マシュー・ブルーム (Matthew Jason "Matt" Bloom、1972年 11月14日 - )は、アメリカ合衆国 の元プロレスラー 、トレーナー、カラーコメンテーター。マサチューセッツ州 ピーボディ 出身。
Aトレイン (A-Train)、プリンス・アルバート (Prince Albert)、ジャイアント・バーナード (Giant Bernard)、ロード・テンサイ (Lord Tensai)、テンサイ (Tensai)、ジェイソン・アルバート (Jason Albert)などのリングネーム で知られる。
かつては、その背中の毛の濃さから「Shave your Back!(背中を剃れ!)」とのコールを観客から受けることが多かった。現在は体毛は脱毛しており全身に新たにタトゥー を入れていて、乳首 や耳にピアスを付けている。
来歴
学生時代はピッツバーグ大学 でアメリカンフットボール をしていた。卒業後はNFL のサンディエゴ・チャージャーズ に入り、その後学校の教師をしていた。その後、プロレスラーを志しキラー・コワルスキー の道場でトレーニングを始める。
プロレスデビューは1997年 。インディ団体を経て1999年 にWWF(現WWE)入り。WWFでは2000年 に名乗りだした「アルバート 」のリングネームを使い出すまで、複数のギミック 、リングネームを与えられた。
2000年 にテスト 、トリッシュ・ストラタス と「T&A 」を結成。ダッドリー・ボーイズ やAPA などと抗争した。
2001年 に復活したXパック 、ECW から移籍してきたジャスティン・クレディブル とヒールユニット「X-Factor 」を結成した。WWF対WCW/ECW連合軍 のストーリーの中ではケインからIC王座 の奪取に成功した(後にランス・ストーム に奪われる)。この時期がWWE所属時のハイライトと言える。また、対連合軍ストーリーが終結した後はスコッティー・2・ホッティ とタッグを組み、お茶目な一面を見せていた。
2002年 に入り、WWEのテレビ番組分割時はスマックダウン 側に属した。また、ポール・ヘイマン のアイデアでリングネームを「Aトレイン 」に変更する。ポール・ヘイマンらのチームに属し、ヒール として活動した。
この時代、体の小さなクリス・ベノワ をはじめとした他のレスラーの引き立て役といった位置づけの試合が多かったが、この頃すでにTVテーピングの試合でキン肉バスター を披露するなど(「見たことのない技」と解説された)、日本のプロレスへの興味を示していた。2004年 にはスマックダウンからRAW に移籍したが、まったく活躍しないまま同年11月1日にWWEを解雇された。
WWE解雇後は、リングネームを「ジャイアント・バーナード 」として、2005年 3月20日に全日本プロレス に登場、「VOODOO-MURDERS 」に加入し、4月のチャンピオン・カーニバル で佐々木健介 に圧勝したことで一躍脚光を浴びる。2005年末に新日本プロレス へ移籍し、2006年 1月4日の東京ドーム 興行にて中西学 相手に新日本プロレスでの初試合を行った。また、同年5月には第2回NEW JAPAN CUP では永田裕志 を破り初優勝しIWGPの挑戦権を獲得した。5月3日福岡国際センターでブロック・レスナー の持つIWGPヘビー のタイトルに挑戦もバーディクト でピンフォール負け。
2007年 元旦に放送されたビートたけしのお笑いウルトラクイズ の『字読みプロレス』コーナーに出演した際には、森三中 の(まともでない)お色気攻撃に陥落したり、寝起きのお笑い芸人達(主にカンニング竹山 等)を襲撃してお仕置きをしたり、朝御飯のオカズを芸人達に分けるなど、お茶目で可愛らしい一面を見せた。来日当初は典型的な怪物キャラクターとして暴れまわるのが仕事であったが、この頃から試合中でも外見に似合わぬ愛嬌を見せるようになり、また同時に日本人好みの試合技術も身につけたことにより「微笑みの圧殺獣」としてベビーフェイス 的な人気を呼ぶようになった。
同年3月11日、愛知県体育館 においてトラヴィス・トムコ をパートナーに中西学 &大森隆男 組(ワイルド・チャイルド)を下し、第50代IWGPタッグ王座を獲得。約1年間に渡って5度の防衛戦を制覇し、この間G1 TAG LEAGUE でも優勝するなど、最強外人タッグとして暴れ回った(先発を毎回ジャンケンで決めるのがお約束であった)。このタッグは2008年 2月にトムコが新日本離脱を表明し、直後の6度目の防衛戦で敗北するまで続いた。
