トーマス・エジソン による1896年4月の映画 『M・アーウィンとJ・C・ライスの接吻 』。
メイ・アーウィン (May Irwin、出生名ジョージナ・メイ・キャンベル 、Georgina May Campbell、1862年 6月27日 - 1938年 10月22日 )は、女優、歌手で、ヴォードヴィル のスター。カナダ 出身の彼女は、姉のフロー・アーウィン (Flo Irwin) とともに、父親の死後、舞台に立つようになった。彼女は、クーン・シャウター (coon shouter) としてのパフォーマンスや録音で知られた。
生い立ちと経歴
1862年 6月27日 、オンタリオ州 ウィットビー に生まれたジョージナ・メイ・キャンベルは[ 2] [ 3] [ 4] 、13歳の時に父ロバート・E・キャンベル (Robert E. Campbell) が死去し、元々舞台に関心を寄せていた母ソフォリア・ジェーン・ドレイパー (Sophoria Jane Draper) がお金を必要としていたこともあり、メイと姉のアデリン・フローラ(Adeline Flora:通称 "Flo" ないし "Addie")を促して、舞台に立たせた。姉妹は歌を歌い「アーウィン・シスターズ (Irwin Sisters) 」として1874年 12月にニューヨーク州 バッファロー のアデルフィ劇場 (the Adelphi Theatre) でデビューした。1877年 後半、キャリアを積んだ姉妹は、ニューヨーク のメトロポリタン劇場 (Metropolitan Theater) に出演し、さらに人気の高いミュージックホール だったトニー・パスター (英語版 ) 劇場に出演した。
ミス・メイ・アーウィン
姉妹の人気は高く、6年間にわたってレギュラー出演者の地位を保ったが、やがて21歳になったメイは、自分一人での活動に乗り出した。彼女は、1883年 から1887年 にかけて、オーガスティン・ダリー (英語版 ) の劇団に加わり、初めて演劇の舞台に立った。コメディ女優となった彼女は、その即興の才によって知られた。たちまち人気を博した彼女は、1884年 8月にはトゥール劇場 (英語版 ) に出演してロンドン の舞台デビューを果たした。25歳になった彼女は、週給 $2,500 を稼いでいた[ 5] 。1886年 、8年間連れ添った夫フレデリック・W・ケラー (Frederick W. Keller) が急死した。姉のフローラは、ニューヨーク州議会 の上院議員トーマス・F・グラディ (英語版 ) と結婚した。
1890年代 はじめ、アーウィンは2度目の結婚をし、ヴォードヴィルの世界でキャリアを積んで、当時「クーン・シャウティング (Coon Shouting)」として知られていた演目に取り組み、アフリカ系アメリカ人 の影響を受けた歌を歌っていた。1895年 のブロードウェイのショー『The Widow Jones 』では、「The Bully Song」を歌い、この曲は彼女を代表する持ち歌となった。このショーには、長い接吻の場面が含まれていたが、この場面を見たトーマス・エジソン は、アーウィンと共演者ジョン・C・ライス を雇って、この場面を映画に再現させた。1896年 、エジソンのキネトスコープ 作品『M・アーウィンとJ・C・ライスの接吻 (The Kiss )』は、映画の歴史上最初の接吻 の場面となった[ 6] 。
彼女が主演した舞台作品には『The Widow Jones 』、『The Swell Miss Fitzswell 』、『Courted Into Court 』、『Kate Kip-Buyer 』、『Sister Mary 』などがあった[ 7] 。
元々ブロードウェイ ・ミュージカル 『Courted Into Court 』で歌われたアーウィンの歌の一つを取り上げた楽譜の表紙。
演技や歌唱に加え、アーウィンはいくつもの歌の作詞も手がけ、その一つ「Hot Tamale Alley」にはジョージ・M・コーハン (英語版 ) が曲を書いた。1907年 、彼女はマネージャーのクルト・アイスフェルト (Kurt Eisfeldt) と結婚し、また、ベルリナー/ビクター への吹込みを始めた。こうした録音の一部は現存しており、彼女の魅力がどのようなものであったかを伝えている。
アーウィンの豊満な体格は、当時の流行でもあり、彼女の魅力的な人柄とも相まって、30年以上にもわたり彼女をアメリカで最も愛されたパフォーマーとした。1914年 、彼女はサイレント映画 への2度目の出演をしたが、今回は長編映画で、ジョージ・V・ホバート (英語版 ) の戯曲を改作した『Mrs. Black is Back 』といい、アドルフ・ズコール のフェイマス・プレイヤーズ・フィルム・カンパニー が制作して、大部分がニューヨークのアーウィンの自宅で撮影された。この映画は、メイを捉えた場面のスチル写真 が現存している。
