トム・ペティ (Tom Petty, 1950年 10月20日 - 2017年 10月2日 )は、アメリカ合衆国 出身のロック ミュージシャン 、シンガーソングライター 。
1976年 からロックバンド「トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズ 」として活動。1989年 からソロデビューも果たし、米国を代表するアーティストとして活動した。
1994年 『グラミー賞 』受賞。2002年 『ロックの殿堂 』入り。ローリング・ストーン 誌選出「歴史上最も偉大な100組のアーティスト」第91位。
概要
トム・ペティはブルース・スプリングスティーン 、ボブ・シーガー等と並び、アメリカの中西部・南部の白人労働者の心情を代弁するロック・シンガーとして知られた。彼らのロックは、「ハートランド・ロック」[ 1] と呼ばれることもある。また、ボブ・ディラン やローリング・ストーンズ 、バーズ などからの影響を受けていると指摘されることも多い。
デビュー以来、ライブ活動やアルバム・リリースをコンスタントに続けており、晩年もアルバムは全米チャートのトップ10に食い込むなど人気を誇っていた。
1986年にはボブ・ディランと共にオセアニア、日本、北米でツアーを行った。さらに1988年 にボブ・ディラン、ジョージ・ハリスン 等と共にトラヴェリング・ウィルベリーズ [ 2] を結成し、ヒットを記録した。
テレビアニメ『ザ・シンプソンズ 』に本人役で出演しホーマー達に歌詞の書き方をレクチャーしたほか、『キング・オブ・ザ・ヒル 』にラッキー役で5年間の準レギュラー出演を果たした。
来歴
マッドクラッチ時代
17歳の時にフロリダ州 で「マッドクラッチ (英語版 ) 」を結成。当時ペティはギター でなくベース を弾いていた[ 3] 。ギターは楽器店の教室で、当時無名だったドン・フェルダー から手ほどきを受けている。
その後マッドクラッチはロサンゼルス に移り、1974年 にはレオン・ラッセル とデニー・コーデルが設立したシェルター・レコードから契約の話を持ちかけられるが、マッドクラッチは解散して、ペティはソロ・アーティストとしてシェルターとの契約を継続[ 3] 。
ザ・ハートブレイカーズ結成
トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズ活動初期 (1977年)
マッドクラッチ時代の盟友であったマイク・キャンベル (ギター)とベンモント・テンチ (キーボード )に、ロン・ブレア(ベース)とスタン・リンチ(ドラムス )を加えた編成の「トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズ」として、1976年 にデビュー・アルバム『アメリカン・ガール』(Tom Petty & The Heartbreakers)を発表した。
デビュー当時はアメリカでは人気が得られなかったが、ニルス・ロフグレン (英語版 ) のイギリス・ツアーでオープニングアクト を務めるとイギリスで人気が高まり[ 4] 、1977年 6月にはデビュー・アルバムが全英アルバムチャート で24位に達した[ 5] 。1978年 にはアメリカでもデビュー作がBillboard 200 で55位を記録して、セカンド・アルバム『ユア・ゴナ・ゲット・イット!』は23位に達した[ 6] 。
1979年 発表のサード・アルバム『破壊 』(Damn the Torpedoes)は全米2位の大ヒットを記録[ 6] 。同アルバムは2020年 に米誌『ローリングストーン』が発表した「ローリングストーン誌が選ぶ「歴代最高のアルバム」500選 | 2020年改訂版」において231位に選出された[ 7] 。
1981年 、マイク・キャンベルと共作した「嘆きの天使」(Stop Draggin' My Heart Around)をスティーヴィー・ニックス のアルバム『麗しのベラ・ドンナ』に提供し、ペティとザ・ハートブレイカーズはレコーディングにも参加。この曲はシングルとして全米3位を記録した[ 8] 。なお、この年にはペティとザ・ハートブレイカーズはデル・シャノン のアルバム『Get Down & Get Me』のレコーディングにも参加しペティはプロデュースも担当する。
1986年 、ザ・ハートブレイカーズと共にボブ・ディランのバック・バンドを務めた。[ 4] 。1987年 、アラン・ルドルフ の監督映画『メイド・イン・ヘブン 』に出演[ 9] 。
1988年 、ディラン、ジョージ・ハリスン 、ジェフ・リン 、ロイ・オービソン と共に「トラヴェリング・ウィルベリーズ 」を結成し、オービソンのアルバム『ミステリー・ガール 』のレコーディングにも参加。
ソロデビュー〜死去
1989年 に初のソロ・アルバム『フル・ムーン・フィーヴァー 』を発表。同アルバムは2020年 に米誌『ローリングストーン』が発表した「ローリングストーン誌が選ぶ「歴代最高のアルバム」500選 | 2020年改訂版」において298位に選出された[ 10] 。
