ブローム・ウント・フォス (Blohm + Voss ) はドイツ の造船 ・造機会社である。1877年 4月5日 にヘルマン・ブローム とエルンスト・フォス によって合名会社 として設立された。造船所 は自由ハンザ都市 ハンブルク 近郊のクーヴェルダー (Kuhwerder ) 島に建設され、250mの岸壁を持つ1万5,000平方メートル の敷地と、3つの船台を有していた。会社のロゴは、角を丸めたダークブルーの四角形に白文字で「Blohm + Voss 」と書いた簡素なものである。
概要
1939年、戦艦ビスマルク の進水式
戦後、占領軍により爆破解体されたブローム・ウント・フォス(1948年)
同社は125年の間、船やその他の重機を造り続けた。連合国軍 の空襲により第二次世界大戦 の終わりにはほとんど完全に破壊されたが、その後再建され、現在もなお、ドイツ海軍 向けや輸出向け(「MEKO型フリゲート 」参照)に軍艦 を、また多くの民間顧客のために石油採掘装置や船を建造している。
1930年 頃から1945年 まで、ブローム・ウント・フォスは航空会社ルフトハンザ やドイツ空軍 のための航空機 の設計・製造も行った。同社が生産した航空機としては、巨大飛行艇 や、左右非対称の構造を持った飛行機が名高い。航空部門は当初「ハンブルガー航空機製造 (Hamburger Flugzeugbau )」と称していたため、その飛行機は「Ha」という符号が付けられていたが、まもなく新たに与えられた「BV」の符号が付けられるようになった。
1944年 7月から1945年 4月まで、ブローム・ウント・フォスは、ハンブルク=シュタインヴェーバーの自社の造船所に強制収容所 の囚人を収容していた。「ブローム・ウント・フォス収容所」はノイエンガンメ強制収容所 の下部組織であった[ 5] 。ハンブルク空襲 によってブローム・ウント・フォスの施設は破壊され、連合国占領下 ではモーゲンソー・プラン に基づくドイツ重工業解体政策の一環として、さらなる施設解体処分が行われた。
1955年 まで、会社名の表記は「Blohm & Voss 」であった。
社名はドイツ語の文書では(場合によっては英語文書でも)「Blohm + Voß 」と綴られる[ 6] 。今日ではブローム・ウント・フォスはキール のホヴァルツヴェルケ (Howaldtswerke ) やエムデン のノルトゼーヴェルケ (Nordseewerke ) とともにティッセンクルップ・マリーン・システムズ (ThyssenKrupp Marine Systems ) の子会社となっている。
建造した船舶
ゴルヒ・フォック(キール、2001年)
ブローム・ウント・フォスによって建造された船の一覧。
大型帆船
フライングPライナー (ハンブルクの帆船運航会社)の各船 - ペツィリ (Petschili )、パミール (Pamir )、パサート (Passat )、ペキン (Peking )、ポーラ (Pola )、等
ゴルヒ・フォック (Gorch Fock ) 級練習船(3檣バーク型)
NRP サグレス - ポルトガル海軍 所有の3檣バーク型練習船
客船
自家用ヨット
レディ・モーラ
MV サヴァロナ - トルコのチャーター・ヨット。全長124mの世界最大のヨットの一つ。
エニグマ - 現代のスーパーヨット。
レディ・モーラ - 10番目に大きな自家用ヨット。
軍艦
ドイツ帝国海軍・第一次世界大戦
ドイツ国防軍海軍・第二次世界大戦
ドイツ連邦軍海軍・第二次世界大戦以降
航空機
1933年 から1945年 まで、ブローム・ウント・フォスは「ハンブルガー航空機製造社」を運営し、主任設計技師を勤めたリヒャルト・フォークト による数々の個性的な航空機を製造した。最初は製造者コードとして工場名から「Ha」が割り振られたが、ブローム・ウント・フォス造船所との関連が強すぎたため、初期の航空機は「ブローム・ウント・フォス Ha・・・」と呼ばれることになってしまった。この混乱を収拾するため、1938年 にドイツ航空省 (Reichsluftfartministerium ) は強制的に製造者コードをBVに変更させた。この間に子会社からあらためてBV本社の部門に吸収された。
HaまたはBVの呼称で設計された航空機は以下のとおり。
BV 141
第二次世界大戦後、ハンブルガー航空機製造 (Hamburger Flugzeugbau ) という別資本 の会社が現れ、現代まで航空機の製造を行ったが、この会社はブローム・ウント・フォス造船所とは無関係である。
BV社航空部門は戦後もかろうじて存続したものの、しばらくは航空機製造から離れ雌伏を余儀なくされた。フォークト博士もアメリカからの招聘で退社した。しかし1960年代に到ると持ち直し、1969年にメッサーシュミット 、ベルコウ (ドイツ語版 ) から買収合併しメッサーシュミット・ベルコウ・ブローム (M esserschmitt-B ölkow-B lohm)となり、その後はエアバス の1部門として現在に到る。
なおMBB時代には戦前にフォークト博士と縁があった川崎重工 とBK117 ヘリコプターを共同開発している。
計画機
第二次世界大戦末期に計画あるいは開発されたが、結果的に試作機も完成しなかった航空機。
他。
関連項目
脚注
^ Meyer, Kristian, "Erste Bilanz nach Übernahme Alles neu bei Traditionswerft Blohm+Voss" , en:Hamburger Morgenpost , 27 April 2018.
^ “Legal notice – NVL ”. 2024年4月17日 閲覧。
^ “Blohm+Voss: 133 Arbeitsplätze fallen weg ”. 2021年11月24日時点のオリジナル よりアーカイブ。2021年11月24日 閲覧。
^ “Jobverlust droht bei Traditionswerft Blohm+Voss in Hamburg - hamburg.de ”. 2021年10月4日時点のオリジナル よりアーカイブ。2021年10月4日 閲覧。
^ ブローム・ウント・フォス収容所はドイツの公式なリスト Archived 2009年4月23日, at the Wayback Machine .にもNo.550として載せられている。
^ この文字「ß」(エスツェット)の使用とその書き換えについては「ß 」を参照のこと。
^ Earl Thomas Allnutt Brassey, Brassey's Annual: The Armed Forces Year-book, Volume 58 , Praeger Publishers, 1947, p. 259
参考文献
Meyhoff, Andreas. Blohm & Voss im »Dritten Reich«, Eine Hamburger Großwerft zwischen Geschäft und Politik (Hamburger Beiträge zur Sozial- und Zeitgeschichte, Band 38) (in German). Hamburg, Germany: Forschungsstelle für Zeitgeschichte in Hamburg, 2001. ISBN 3-89244-916-3 .
Pohlmann, Herrmann. 'Chronik Eines Flugzeugwerkes 1932-1945. B&V - Blohm & Voss Hamburg - HFB Hamburger Flugzeugbau (in German). Motor Buch Verlag, 1979 ISBN 3-87943-624-X .
Prager, Hans Georg and Bishop, Frederick A.(Transl.). Blohm + Voss: Ships and Machinery for the World . London: Brassey's Publishers Limited, 1977. ISBN 0-90460-914-6 .
Witthöft, Hans J. Tradition und Fortschritt - 125 Jahre Blohm + Voss (in German). Koehlers Verlag, 2002. ISBN 3-78220-847-1 .
外部リンク