイジャンで最も雨が多い。
レンキャランの気候
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月 |
1月 |
2月 |
3月 |
4月 |
5月 |
6月 |
7月 |
8月 |
9月 |
10月 |
11月 |
12月 |
年
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平均最高気温 °C (°F)
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7.2 (45)
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7.2 (45)
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11.0 (51.8)
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17.5 (63.5)
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22.5 (72.5)
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27.2 (81)
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30.4 (86.7)
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29.5 (85.1)
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25.9 (78.6)
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19.9 (67.8)
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14.1 (57.4)
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10.1 (50.2)
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18.54 (65.38)
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平均最低気温 °C (°F)
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0.0 (32)
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1.0 (33.8)
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3.9 (39)
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8.6 (47.5)
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13.1 (55.6)
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17.5 (63.5)
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20.1 (68.2)
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19.7 (67.5)
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16.9 (62.4)
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11.8 (53.2)
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6.7 (44.1)
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2.5 (36.5)
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10.15 (50.28)
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降水量 mm (inch)
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91 (3.58)
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114 (4.49)
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90 (3.54)
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50 (1.97)
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54 (2.13)
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22 (0.87)
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17 (0.67)
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50 (1.97)
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143 (5.63)
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259 (10.2)
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168 (6.61)
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88 (3.46)
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1,146 (45.12)
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平均降水日数
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10
|
10
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11
|
8
|
8
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3
|
2
|
4
|
7
|
13
|
12
|
9
|
97
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平均月間日照時間
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105.4
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98.9
|
124.0
|
171.0
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226.3
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282.0
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306.9
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254.2
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189.0
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127.1
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99.0
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108.5
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2,092.3
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出典1:World Meteorological Organization (UN) [8]
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出典2:Hong Kong Observatory(sun only)[9]
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人口構成
レンキャランはアゼルバイジャン最大のタリシュ人社会である。
宗教
イスラム教が多数派で、特にシーア派が多い。
アゼルバイジャンはイランに次いで2番目の人口を持つシーア派大国である。
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キチク市場モスクとボユク市場モスクが有名である。
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文化
2012年、首都バクー、ギャンジャと共にアース・アワー運動に参加した。
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スポーツ
FKハザル・レンコランがアゼルバイジャン・プレミアリーグで試合をしている。
レンキャラン競技場は2012 FIFA U-17女子ワールドカップの会場の1つになった。
2012年、ヨーロッパ重量挙げ大会の招致に成功した。
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交通
教育
著名人
姉妹都市
写真
脚注
- ^ World Gazetteer: Azerbaijan – World-Gazetteer.com アーカイブ 2011年6月22日 - ウェイバックマシン
- ^ lənkəran on ozaramizdi.org[リンク切れ] (アゼルバイジャン語)
- ^ Lənkəran haqqında tarixi coqrafi məlumat (アゼルバイジャン語)
- ^ А. Периханян (1982), Этимологические заметки // Историко-филологический журнал. Ереван. № 1, pp. 55-62
- ^ a b History of Lankaran Archived 2011年7月6日, at the Wayback Machine.
- ^ Azerbaijan
- ^ a b Timothy C. Dowling Russia at War: From the Mongol Conquest to Afghanistan, Chechnya, and Beyond pp 728-730 ABC-CLIO, 2 dec. 2014 ISBN 978-1598849486
- ^ “World Weather Information Service – Lenkaran”. United Nations. 19 January 2011閲覧。
- ^ “Climatological Information for Lankaran, Azerbaijan”. Hong Kong Observatory. November 17, 2012閲覧。
- ^ Juan Eduardo Campo,Encyclopedia of Islam, p.625
- ^ “Culture in Lankaran” (Azerbaijani). 13 November 2014閲覧。
- ^ “Azerbaijan to join Earth Hour”. www.news.az. 17 November 2014閲覧。
- ^ “IDEA campaign to hold Earth Hour action”. en.trend.az. 17 November 2014閲覧。
- ^ “Lankaran Olympic Sport Complex”. www.noc-aze.org. 18 November 2014閲覧。
- ^ “France end Asian domination”. fifa.com. FIFA. 6 July 2013閲覧。
- ^ “Weightlifting Masters”. Official Website of European Masters Weightlifting 2012. 19 March 2011閲覧。
- ^ Lənkəranda çay plantasiyalarının sahəsi genişləndirilir[リンク切れ] (アゼルバイジャン語)
- ^ History of Lankaran:Economy[リンク切れ]
- ^ Turizm müəssisələri Archived 2009年4月5日, at the Wayback Machine. (アゼルバイジャン語)
外部リンク