ノーシャールル・イドラン・タラハ(マレー語: Norshahrul Idlan Talaha、1986年6月8日 - )は、マレーシアのサッカー選手。マレーシア代表。ポジションはFW。
クラブ歴
ペラFA
トレンガヌ州ベスッで生まれた彼は1歳の時にペラ州に引っ越した。同州で教育を受け、12歳の時にペラFAのプレジデンツカップチームに加入。2003年にトップチームに昇格した。トップチームでは控えの選手として起用され、リザーブチームでの出場も多かった。マレーシアU-20代表としてAFCユース選手権2004に出場しここで成功を収めると、ペラFAでもレギュラーの座を獲得した。
ヌグリ・スンビランFA
2006年にヌグリ・スンビランFAに移籍した。
UPBマイチームFC
2007年には新設されたUPBマイチームFCの初代メンバーとなった。初シーズンに14得点を挙げて得点王に輝くなど、重要な役割を担った。その後、同クラブが破綻するまで在籍した。
ケランタンFA
UPBマイチームFCが破綻するとケランタンFAに移籍。移籍後初シーズンにしてクラブ得点王に輝いた。合計3シーズン在籍し、特に2012シーズンではトレブル達成に大きく貢献した。そして、最優秀フォワード賞や年間最優秀選手と云った個人賞も多く獲得した。
ジョホール・ダルル・タクジムFC
3シーズン過ごしたケランタンFAを去って、2013年にはジョホール・ダルル・タクジムFCに加入した。この時の移籍額は明らかになっていない。2013年1月8日のパハンFA戦で初得点を挙げた。2014年のマレーシアカップ決勝戦ではPKを外す痛恨のミスをしてしまった。
ATM FA
2014年末にジョホール・ダルル・タクジムFCとの契約が終了したため、2015シーズンはATM FAに移籍。ここではケランタンFA時代の恩師であるサチアナタン・バスカランに再開した[1]。
トレンガヌFA
2015年にトレンガヌFAに移籍した。
BGパトゥム・ユナイテッドFC
2020年1月17日、タイ・リーグ1に復帰したBGパトゥム・ユナイテッドFCに移籍。33歳にして初の国外リーグ挑戦となる[2]。
代表歴
AFCユース選手権2004にU-20代表として出場している。その後、2007年ムルデカ大会の際にU-23代表として選出された。A代表初出場となったのは2007年10月28日の2010 FIFAワールドカップ・アジア予選・バーレーン代表戦で、サマルディ・ハジャランとの交代で途中出場した。初得点は非公式試合であればウガンダ代表戦であり、公式試合では2009年9月11日のレソト代表戦である。
2010年11月にはラヤゴパル・クリシュナサミ監督から2010 AFFスズキカップのメンバーに選抜された。5-1で敗北したインドネシア代表戦、5-1で勝利したラオス代表戦でそれぞれ1得点を挙げ、大会合計で2得点を獲得した。この大会でマレーシアは初優勝を達成した。
2012年12月9日には2012 AFFスズキカップのタイ代表戦で得点を挙げたものの、2戦合計の結果で同国に敗れ、決勝進出とはならなかった。
ダラー・サラー監督の下行われた2014 AFFスズキカップの際にも招集され、全試合に出場したものの、再びタイ代表の前に敗れ去った[3]。なお彼は準決勝第2試合のベトナム代表戦で1得点を獲得した[4]。
個人成績
A代表
マレーシア代表
|
年 |
出場 |
得点
|
2007 |
1 |
0
|
2009 |
7 |
1
|
2010 |
9 |
2
|
2011 |
4 |
0
|
2012 |
13 |
1
|
2013 |
6 |
1
|
2014 |
11 |
1
|
2015 |
1 |
0
|
2016 |
5 |
0
|
計 |
57 |
6
|
主要大会での出場経歴
代表での得点一覧
U-23代表
主要大会での出場経歴
タイトル
クラブ
- ケランタンFA
- ジョホール・ダルル・タクジムFC
代表
- 準優勝: 2014
個人
- マレーシアサッカー協会最優秀フォワード賞: 2010, 2011, 2012
- マレーシアサッカー協会最優秀選手賞: 2010, 2011, 2012
参考文献
外部リンク