ヘンリー・ジューダ・ハイムリック (英 : Henry Judah Heimlich 、1920年 2月3日 - 2016年 12月17日 [ 2] [ 3] )は、アメリカ合衆国 の胸部外科医 ・医学研究者 (英語版 ) で、その名を冠したハイムリック法 の開発者として広く知られている[ 2] [ 3] 。この方法は窒息した患者の腹部を突き上げて救命するもので[ 4] 、医学雑誌 "Emergency Medicine " 1974年 6月号に掲載されたハイムリックのエッセイで紹介された[ 5] [ 6] 。彼はまた、歩行する患者向けの移動式酸素装置であるマイクロ・トレイク(英: Micro Trach )や[ 7] 、胸腔から血液や空気を抜くために用いるフラッター・バルブ (英語版 ) (別名ハイムリック・チェスト・ドレーン・バルブ[ 注釈 2] などを開発している[ 8] 。
名字はドイツ語風に「ハイムリッヒ 」と表記されることもあるが[ 9] 、この記事では英語発音に近い[ 10] 「ハイムリック 」として統一する。
幼少期と教育
ハイムリックはフィリップとメアリー(旧姓エプスタイン)のハイムリック夫婦の息子として[ 注釈 3] 、デラウェア州 ウィルミントン で生まれた[ 1] [ 11] 。父方の祖父はハンガリー 系ユダヤ人 移民、母方の祖父はロシア 出身のユダヤ人だった。家族はすぐにニューヨーク州 ニューロシェル に移り[ 1] [ 11] 、彼はここで刑務所 のソーシャルワーカー だった父の仕事についていったという[ 1] 。ハイムリックは1937年 にニューロシェル高校 (英語版 ) を卒業してコーネル大学 に進んだ後、1941年 に学士(教養) (英 : B.A; Bachelor of Arts )を取得した。大学ではコーネル・ビッグ・レッド・マーチング・バンド (英語版 ) のドラム・メジャー (英語版 ) も務めた(1939年 )[ 12] 。ハイムリックは1943年 にワイル・コーネル・メディカル・カレッジ (英語版 ) (コーネル大学附属の医学部 )を卒業してM.D. の学位を得た[ 1] [ 13] 。当時フレクスナー・レポート (英語版 ) が実践に移されておらず、ハイムリックは2年で医学部(メディカル・スクール)を卒業することができた。
経歴
ハイムリック・バルブ
1962年 、ハイムリックは胸部ドレナージ に用いるフラッター・バルブ(別名ハイムリック・バルブ)を発明し[ 14] [ 15] 、1969年 には特許 を取得した[ 16] 。自身では、第二次世界大戦 中、胸部に被弾して死んだ中国人 兵士を見て着想を得たと語っていたが、中国 でハイムリックの医療助手を務めたフレデリック・ウェブスターは、この話に疑義を唱えている[ 17] 。このバルブは、気胸 や血胸 を起こした肺 を再拡張させるため、胸腔から空気や血液を抜く際に用いられる[ 18] 。この発明は、ベトナム戦争 時に多くのアメリカ人兵士の命を救った[ 19] 。
ハイムリック法
ハイムリック法を行う様子
ハイムリックが初めてこの方法について述べたのは、医学誌 "Emergency Medicine " へ1974年 6月に掲載された、"Pop Goes the Cafe Coronary" (意味:弾みでコーヒー冠動脈疾患に[ 注釈 4] )と題されたインフォーマルな記事でのことだった。同じ年の6月19日 には、『シアトル・ポストインテリジェンサー (英語版 ) 』紙が、引退したレストラン・オーナーのアイザック・ピハが、ワシントン州 ベルビュー で、ハイムリック法を使って窒息した女性を救命したと報じた[ 21] 。
1976年 から1985年 まで、アメリカ心臓協会 やアメリカ赤十字社 のガイドラインでは、背部叩打法が窒息救命の第一選択とされており、これでのどに詰まった異物が取り除けなかった場合にハイムリック法を用いるよう定められていた。1985年6月に開かれたアメリカ心臓協会の会合後、背部叩打法はガイドラインから削除され、翌1986年から2005年までのガイドラインでは、2団体ともハイムリック法を唯一の選択肢と定めていた。但し、アメリカ国立衛生研究所 や全米安全評議会 (英語版 ) では、1歳以下の乳児にはハイムリック法を行わないよう指導している[ 22] [ 23] 。
2005年に改訂されたアメリカ心臓協会によるガイドラインでは、"abdominal thrusts"(意味:腹部突き上げ法)としてハイムリック法が登場し、ハイムリック法・背部叩打法・胸部圧迫法のどれでも充分に効果があることが示された[ 24] 。
2006年春には、アメリカ赤十字社もハイムリック法の優先順位を引き下げ[ 25] 、1986年以前のガイドラインに立ち戻って背部叩打法などを併記する形にした。「ファイブ・アンド・ファイブ」と呼ばれている新しいガイドラインでは、意識のある患者に対し、まず背部叩打法を5回行い、それでも異物が取れない時に、ハイムリック法を5回行うよう推奨されている。また意識の無い患者に対しては、1976年にチャールズ・ギルドナーが[ 26] 、2000年にA・ランゲールがそれぞれ推奨したメソッドに従い[ 27] 、胸部圧迫法を行うよう推奨されている。2006年のガイドラインでは、旧来の「ハイムリック法」という単語が除去され、"abdominal thrust" との単語に統一された[ 28] 。
