ダニエル・リベスキンド
マンチェスターの帝国戦争博物館
ダニエル・リベスキンド (Daniel Libeskind , 1946年 5月12日 - )は、ポーランド系アメリカ人 の建築家 。ポーランド のウッチ 生まれ。
経歴
彼の両親はユダヤ系 でホロコースト の生存者。幼少期のリベスキンドはアコーディオン を習い、1953年より小さな天才としてポーランド国営テレビに出演するようになり国民的アイドルとしての人気を集めた。これがニューヨークのアメリカ・イスラエル文化基金(AICF)の目に留まって奨学金が提供されることになり、1959年の夏にポーランドからアメリカへの最後の移民船でアメリカ合衆国 へ渡った。ニューヨークではブロンクス科学高校 に通い、卒業の年の1965年にアメリカの市民権を取得した。その後はクーパー・ユニオン に進学し1970年に卒業、建築の学士号を得る。1972年にエセックス大学 で歴史学と建築理論の修士号を取得。
以前は建築評論や、建つ見込みのない建築案に関するドローイング「マイクロメガス」などで有名で、脱構築主義 の建築思想家、「建築しない建築家」として知られていたが、1988年 のベルリン・ユダヤ博物館 コンペ当選後、主として美術館 や博物館 などの様々な設計の仕事が舞い込んだ。2001年に広島市 主催の美術賞、第5回ヒロシマ賞 (英語名:HIROSHIMA ART PRIZE)を受賞。
アメリカ同時多発テロ事件 後の世界貿易センター跡地再建コンペに当選し、業務・商業用ビルも手がけることとなった。これは1776フィート (約541メートル )の高さの「フリーダム・タワー (自由の塔)」と、数本の高層ビルとツインタワー跡地の慰霊スペースからなり、2010年 に完成したが、土地所有者のニューヨーク・ニュージャージー港湾局や、旧ビル保有者である不動産開発業者などの思惑が絡み、当初の設計案に大幅な変更が加えられた。
現在の計画案ではリベスキンドのマスタープランを活かしつつも、個別の建物の設計はSOM や槇文彦 、ノーマン・フォスター らが手がけている。
主な作品(予定含む)
ユダヤ博物館(ベルリン)
「黄金通り44番タワー」(「ズウォタ44」、ワルシャワ)
その他
外部リンク