ベルリン国立歌劇場 (ベルリンこくりつかげきじょう、独 : Staatsoper Unter den Linden )は、ドイツ の著名な歌劇場 (オペラハウス)である。本拠地はベルリン市 のウンター・デン・リンデン 通りに面したところにある。オペラ 公演のほか、付属するオーケストラ がシュターツカペレ・ベルリン (ベルリン国立歌劇場管弦楽団)の名称で活動することでも知られる。別名リンデン・オーパー(リンデン・オペラ)。第二次世界大戦 後のドイツ東西分裂時代は、西ベルリン にベルリン・ドイツ・オペラ が属したのに対し、ベルリン国立歌劇場は東ドイツ の統治する東ベルリン 側に属した。ドイツ統一後は州と同格の独立市であるベルリンに所属するため、厳密にはベルリン市立歌劇場または州立歌劇場と訳するのが正しいが、独立性の高い地方政府が運営することもあって他の州立歌劇場と同様、「国立歌劇場」と呼ばれることが多い。
初期の歴史
ベルリン宮廷歌劇場(1832年)
最初の建物はプロイセン王 フリードリヒ2世 の命により1741年 7月に起工された。これは「フリードリヒ広場 」を構成する最初の建築物でもあった。建物は未完成ながら、1742年 12月7日にカール・ハインリヒ・グラウン の『クレオパトラとシーザー』の上演で開場した。この上演が、国立歌劇場および16世紀に遡る起源をもつ管弦楽団の250年にわたる成功した協力の始まりであった。
1842年 、ゴットフリート・ヴィルヘルム・タウベルトはオーケストラの定期公演の制度を作った。同年、マイアベーア がスポンティーニ の後任として総支配人に就任した。また、メンデルスゾーン もシンフォニーコンサートの指揮者を1年間務めた。
1843年 8月18日、ウンター・デン・リンデンの劇場は火災で焼失する。翌1844年 、建築家カール・フリードリヒ・ラングハンスによる新劇場が竣工し、マイアベーアの『シュレジアでの野営』の上演で開演した。
1849年 にはニコライ の『ウィンザーの陽気な女房たち 』を作曲家自身の指揮で初演している。
20世紀
ベルリン国立歌劇場(1941年) 19世紀末から20世紀初頭にかけて、ベルリン国立歌劇場にはヴァインガルトナー 、ムック 、R.シュトラウス 、ブレッヒ などの傑出した指揮者が登場した。
1918年 のドイツ帝国 の崩壊後、歌劇場は「ウンター・デン・リンデン国立歌劇場」(リンデン・オパー)、宮廷管弦楽団は国立歌劇場管弦楽団に改称された。
1920年代にはフルトヴェングラー 、E.クライバー 、クレンペラー 、ツェムリンスキー 、ワルター らが指揮台に登った。1925年にはベルク の『ヴォツェック 』の初演が、E.クライバーの指揮で作曲家を前にして行われた。また、このころドイツは第一次大戦の賠償問題 からマルクが急激に下落しハイパーインフレ となり、歌劇場の正面に用意されているドイツ皇帝の席の料金が高くなりすぎて空席が続いたため、外貨を持つ日本人客などにあてがわれた[ 1] 。
1928年 4月には近代化改修を経て『魔笛 』の新演出で公演を再開した。同年有名なロシア のバス 歌手シャリアピン 、ディアギレフ のロシア・バレエ団 と指揮者のアンセルメ が客演に加わった。1930年 、E.クライバーが指揮してミヨー の『コロンブス』を初演した。しかし1934年 、ベルク の『ルル 』組曲がクライバー指揮で演奏されると、ナチ党 がスキャンダルを扇動し、クライバーは亡命 を余儀なくされる。
ヒトラー 率いるナチ党の政権掌握後、ユダヤ系の団員は解雇された。クレンペラー 、ブッシュ など、歌劇場に関わる多くのドイツ人音楽家が亡命した。第三帝国 支配下ではロベルト・ヘーガー 、ヨハネス・シューラー およびカラヤン が楽長を務めた。1944年、カラヤンの指揮で最初のステレオ 録音が実施された。
第二次世界大戦 中、歌劇場の建物は2回の爆撃を受けて完全に破壊された。最初(1941年 )の爆撃後は速やかに修復されたが、2回目の破壊(1945年 )からの再建は長期を要した。再開にあたって、2回ともリヒャルト・ワーグナー の『ニュルンベルクのマイスタージンガー 』が上演された。また、1945年にはベルリン・ドイツ国立歌劇場と改称された。
戦後の復興
ベルリン国立歌劇場(2009年)
1955年 に再建され、ヴェーバー の『オイリアンテ 』の上演で幕を開けた。1961年 、ベルリンの壁 が築かれると、東ベルリン に属するこの歌劇場は西側 世界からは隔絶された。古典派 からロマン派 に加え近代 ・現代 のバレエ とオペラを含む広範囲なレパートリーを維持し、西側への海外公演なども行われた。この時期にはカイルベルト、コンヴィチュニー 、レーグナー 、スウィトナー 等が音楽監督を務めている。
東西ドイツの再統一 後は再興が進められた。過去上演されていた重要な作品が再発見されてベルリン・ドラマトゥルギーの枠組みで改めて議論された。特に『クレオパトラとチェーザレ』『クロイソス』『グリセルダ』などバロック オペラが注目の的となった。これらの作品はフランデレン 出身の指揮者ルネ・ヤーコプス とベルリン古楽アカデミー およびフライブルク・バロック管弦楽団 によりオリジナル楽器で演奏された。
1992年 、アルゼンチン 生まれのイスラエル 人指揮者・ピアニストのバレンボイム が音楽監督に指名された。2002年 のベルリン音楽祭 ではバレンボイムが指揮し、演出家ハリー・クプファー との協力で制作されたヴァーグナー作品の連続公演が10回にわたり開催された。
2010年 からは、老朽化した建物を修復する為に大改修工事が行われ、その間はビスマルク通りにあるシラー劇場を使って公演が続けられた。工事は当初3年間の予定であったが、大幅に遅れて2017年 に完成し、同年9月記念公演からウンター・デン・リンデンでの公演が再開された。
音楽総監督
脚注
^ 『行動する異端: 秦豊吉と丸木砂土』森彰英、ティビーエスブリタニカ, 1998、p57
外部リンク