ウォルシンガム女伯爵ペトロニラ・メルジーネ・フォン・デア・シューレンブルク(英語: Petronilla Melusine von der Schulenburg, Countess of Walsingham、1693年4月1日 - 1778年9月16日)は、グレートブリテン王ジョージ1世と愛妾のケンダール女公爵エーレンガルト・メルジーネ・フォン・デア・シューレンブルクの庶子、チェスターフィールド伯爵夫人。
生涯
グレートブリテン王ジョージ1世と愛妾のケンダール女公爵エーレンガルト・メルジーネ・フォン・デア・シューレンブルクの庶子として生まれた[1]。フリードリヒ・アハズ・フォン・デア・シューレンブルク(Friedrich Achaz von der Schulenburg)と妻マルグレーテ・ゲルトルート(ケンダール女公爵の姉)の娘として洗礼を受けた[2]。ジョージ1世の娘であることが公的に認定されることはなく、あくまでもケンダール女公爵の姪として扱われた[2]。
1711年にハノーファー選帝侯妃ゾフィーの女官になり、1714年に姉アンナ・ルイーゼ(1692年生)と妹ゲルトルート(1701年生)とともにイギリスに移住した[2]。1722年にイギリスに帰化したが、強いドイツ訛りは最後まで直らなかった[2]。同年4月7日、一代貴族であるグレートブリテン貴族におけるサフォーク州のアルドバラ女男爵とノーフォーク州のウォルシンガム女伯爵に叙された[1]。
1733年9月5日、ミドルセックスのアイズルワースでホイッグ党の政治家第4代チェスターフィールド伯爵フィリップ・スタンホープと結婚した[1]。2人の関係は疎遠だったが、チェスターフィールド伯爵がアイルランド総督に就任したとき、ウォルシンガム女伯爵は同伴してダブリンに向かった[2]。
2人の間に子供はいなかったが[1]、1723年に第5代バルティモア男爵チャールズ・カルバート(英語版)と秘密結婚して、1730年から1732年頃にベネディクト・スウィンゲート・カルバート(英語版)を非嫡出子として産んだ可能性がある。ベネディクトの母は不明であるが、一部の文献ではベネディクトの母をメルジーネ・フォン・デア・シューレンブルクと示唆した[3]。
1778年9月16日に死去した[1]。母と姉アンナ・ルイーゼと同じくメイフェアのグローヴナー・チャペル(英語版)に埋葬された[2]。
出典
外部リンク