レジー・マッケンジーReggie Mckenzie |
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基本情報 |
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ポジション |
ガード |
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生年月日 |
(1950-07-27) 1950年7月27日(74歳) |
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出身地 |
アメリカ合衆国 ミシガン州デトロイト |
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身長: |
6' 4" =約193cm |
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体重: |
255 lb =約115.7kg |
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経歴 |
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大学 |
ミシガン大学 |
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NFLドラフト |
1972年 / 2巡目全体27位 |
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初出場年 |
1972年 |
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初出場チーム |
バッファロー・ビルズ |
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所属歴 |
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NFL 通算成績 |
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出場試合数 |
171試合 |
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先発出場試合数 |
169試合 |
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ファンブルリカバー |
4回 |
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Player stats at NFL.com |
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Player stats at PFR |
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レジー・マッケンジー(Reginald McKenzie 1950年7月27日- )はミシガン州デトロイト出身の元アメリカンフットボール選手。ポジションはガード。
ミシガン大学在学中2年次までは控え選手だったが3年から先発出場するようになりダン・ディーアドルフ(英語版)と共にオフェンシブラインの一員を務めチームは9勝1敗で全米7位、彼はビッグテン・カンファレンスのオールチームに選ばれた[1]。4年次にはカンファレンスのオールチームに選ばれただけでなく、オールアメリカンにも選出され、チームはローズボウル出場も果たした[1]。4年次にはオールアメリカンにも選ばれた。1972年のNFLドラフトで前年1勝13敗とNFLワーストの成績に終わったバッファロー・ビルズに2巡目で指名されて入団した。1973年にはチームメートのO・J・シンプソンがジム・ブラウンが持っていたNFLシーズンラッシング記録を更新する2003ヤード(当時は14試合制)の記録を作ったがチームメートの中でも特にリーディングブロッカーとして活躍したマッケンジーへの感謝の念を述べている[2]。シンプソンがサンフランシスコ・フォーティナイナーズへ移籍した後も、1978年にテリー・ミラー、ジョー・クリブス(英語版)が1000ヤードラッシャーとなる手助けを果たした[2]。ルーキーシーズンの1972年から左ガードのポジションを確保して1981年にひざの負傷で故障者リスト入りし最後の8試合を欠場するまで140試合連続先発出場を果たした。ビルズでは1982年まで11シーズンを過ごし、キャリアの最後はシアトル・シーホークスで2シーズンを過ごし現役を引退した。2002年にカレッジフットボール殿堂入りを果たした[1]。
ジョー・ドゥラムリアと共にElectric Companyと呼ばれたオフェンシブラインマン[1][3]の中心としてビルズの攻撃を支えた[4][5]。
甥のキース・マッケンジーもNFL入りしグリーンベイ・パッカーズに在籍中、第31回スーパーボウルで優勝、第32回スーパーボウルにも出場を果たした[6]。
Numberから発売されているビデオ『伝説の名勝負ベスト15 大逆転!NFL』でホストを務めている[7]。
脚注
外部リンク
AP通信 オールプロ ファーストチーム選出(1回)
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