チャールズ・フォックス・タウンゼンド(英語: Charles Fox Townshend、1795年6月28日 – 1817年4月2日)は、イートン・ソサエティの創設者。
生涯
ジョン・タウンゼンド卿(英語版)とジョージアナ・アン・ポインツ(Georgiana Anne Poyntz)の長男として、1795年6月28日にボールズ・パーク(英語版)で生まれた[1]。チャールズ・ジェームズ・フォックスが代父を務めた[2]。1807年から1812年までイートン・カレッジで教育を受けた後[1]、1812年7月6日にケンブリッジ大学セント・ジョンズ・カレッジ(英語版)に入学、1816年にM.A.の学位を修得した[2]。また、1815年11月16日にリンカーン法曹院入りを果たした[2]。総選挙でケンブリッジ大学選挙区(英語版)から出馬する予定だったが、1817年4月2日に病死した[2]。生涯未婚だった[2]。
イートン・カレッジ在学中の1811年、イートン・ソサエティ(Eton Society)を創設した[1]。ソサエティの会員は「リテラティ」(Literati)と呼ばれ、最初は定員20名で後に30名に増えたが、1816年までに4人に減り、タウンゼンドの抗議がなければイートン・ソサエティはそのまま潰える運命だった[1]。イートン・ソサエティは以降も存続し、1825年には後のイギリス首相であるウィリアム・グラッドストンが入会[1]、現代でもエディ・レッドメインやウィリアム皇太子が入会している[3]。
脚注