その後もユニット「RISE 」の一員として中邑真輔 らと共闘していたが、同年9月の後楽園ホール大会で突如RISEを離脱して「G・B・H 」へ加入。これをきっかけに再び本来のヒールレスラーとして活動し始めるも、2009年 4月に中邑、矢野らが結成した新ユニット「CHAOS 」のメンバーに。CHAOS加入後はカール・アンダーソン とのタッグチーム、バッド・インテンションズ (BAD INTENTIONS )として天コジ 、ワイルドチャイルドなど様々なタッグチームを撃破。G1 TAG LEAGUEでは始まって史上初となる全戦全勝という快挙を成し遂げ優勝を果たした。
2010年 の4月にパートナーのアンダーソンがCHAOSから追放されるに伴い、CHAOSを脱退。同年5月3日にBAD INTENTIONSとしてNO LIMIT と青義軍 を相手にIWGPタッグ王座に挑戦、アンダーソンが青義軍の井上亘 にフォールを奪われた事で敗退、IWGPタッグ王座が青義軍に移動する。翌6月にNO LIMITの再戦申し立てにより3WAYマッチイリミネーションルールで再戦、NO LIMITを青義軍と共同で退け、アンダーソンが井上をガン・スタンで下したことでIWGPタッグ王座を戴冠する。翌7月にNO LIMITが巴戦で再び再戦を直訴した為、同じ3組で試合を行い、先に2連勝したことで初防衛に成功し、ほどなくしてリマッチしてきた青義軍に勝利し2度目の防衛に成功する。同年のG1タッグリーグにシード権で出場、決勝トーナメントまで上り詰めるもトーナメント準決勝で青義軍に敗退、同じ準決勝でNO LIMITに敗退した日墨マッスルオーケストラと並びベスト3に入り、時期間もなくしてG1 TAG LEAGUEに優勝した青義軍とIWGPタッグベルトを掛けて対戦し、3度目の防衛に成功する。
ジャイアント・バーナード時代
2011年 、1月4日の東京ドームにてIWGPタッグの3WAYマッチで日墨マッスルオーケストラ(中西学 ・ストロングマン 組)、ビアマネー・インク (ジェームズ・ストーム ・ロバート・ルード 組)と対戦[ 1] 、アンダーソンがルードをガン・スタンで沈めた事で4度目の防衛に成功する。翌22日の後楽園ホールにてCMLLのOKUMURA・アトランティス組を、2月20日の仙台大会にて日墨マッスルオーケストラを倒し防衛記録を6にする。
また、他団体の試合にも参加、NOAH のGHCヘビー級王者 杉浦貴 が8度目の防衛に成功した時のインタビューで「デカイ外人と闘いたい」とコメント。それに反応する形で挑戦を表明し、2月19日の調印式で杉浦をパワーボムで机に叩きつけ腰を負傷させ、先制攻撃を行った。3月5日、有明コロシアムでのGHCヘビー級選手権試合は、終始杉浦の負傷個所の腰を徹底して攻撃するが、杉浦の連続でのオリンピック予選スラムに敗れる。
5月3日の新日本プロレス福岡大会にてNO LIMITと対戦、当時不協和音が鳴っていたNO LIMITの誤爆を誘い続け、難なく7度目の防衛に成功した。
6月18日、BAD INTENTIONSとしてプロレスリング・ノアのGHCタッグ王座 、高山善廣 、佐野巧真 組と双方のベルトを賭けたダブルタイトルマッチで対戦。バーナードライバーで佐野を沈めIWGPタッグ8度目の防衛に成功するとともに、第22代GHCタッグ王座につく。同日のメインイベント棚橋弘至 対後藤洋央紀 のIWGPヘビー級王座戦終了後、棚橋のIWGPベルトに挑戦表明し、北海道での対戦が決定する。
7月3日、棚橋・後藤組を相手にIWGPタッグ王座を賭けて対戦。パートナーのアンダーソンが後藤をガン・スタンで沈めて9度目の防衛に成功。
同月18日、棚橋のIWGP王座に挑戦。数々の腰攻めで棚橋を追いつめるも、棚橋のダルマ式ジャーマンで3カウントを奪われる。試合後、マイクを片手に「タナハシ!イチバーン!」と叫び棚橋とガッチリ抱擁。棚橋の健闘を称えた。
G1 TAG LEAGUEでの対戦をきっかけに新日本プロレス侵略軍「鈴木軍 」の頭領・鈴木みのる との因縁が勃発、12月4日に鈴木とのシングルマッチが組まれ、幾度と無く逃れることに成功していた鈴木のゴッチ式パイルドライバーで敗れてしまう。
