初代準男爵 サー ・ウィリアム・フレミング (英語 : Sir William Fleming, 1st Baronet 、1656年 3月15日 – 1736年 8月29日 )は、イングランド王国 出身の政治家、準男爵 。
生涯
サー・ダニエル・フレミング (英語版 ) (1701年3月25日没)とバーバラ・フレッチャー(Barbara Fletcher 、初代準男爵サー・ヘンリー・フレッチャー の娘)の長男として、1656年3月15日にライダル・ホール (英語版 ) で生まれた[ 1] 。2歳のときに転んで足が脱臼し、以降生涯にわたって片足が不自由になった[ 1] [ 2] 。
1688年までに父との間で確執が生じたが、仕送りの金額によるものであり、政見が違うというわけではなかった[ 2] 。例えば、1688年にイングランド王ジェームズ2世 がカトリック刑罰法 と審査法 に関する質問状を出したとき、フレミングは父の指示に従って曖昧な回答をした[ 2] 。1695年イングランド総選挙 でフレミングのウェストモーランド選挙区 (英語版 ) からの出馬が取り沙汰されたが、父が明確に出馬を反対した[ 2] 。1696年5月にウェストモーランド選挙区の議員第2代準男爵サー・ジョン・ラウザー (英語版 ) がロンズデール子爵 に叙され、貴族院 に移籍すると、補欠選挙が行われることとなり、フレミングはロンズデール子爵、第3代カーライル伯爵チャールズ・ハワード (ウェストモーランド統監 (英語版 ) )、第2代準男爵サー・ジョージ・フレッチャー (英語版 ) (母方の親族)の支持をとりつけて出馬を表明したが、父が選挙の莫大な出費を理由に公にフレミングの出馬を批判した[ 2] 。フレミングはそのまま出馬を取り下げず、無投票で当選した[ 2] 。
当選直後に父から「若者が政治ばかり考えると、往々にして自身にとって重要なことを害してしまう」と心配されたためか、議会では麦芽税法や地税法に反対するなどウェストモーランドの利益を守るよう行動した[ 2] 。その後、ロンズデール子爵の影響力により1698年7月に関税委員会(excise commission )の委員に任命され、これにより毎年800ポンドの収入が得られて家計が安定するように思われたが、1700年2月に地税法が改正された結果、関税委員と庶民院議員の兼任ができなくなり、フレミングはどちらかを選ぶよう迫られた[ 2] 。同年6月、フレミングは関税委員に留任することを選択、父からこの決定を褒められた[ 2] 。以降フレミングはアン女王 の即位(1702年)まで関税委員を務めた[ 2] 。
1702年イングランド総選挙 で再びウェストモーランド選挙区 (英語版 ) から出馬したが、258票しか得られず(得票数4位)に落選した[ 3] 。その後、1704年の補欠選挙で次の総選挙に出馬しないことを条件にホイッグ党 員からの支持を確保して無投票で当選した[ 2] 。やがてこのことを後悔して出馬を模索したが失敗、代償として[ 2] 1705年10月4日に準男爵 に叙された[ 1] 。この準男爵位は特別残余権(special remainder )が規定され、初代準男爵の男系子孫が断絶した場合は初代準男爵の父の息子(すなわち、初代準男爵の弟たち)に継承権を与えると定められた[ 1] 。以降もウェストモーランド政界で活躍、1707年の補欠選挙では弟マイケル の当選に向けて選挙活動を行った[ 2] 。
1736年8月29日にライダル・ホール (英語版 ) で死去した[ 1] 。息子をもうけなかったため、準男爵位は特別残余権に基づき弟ジョージ が継承した[ 1] 。
家族
1723年8月1日、ドロシー・ローランドソン(Dorothy Rowlandson 、1757年3月31日没、トマス・ローランドソンの娘)と結婚、3女をもうけた[ 1] 。
ドロシー - エドワード・ウィルソン(Edward Wilson )と結婚
バーバラ - エドワード・パーカー(Edward Parker )と結婚
キャサリン - 第4代準男爵サー・ピーター・レスター と結婚
出典
^ a b c d e f g Cokayne, George Edward , ed. (1904). The Complete Baronetage (1665–1707) . Vol. 4. Exeter: William Pollard & Co. p. 192.
^ a b c d e f g h i j k l m Cruickshanks, Eveline; Harrison, Richard (2002). "FLEMING, William (1656-1736), of Rydal, Westmld." . In Hayton, David; Cruickshanks, Eveline ; Handley, Stuart (eds.). The House of Commons 1690-1715 (英語). The History of Parliament Trust. 2020年6月7日閲覧 。
^ Cruickshanks, Eveline; Harrison, Richard (2002). "Westmorland" . In Hayton, David; Cruickshanks, Eveline ; Handley, Stuart (eds.). The House of Commons 1690-1715 (英語). The History of Parliament Trust. 2020年6月7日閲覧 。