ルビー・デラロサRubby De La Rosa
読売ジャイアンツ時代
(2019年10月9日、
東京ドーム にて)
基本情報 国籍
ドミニカ共和国 出身地
サントドミンゴ 生年月日
(1989-03-04 ) 1989年 3月4日 (35歳) 身長 体重
183 cm 95 kg 選手情報 投球・打席
右投右打 ポジション
投手 プロ入り
2007年 アマチュアFA 初出場
MLB / 2011年5月24日 NPB / 2019年7月15日 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
ルビー・カルロス・デ・ラ・ロサ・コーポラン (英 : Rubby Carlos De La Rosa Corporan , 1989年 3月4日 - )は、ドミニカ共和国 サントドミンゴ 出身のプロ野球選手 (投手 )。右投右打。フリーエージェント (FA)。愛称は「デラ 」[ 1] 。
経歴
プロ入りと第1次ドジャース時代
2007年 7月2日、エル・ボニート・デ・サンイシドロ高校 からロサンゼルス・ドジャース とマイナー契約。
2011年 5月24日にメジャー初昇格を果たし[ 2] 、同日のヒューストン・アストロズ 戦でメジャーデビュー。2度目の登板となった27日のフロリダ・マーリンズ 戦でメジャー初勝利を挙げる。6月7日のフィラデルフィア・フィリーズ 戦でメジャー初先発し[ 3] 、5回を投げ4安打1失点4奪三振で先発初勝利を挙げる[ 4] 。その後は先発ローテーションに入り、最終的に13試合に登板(先発は10試合)し、4勝5敗・防御率3.71という成績を残す。しかし、このシーズン最終登板となった7月31日のアリゾナ・ダイヤモンドバックス 戦にて、ミゲル・モンテロ に投球した際に尺側側副靱帯が断裂し、試合終了後に故障者リスト 入り。その後トミー・ジョン手術 を受けた[ 5] 。
2012年 8月21日に約1年ぶりに復帰したが、登板はこの1試合のみであった。
レッドソックス時代
2012年10月4日、8月25日に成立したトレード [ 6] の後日発表選手 として、ジェリー・サンズ と共にボストン・レッドソックス へ移籍した[ 7] 。
2013年 8月3日にメジャー昇格し、6日にレッドソックスでの初登板を果たす。
2014年 3月7日にレッドソックスと1年契約に合意した[ 8] 。2014年レギュラーシーズンは、自己最多となる19試合に登板し、うち18試合で先発として投げた。初めて100イニングをクリア、シーズン防御率を4.43とし、2011年以来3年ぶりにメジャーでの勝ち星を挙げた。
ダイヤモンドバックス時代
2014年12月12日にウェイド・マイリー とのトレードで、アレン・ウェブスター 、レイメル・フローレス と共にダイヤモンドバックスへ移籍した[ 9] 。
2015年 は、14勝9敗。
2016年
2016年 5月26日に右肘を痛め、翌27日に15日間の故障者リスト入り、7月25日に60日間の故障者リストに移行した。9月9日に復帰したが、復帰後は2試合の登板にとどまった。オフの12月2日にノンテンダーFA となった。
2017年 1月10日にダイヤモンドバックスとマイナー契約で再契約し、同年のスプリングトレーニング に招待選手として参加することになった。シーズンでは開幕を故障者リストで迎えると、5月に復帰して主にAAA級リノ・エーシズ で投げた。6月23日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター 入りした[ 10] 。8月にプロ入り後2度目の右肘のトミー・ジョン手術を受ける。9月1日に自由契約となったが[ 11] 、11月7日に再びダイヤモンドバックスとマイナー契約を結んだ[ 10] 。
2018年 は、マイナーで過ごす。
巨人時代
2019年
2019年 6月22日に日本プロ野球 の読売ジャイアンツ が契約したことを発表し[ 12] 、同月27日に公示された。背番号97 。背ネームはDE LA ROSA 。シーズン終了までの契約で、推定年俸は3000万円[ 13] 。9月10日の横浜DeNAベイスターズ 戦(横浜スタジアム )で161km/hを記録[ 14] 。7月末頃からは主にクローザーを任され、勝てば優勝となる9月21日の対DeNA戦(横浜スタジアム)で延長10回表に勝ち越し1点リードで迎えた10回裏に登板。三者連続三振でゲームを締めくくり自身初となる胴上げ投手となった[ 15] 。最終的には、26試合登板、1勝0敗8セーブ5ホールド、防御率2.25を記録。特に、投球回24に対し、32奪三振を記録した。オフに、推定年俸1億3000万円で残留することが発表され[ 16] 、背番号は12 に変更された[ 17] 。「12」には愛着があるという[ 18] 。
2020年 は左脇腹の肉離れで約1か月の離脱があったが[ 19] 、35試合登板、2勝0敗17セーブ5ホールド、防御率2.56を記録し、守護神としての働きを見せた。オフに、推定年俸1億6000万円で残留することが発表された[ 20] 。
