マイケル・フレミング(英語: Michael Fleming、1668年7月12日 – 1718年5月頃)は、イングランド王国出身の政治家。
生涯
サー・ダニエル・フレミング(英語版)(1701年3月25日没)とバーバラ・フレッチャー(Barbara Fletcher、初代準男爵サー・ヘンリー・フレッチャーの娘)の六男として、1668年7月12日に生まれた[1]。1683年から1685年までホークシェッド・グラマースクール(英語版)で教育を受けた[1]。
兄が5人、弟が5人という大家族だったため、父は家計への負担を減らすためフレミングの職探しに苦心、1693年にようやくジェームズ・スタンリーの歩兵連隊にエンサイン(英語版)として入隊させることに成功した[1]。以降大同盟戦争のフランドル戦線で戦い、ネールウィンデンの戦い(1693年)とナミュール包囲戦(1695年)に参戦、1694年に中尉に、1697年に大尉に昇進したが、同年の大同盟戦争終戦に伴いジェームズ・スタンリーの連隊も1699年4月に解散された[1]。1699年7月にジェームズ・スタンリーの連隊のうち唯一解散されずに残った中隊に中尉として加わり、1701年に大尉に昇進した後、スペイン継承戦争に参戦、1704年のブレンハイムの戦いで負傷した[1]。
1707年、兄ウィリアムの選挙活動によりウェストモーランド選挙区(英語版)の補欠選挙で庶民院議員に当選した[2]。しかし議会での活動は記録にほとんど残らず、どの党派に属したことすら不明であり、翌年の総選挙にも出馬せず軍務に戻った[1]。1708年5月、少佐に昇進した[1]。
1718年5月頃にキングストン・アポン・ハルで死去した[1]。
家族
ドロシー・ベンソン(Dorothy Benson)と結婚して、1男1女をもうけた[1]。
- ウィリアム(1757年没) - 第3代準男爵、庶民院議員
出典
- ^ a b c d e f g h i Cruickshanks, Eveline (2002). "FLEMING, Michael (1668-1718).". In Hayton, David; Cruickshanks, Eveline; Handley, Stuart (eds.). The House of Commons 1690-1715 (英語). The History of Parliament Trust. 2020年6月7日閲覧。
- ^ Cruickshanks, Eveline; Harrison, Richard (2002). "FLEMING, William (1656-1736), of Rydal, Westmld.". In Hayton, David; Cruickshanks, Eveline; Handley, Stuart (eds.). The House of Commons 1690-1715 (英語). The History of Parliament Trust. 2020年6月7日閲覧。