2012年 1月4日、東京ドームで開催されたレッスルキングダムVI で、長らく保持し続けていたIWGPタッグ王座 をテンコジ (天山広吉 、小島聡 組)に敗れ、王座から陥落。12日にはGHCタッグ王座 を秋山準 、齋藤彰俊 組に奪われ、タイトルを全て失う。
2月12日、THE NEW BEGINNING で、IWGPタッグ王座を賭けてテンコジとのリターンマッチに臨むも、小島のラリアットで自身がピンフォール負けを喫し、奪取ならず。試合後のコメントでBAD INTENTIONSとしての活動を休止することを宣言した。
4月2日、WWEのRAWにてマネージャーのサカモト を従え、「ロード・テンサイ 」として登場。テンサイは「天災」と書く。解説陣から「元WWE、日本で圧倒的な強さを誇った」と紹介された。その後、リングネームを「テンサイ 」と改名。これに前後してヨシ・タツ がテンサイ=天災=東日本大震災 を想起させる事から、Twitter にてリングネームを批判するTweetを行った(現在は削除されている)。デビュー戦では若手相手に圧倒的勝利。シナやパンクとの戦いでも、サカモトらの介入がありながらも勝利をもぎ取り、恐れられる存在であったが、シェイマスに敗れるなど次第に苦戦するようになる。活躍の機会が減ってくると若手相手にも苦戦し、敗戦も多くなった。それでもマネー・イン・ザ・バンク、サバイバー・シリーズ、ロイヤルランブルとPPVには出場している。
2013年 1月28日、RAWルーレットにおいて、ブローダス・クレイ とのランジェリー・ピロー・ファイト を命じられるも拒否。後に試合内容がダンス対決に変更されたことを知らずに、リング上に下着姿で登場、さらにはダンスまでして見せた。2月1日のSmackDownでは、3MB に襲われるテンサイをクレイが救出し、2人(とファンカダクタイルズ)でリング上で勝利のダンスを披露して見せ、ベビーターン した。そしてクレイとタッグを結成し、スウィート・ティー (Sweet T )というニックネームを名づけられた。以降、トンズ・オブ・ファンク (Tons of Funk)なるタッグ名で活動。
同年10月より傘下団体であるNXT にて解説として登場。2014年 2月よりリングネームをジェイソン・アルバート (Jason Albert )へと変更し、カラーコメンテーターやバックステージアナウンサーなど裏方の仕事を行っている。
2014年 8月 、ビデオブログでレスラーから引退するを発表した[ 2] 。
2015年 5月 よりNXT のヘッドコーチに就任し、フロリダのWWEパフォーマンスセンターで若手育成の舵をとっており、2024年現在は人材開発部門の副代表となっている[ 3] 。
リングネーム
ブルームが名乗ったことがあるリングネーム
プリンス・アルバート (Prince Albert)
アルバート (Albert)
Aトレイン (A-Train)
ジャイアント・バーナード (Giant Bernard)
ロード・テンサイ (Lord Tensai)
テンサイ (Tensai)
ジェイソン・アルバート(Jason Albert)
得意技
フィニッシュ・ホールド
セントーン・スプラッシュ
2012年、WWE 復帰時のフィニッシャー。
クロー
2012年WWE復帰時のもう一つのフィニッシャー。緑色のミスト で敵の目をくらませ、その顔を思い切り掴んで倒してしまうが、すぐに使われなくなった。
バーナードライバー
新日本プロレス 移籍後に開発したフィニッシュ・ホールド 。技名は、バーナードのドと、ドライバーのドを重ねて作られている。NEW JAPAN CUP優勝などの大場面で活躍した技であり、新日本の公式youtube動画でも「バーナードライバー」として公開されている。
リバース・パイルドライバー 。
相手をオクラホマ・スタンピード の体勢で持ち上げて相手の腰と頭を両腕で抱え込みながらそのまま逆さまにして抱え上げ、その状態から自分の両足を開脚すると同時に尻餅を着くように着地、同時に相手を頭部からマットへ激突させる。
バーナード・ボム
二段階式ライガー・ボム 。
一度相手を持ち上げた状態から、さらに高く相手を持ち上げてから仕掛けるライガーボム。
ビルディング・ボム
ラストライド の派生技で、ラストライドの体勢で持ち上げ、自身もそのままジャンプして、マットに思いきり開脚式で叩き付けるという荒技。