2021年 、開幕直前の3月4日に左足小指を骨折したことが発表され[ 21] 、開幕一軍を逃したが、3月30日の二軍戦での調整登板を経て[ 22] 、3月31日に一軍登録。4月1日にシーズン初登板・初セーブを果たした[ 23] 。4月14日までに6試合に登板し、5セーブ、防御率0.00を記録していたが、4月15日にアメリカでの市民権取得手続きで渡米するために登録を抹消された[ 24] 。5月3日に再来日し[ 25] 、自主隔離期間を経て5月21日に一軍登録・登板を果たした[ 26] 。12月28日に、推定年俸165万ドル(1億8150万円)で残留することが発表された[ 27] 。
2022年 は開幕直後に不調で2軍落ちをするなど30試合のみの登板で0勝0敗1セーブ11ホールド、防御率2.30の成績だった。オフの12月2日に自由契約公示された[ 28] 。
第2次ドジャース時代
2023年 2月9日にドジャースとマイナー契約を結んだ[ 29] 。しかし、4月14日に自由契約となった[ 30] 。
選手としての特徴・人物
最速161km/hを記録した直球 に加え[ 14] 、変化球のスライダー 、チェンジアップ 、カットボール 、スプリット 、ツーシーム などを駆使する右腕[ 31] [ 32] 。
7人兄弟の長男であり、弟と妹がそれぞれ3人ずついる[ 33] 。
詳細情報
年度別投手成績
年 度
球 団
登 板
先 発
完 投
完 封
無 四 球
勝 利
敗 戦
セ 丨 ブ
ホ 丨 ル ド
勝 率
打 者
投 球 回
被 安 打
被 本 塁 打
与 四 球
敬 遠
与 死 球
奪 三 振
暴 投
ボ 丨 ク
失 点
自 責 点
防 御 率
W H I P
2011
LAD
13
10
0
0
0
4
5
0
1
.444
254
60.2
54
6
31
3
0
60
3
0
26
25
3.71
1.40
2012
1
0
0
0
0
0
0
0
0
----
4
0.2
0
0
2
0
0
0
0
0
2
2
27.00
3.00
2013
BOS
11
0
0
0
0
0
2
0
0
.000
53
11.1
15
2
2
0
3
6
1
0
7
7
5.56
1.50
2014
19
18
0
0
0
4
8
0
0
.333
441
101.2
116
12
35
0
2
74
3
1
51
50
4.43
1.49
2015
ARI
32
32
0
0
0
14
9
0
0
.609
809
188.2
193
32
63
3
4
150
2
2
103
98
4.67
1.36
2016
13
10
0
0
0
4
5
0
0
.444
222
50.2
43
8
20
1
4
54
2
1
26
24
4.26
1.24
2017
9
0
0
0
0
0
1
0
0
.000
34
7.2
7
2
4
1
0
12
0
1
4
4
4.70
1.44
2019
巨人
26
0
0
0
0
1
0
8
5
1.000
93
24.0
16
4
5
0
1
32
0
0
6
6
2.25
0.88
2020
35
0
0
0
0
2
0
17
5
1.000
132
31.2
23
3
16
0
3
28
1
0
9
9
2.56
1.23
2021
46
0
0
0
0
1
0
7
13
1.000
175
41.1
38
3
12
0
2
34
1
0
15
13
2.83
1.21
2022
30
0
0
0
0
0
0
1
11
----
108
27.1
18
2
10
0
2
24
0
1
9
7
2.30
1.02
MLB :7年
98
70
0
0
0
26
30
0
1
.464
1817
421.1
428
62
157
8
13
356
11
5
219
210
4.49
1.39
NPB :4年
137
0
0
0
0
4
0
33
34
1.000
508
124.1
95
12
43
0
8
118
2
1
39
35
2.53
1.11
2022年度シーズン終了時
各年度の太字 はリーグ最多
年度別守備成績
年 度
球 団
投手(P)
試 合
刺 殺
補 殺
失 策
併 殺
守 備 率
2011
LAD
13
6
10
2
1
.889
2012
1
0
0
0
0
----
2013
BOS
11
1
1
1
0
.667
2014
19
12
11
1
1
.958
2015
ARI
32
26
17
0
3
1.000
2016
13
5
3
0
0
1.000
2017
9
0
1
0
0
1.000
2019
巨人
26
2
3
0
0
1.000
2020
35
2
3
0
1
1.000
2021
46
5
3
0
0
1.000
2022
30
2
4
1
0
.857
MLB
98
50
43
4
5
.959
NPB
137
11
13
1
1
.960
2022年度シーズン終了時
各年度の太字 はリーグ最高
記録
NPB
初記録
投手記録
打撃記録
初打席:2022年5月8日、対東京ヤクルトスワローズ9回戦(東京ドーム)、7回裏に梅野雄吾 から二塁ゴロ
背番号
50 (2011年 - 同年途中)
41 (2011年途中 - 2012年)
62 (2013年 - 2014年)
12 (2015年 - 2017年、2020年 - 2022年)
97 (2019年 - 同年終了)
登場曲
「Mera Woo」El Alfa(2021年 - )
脚注
関連項目
外部リンク