1990年 にペティとザ・ハートブレイカーズはデル・シャノンの遺作『Rock On』レコーディングにも参加。マイク・キャンベルとジェフ・リンはロデュースも担当する。同作は翌年SilverToneから発売された。
1994年 、リック・ルービン のプロデュースによるソロ2作目『ワイルドフラワーズ 』を発表。同アルバムからのシングル曲「ユー・ドント・ノウ・ハウ・イット・フィールズ」で『グラミー賞 』最優秀男性ロック・ボーカル・パフォーマンス賞を受賞した[ 11] 。同アルバムは2020年 に米誌『ローリングストーン』が発表した「ローリングストーン誌が選ぶ「歴代最高のアルバム」500選 | 2020年改訂版」において214位に選出された[ 12] 。
1996年の映画「彼女は最高」で初めて映画のサントラに参加、映画全編にトム・ペティの楽曲が流れる。
1997年 、映画『ポストマン 』に出演[ 13] 。
2002年 、トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズとして『ロックの殿堂 』入りを果たす[ 14] 。
2004年 から2009年 にかけて、テレビアニメ『キング・オブ・ザ・ヒル 』で声優 を務めた[ 15] 。
2007年 夏には「マッドクラッチ」を再結成して、2008年 にセルフタイトル のアルバムを発表[ 3] 。また、同年2月3日に行われた第42回スーパーボウル のハーフタイムショーに出演した。
2017年4月20日、トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズがオクラホマ州オクラホマシティから結成40周年記念ツアーをスタートさせ、9月25日にカリフォルニア州ハリウッドの野外音楽堂ハリウッドボウル で最終公演を行った。
10月2日早朝、カリフォルニア州マリブの自宅で心肺停止の状態となり、蘇生措置が行われていたが、サンタモニカのUCLAメディカルセンターで死亡が確認された。66歳。[ 16] ファイナル・コンサートとなったハリウッドボウルで最後に演奏した曲はデビューアルバムのシングル「アメリカン・ガール」だった。[ 17] 2018年、死因は鎮痛剤の過剰摂取 (オーヴァードーズ)と公表された[ 18] 。
ディスコグラフィ
アルバム
※()内の順位は全米ビルボード200 の最高位
トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズ名義
1976年 アメリカン・ガール - Tom Petty & The Heartbreakers(55位)
1978年 ユア・ゴナ・ゲット・イット! - You're Gonna Get It!(23位)
1979年 破壊 - Damn The Torpedoes(2位)
1981年 ハード・プロミス - Hard Promises(5位)
1982年 ロング・アフター・ダーク - Long After Dark(9位)
1985年 サザン・アクセンツ - Southern Accents(7位)
1986年 パック・アップ・ザ・プランテーション-ライヴ - Pack Up The Plantation: Live!(22位)
1987年 レット・ミー・アップ - Let Me Up (I've Had Enough)(20位)
1991年 イントゥ・ザ・グレイト・ワイド・オープン - Into The Great Wide Open(13位)
1993年 グレイテスト・ヒッツ - Greatest Hits(5位)
1995年 プレイバックBOX - Playback - ボックス・セット
1996年 彼女は最高 オリジナル・サウンドトラック - Songs And Music From "She's The One"(15位)
1999年 エコー - Echo(10位)
2000年 アンソロジー - Anthology : Through The Years(132位)
2002年 ザ・ラスト・DJ - The Last DJ(9位)
2003年 Live At The Olympic : The Last DJ
2010年 The Live Anthology
2010年 モジョ - Mojo(2位)
2014年 ヒプノティック・アイ - Hypnotic Eye (1位)
ソロ名義
トラヴェリング・ウィルベリーズ名義
マッドクラッチ名義
2008年 マッドクラッチ - Mudcrutch
2008年 Mudcrutch Extended Play Live(EP)
2016年 2 - 2
日本公演
1980年 TOM PETTY & THE HEARTBREAKERS、DAMN THE TORPEDOES TOUR
関連項目
脚注
外部リンク