バーナード・ボムで開脚式ラストライド(後述)。保坂秀樹 の同名技と同じ。
上記のバーナード・ボムと明確に区別されているがこの技もバーナード・ボムと実況されることがほとんどである。
ラストライド
二段階式パワーボム 。
アンダーテイカーのフィニッシュ・ホールドであり新日本移籍後から使用。
相手を一度抱え上げた後で相手のタイツの両サイドを握り、さらにもう一段高い位置に高々と抱え上げてから叩き落す技。
応用編として折りたたみ式のテーブルの上に叩きつけるハードコア式や、場外で相手を持ち上げ、リングのエプロンに叩きつける危険な使用法も存在する。
ボルドー・ボム
ネック・ハンギング・ツリー で持ち上げ、そのまま相手を後頭部から叩きつける開脚式パワーボム。
ボルドー・ボム→ディレーラー→ボルドー・ボムと技名称を変遷、バルドー・ボム とも表記。
リバース・スプラッシュ
バーナードライバー開発以前にボルドー・ボムと共にフィニッシュ・ホールドとして使用。セカンドロープに登った際に客席を見渡すなど余裕を見せつけて放つ場合もあるが、その場合はかわされたり足を立てられて反撃されたりすることもある。
ボディ・スプラッシュ
主にコーナーへ振った相手への串刺し攻撃として使用。タッグマッチでは別々のコーナーへ振った相手に対してそれぞれ奇声を上げながら仕掛ける場面も見せる。
トレイン・レック
カナディアン・バックブリーカー の体勢で相手を担ぎ上げてジャンプし肩で相手の腰を破壊するWWE時代のフィニッシュ・ホールド。
飛び技
セントーン
アンダーソンとのタッグ時に、アンダーソンの「ダイジョウブ?」コールに「ドウゾ!」と返し、アンダーソンが「スイマセーン!」、バーナードが「ゴメンナサーイ!」と叫びながら放つ。
投げ技
スピニング・パンケーキ
アルゼンチン・バックブリーカー の体勢からのダイヤモンド・カッター 。同じ新日本所属の中西学 のヘラクレス・カッターと同型。
滞空式ダブルアーム・スープレックス
滞空時間が非常に長いダブルアーム・スープレックス 、そのため受身が取りづらい。
関節技
アルゼンチン・バックブリーカー
両肩上に相手を仰向けに担ぎ上げて、相手の背中を反らせてダメージを与える技。
打撃技
バイシクル・キック
ランニング式の二段蹴り。
スロート・チョップ
いわゆる地獄突き。チェンジ・オブ・ペースとしてよく使用。
タイトル歴
PPW
PPWヘビー級王座 : 1回
PPWヤングガン王座 : 1回
WWF / WWE
新日本プロレス
パートナーはトラヴィス・トムコ→カール・アンダーソン
プロレスリング・ノア
IZW
EXW
入場曲
Pierced
Emergency
What'chu Lookin' At?
Fact or Fiction - Xファクター時代に使用
Bangin’ It - スコッティ・2・ホッティとのコンビ時代に使用
Disgusing
Sticks and Stones
Derailer - Aトレイン時代に使用
Shrine
Rising Giant
Somebody Call My Moma - トンズ・オブ・ファンク時に使用
その他
ジャイアント・バーナードというリングネームは、かつて大木金太郎 の耳を角材でそぎ落としたことで知られるブルート・バーナード の息子ということからつけられたが、これはギミック で実際は血縁関係はない。
試合中も耳や唇、乳首などに付けているピアス・アクセサリ類を外すことはない。そのため中西にアルゼンチン・バックブリーカー を掛けられる時にはいつもネックレスを掴んで持ち上げられていた。
プライベートでは元教師の肩書きを持つ温和な人柄で知られており、来日外国人レスラーの日本での世話役なども引き受けるほか、中邑をはじめ日本人レスラーとも親交が深い。特に棚橋とは2006年からの深い信頼関係と絆で結ばれている。趣味は読書、愛犬と遊ぶこと。ちなみに、愛犬の名前は「タナー」。
既婚。週刊プロレス でお宅訪問の取材を受け、プールつきの豪邸に住んでいることが判明。
試合に勝利すると、「イヤァアー!」という叫び声を上げ、喜びをアピールする。
2011年に入ってからは勝利した後、マイクを片手に「シンニホン!イチバーン!」と勝鬨の声を上げるようになった。
脚注・参照
外部リンク
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