高い報酬を得ていた演技者であったアーウィンは、賢明な投資家でもあり、大変金持ちの女性となった。彼女は、サウザンド諸島 のグラインドストーン島 (英語版 ) に近い小島であるクラブ島 (Club Island) に構えた夏の家や、フロリダ州 メリット島 の冬の家で多くの時間を過ごしていたが、その後は、ニューヨーク州 クレイトン (英語版 ) 近傍の農場に引退し、さらに後には当地の通りの名が彼女を讃えて改称された。サウザンドアイランドドレッシング はアーウィンが広めたという説がある[ 8] 。
アーウィンは、1925年 に引退した。
私生活
メイ・アーウィンは、2度結婚した。最初の結婚は、セントルイス のフレデリック・W・ケラー (Frederick W. Keller) とのもので、1878年 から夫が死去した1886年 まで続いた。1907年 から死去するまで、彼女はクルト・アイスフェルト (Kurt Eisfeldt) と結婚していた。夫妻はニューヨーク の西44丁目に住んでいた。
アーウィンは、最初の結婚から二人の息子、すなわち、彼女が17歳だった1879年 ころに生まれたウォルター・ケラー (Walter Keller) と、彼女が20歳だった1882年 に生まれたハリー・ケラー (Harry Keller) をもうけていた[ 9] 。
死
メイ・アーウィンは、1938年 10月22日 に、ニューヨーク 市で、76歳で死去した。彼女は、ニューヨーク州 バルハラ (英語版 ) のケンシコ墓地 に葬られた。
フィルモグラフィ
脚注
^ Gracyk, Tim (2006年). “May Irwin ”. Tim Gracyk's Phonographs, Singers, and Old Records . July 8, 2019時点のオリジナルよりアーカイブ 。February 21, 2020 閲覧。
^ de Lafayette, Maximillien. “World of Cabaret - American Music and the Birth of Cabaret from the Early Jazz Era to Present ”. International News Agency . October 12, 2008時点のオリジナル よりアーカイブ。2023年1月2日 閲覧。
^ Lunman, Kim (April 13, 2009). “May Irwin and her Keeper” . Thousand Islands Life Magazine . オリジナル のMay 13, 2010時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20100513202510/http://www.thousandislandslife.com/BackIssues/Archive/tabid/393/articleType/ArticleView/articleId/214/May-Irwin-and-her-Keeper.aspx December 28, 2009 閲覧。
^ Callwood, June (1977). The naughty nineties, 1890-1900 . Toronto: Natural Science of Canada. pp. 79. ISBN 0-919644-21-X . OCLC 5172430
^ Dirks, Tim. “Sex in Cinema: Pre-1920s Greatest and Most Influential Erotic / Sexual Films and Scenes ”. AMC Filmsite . October 29, 2019時点のオリジナルよりアーカイブ 。February 22, 2020 閲覧。
^ Morgan, Henry James , ed (1903). Types of Canadian Women and of Women who are or have been Connected with Canada . Toronto: Williams Briggs. p. 172 . https://archive.org/details/typesofcanadianw01morguoft
^ McNeese, Tim (2005). The St. Lawrence River. Infobase Publishing, ISBN 978-0-7910-8245-4
^ Edwards, Bill. “Georgina May (Campbell) (Keller) Irwin (Eisfeldt) ”. RagPiano.com . September 15, 2018時点のオリジナルよりアーカイブ 。February 22, 2020 閲覧。
参考文献
関連文献
Ammen, Sharon (2016). May Irwin: Singing, Shouting, and the Shadow of Minstrelsy . Urbana, Chicago, and Springfield: University of Illinois Press. ISBN 0252040651
外部リンク