ミス・アメリカ(Miss America)は1921年に始まった、アメリカ合衆国を代表するミス・コンテスト。
歴史
1921年9月7日に第1回大会がニュージャージー州アトランティックシティで行われ、中止された年は少なく、戦争中も開催されていた。1954年からテレビ中継が始まり、全米ネットで放送される。特に、1979年までの25年間、バート・パークスが名司会者として話題を集めた。なお、バートは1990年(実質1991年大会)の70周年記念大会にゲストとして特別出演した。会場であったボードウォーク・ホールの横にはバートの銅像がある。1980年代にはゲイリー・コリンズ、1990年代にはレギス・フィルビンとキャシー・リー・ギフォード、2000年代後半にはマリオ・ロペスが司会を務めた。
1984年大会には、ヴァネッサ・ウィリアムスが優勝し、黒人初のミス・アメリカが誕生した。しかし、ペントハウス誌に掲載された彼女の写真をめぐるスキャンダルにより、ヴァネッサ自らがタイトルの返上を申し出たが、彼女の承諾なき不当な掲載であったことが確認されたためタイトルホルダーとして認められている。そうした経緯で、第2位のシュゼット・チャールズもミス・アメリカとして認められている。(詳細は、「ヴァネッサ・ウィリアムス」を参照)
2001年大会にはハワイ州代表のフィリピン系アメリカ人のアンジェラ・ペレス・バラキオが優勝し、初のアジア系のミス・アメリカとなった。
2002年大会(2001年9月)は開催直前にアメリカ同時多発テロ事件が発生。大会も他イベントの自粛ムードで危ぶまれていたが、予定通り開催された。
しかしABCは2005年大会をもって中継契約を打ち切り。2006年から開催都市をネバダ州ラスベガス(プラネット・ハリウッド)に移し、テレビ中継もカントリー・ミュージック・テレビジョンに変更されたが、2007年大会をもって放送契約を打ち切り。2008年から2010年まではTLCで放送された。2011年から3年間はABCで放送され、2014年大会(2013年9月)は再びアトランティックシティで開催された。
その2014年大会にはニューヨーク州代表のインド系アメリカ人のニーナ・ダヴルリが優勝し、アジア系アメリカ人としては2人目のミス・アメリカとなった(次点もカリフォルニア州代表の中国系のクリスタル・リー)。しかし、ネット上などではダヴルリをアラブ系、あるいはイスラム教徒と思い込んだ人々からの中傷が相次ぐ事態となり、その一方で、人種差別的なコメントをする人々への非難も起こるなど、単なるミスコンテストを超えた社会問題となった。2018年1月、ミス・アメリカ機構会長に1989年大会優勝のグレッチェン・カールソン(FOXニュースの元ニュースキャスター)が就任。さらに6月、水着・イブニングガウン審査を廃止すると発表した[1]。2020年大会(2019年12月)は舞台をコネチカット州のモヒガン・サンで開催が決定し、同時に1996年大会以来となるNBCで放映が決定した。
2020年は新型コロナウイルス感染拡大で2021年に100周年記念大会として延期される[2]。そのため、ミス・アメリカ2019は2020年12月の任期切れを迎えても1年延長されることが発表された[3]。2022大会はPeacock独占放送となった。2024大会はフロリダ州オーランドのウォルト・ディズニーシアターで開催予定。
ミス・アメリカのテーマ曲は1954年から「There She Is」で、開催地がラスベガスに移ってからは歌詞の前半部分がなくなった。
最多優勝回数はカリフォルニア州、オハイオ州、オクラホマ州の各6回ずつ。
大会方式
大会が17歳から24歳の米国籍を有する未婚女性が参加し、各州代表の地区予選、ミス・アメリカ各州代表大会を勝ち抜き、ミス・アメリカの舞台に立つ。全米50州に、コロンビア特別区、アメリカ領ヴァージン諸島の代表52名が参加する。大会は水着、イブニングドレス、タレント、インタビュー審査を経て、優勝者を決める。各予備コンテストの入賞者には奨学金が授与される。またコンテストの優勝者には奨学金50,000ドルが、第2位には25,000ドル、第3位には20,000ドルが贈られる。ただし100周年大会の2022大会の優勝者には10万ドルの奨学金が授与された。
歴代のミス・アメリカ
関連映画
脚注
関連項目
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外部リンク