溺水 の救命手段としてこの方法を宣伝したハイムリックの行動には、手技が欺瞞だという主張がずっとついて回った[ 29] 。アメリカ心臓協会が作成した2005年版の溺水救命ガイドラインではハイムリック法の記載は無く[ 30] 、効果は立証されていない上、逆に嘔吐 による誤嚥 のリスクがあるとして、ハイムリック法の使用に注意を促している[ 30] 。
2003年には、ハイムリックの同僚であるエドワード・パトリックが、自分も開発者のひとりであるのに名前が載っていないとするプレスリリースを発表した[ 31] [ 32] 。
2016年 5月23日 には、自身でハイムリック法を行い、同じ介護老人福祉施設 に入所していた女性を助けたことでニュースとなった[ 33] [ 34] [ 35] 。当初、自身にとって初めてハイムリック法で救命した症例だったと報じられたが、後に誤報であったことが分かっている[ 35] 。彼は2003年のインタビューで、80歳の時に初めてハイムリック法で救命したことを語っていた[ 15] [ 6] 。
マラリア療法
1980年代初頭、ハイムリックはマラリア療法研究に従事し、医療的管理の下で比較的良性のマラリア に感染させ、癌 ・ライム病 ・後天性免疫不全症候群(AIDS) などの治療に用いる方法を研究した[ 36] 。2009年の段階でこの治療法は不成功に終わっており、科学的に無根拠で危険だと評されている[ 37] 。アメリカ食品医薬品局 ・アメリカ疾病予防管理センター はどちらもマラリア療法を認証せず、医療関係者や人権擁護者と共に、この方法が「残虐だ」("atrocious") と発表した[ 38] 。シンシナティ のディーコネス・アソシエーションズ(英: Deaconess Associations )に付随するハイムリック財団は、エチオピア で地元の保健省が関知しない間に、マラリア療法の実地試験を行っていた。ハイムリックはこの治験に関して7件の成功症例があったと述べたが、その詳細について語ることは拒否した[ 37] 。また治験に対し、治験審査委員会 の監査は一切入っていないという[ 32] 。
HIV ・マラリア感染が日常的に起こるアフリカ での研究は、マラリア・HIVへの二重感染がウイルス負荷 を増加させ、マラリアがHIVの伝染速度や病気の進行を加速させていると示唆している[ 39] [ 40] 。これらの研究に基づき、ポール・ファーマー はHIVのマラリア療法について、「現実味が無い。最もマラリア被害が酷い場所は確実に、HIVが残酷な仕打ちを成し遂げる場所でもあるのだ」と述べた[ 41] 。
私生活
1951年 6月4日 、ハイムリックは社交ダンス 興行主アーサー・マリー の娘であるジェーン・マリー(英: Jane Murray )と結婚した[ 14] 。妻ジェーンは、Maesimund B. Panos との共著でホメオパシー に関する本 "Homeopathic Medicine at Home " (意味:家庭向けホメオパシー医療)を出版している[ 42] 。
ハイムリック夫妻の間には4人の子どもが生まれた。フィル・ハイムリック(英: Phil Heimlich )は、以前はシンシナティ の公選職員(英: elected official )を務めていたが、現在では保守的キリスト教系ラジオ ・トークショーの司会を務めている。ピーター・ハイムリック(英: Peter Heimlich )の運営するウェブサイトでは、ハイムリック法など父親の業績に批判的な内容が書かれており、父親の欺瞞に満ちた業績を追求しようという姿勢を取っている[ 43] 。ジャネット・ハイムリック(英: Janet Heimlich )はフリーランスのレポーターで、さらにエリザベス(英: Elisabeth Heimlich )という娘もいる[ 13] 。
1970年代にヒットしたテレビ番組『ハッピーデイズ 』でウォーレン・"ポッツィー"・ウェバー(英: Warren "Potsie" Weber )を演じたアンソン・ウィリアムズ (英語版 ) は、ハイムリックの甥に当たる[ 44] [ 45] 。
ハイムリックの回顧録 "Heimlich's Maneuvers: My Seventy Years Of Lifesaving Innovation " は、2014年 にプロメテウス・ブックス (英語版 ) から出版された[ 46] [ 47] 。
死
ハイムリックは、2016年 12月12日 にシンシナティ ・ハイド・パーク (Hyde Park, Cincinnati ) にある自宅で心臓発作を起こした後、合併症のため12月17日 に同じくシンシナティのクライスト・ホスピタル (The Christ Hospital ) で亡くなった[ 2] [ 3] 。96歳没。死後に出された報道発表や追悼記事では、ハイムリックの生きている間に、アメリカ合衆国 だけで少なくとも10万人が、ハイムリック法 によって命を救われたと報じられた[ 48] [ 2] [ 3] 。
脚注
注釈
^ Jane Heimlich (née Murray)
^ 英: Heimlich Chest Drain Valve
^ 英: Mary (Epstein) and Philip Heimlich
^ 食べ物がのどに詰まることで起きる窒息のこと[ 20] 。
出典
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外部リンク