ゾフィー・ヘルツォーギン・イン・バイエルン(ドイツ語: Sophie Herzogin in Bayern, 1967年10月28日 - )は、リヒテンシュタイン公世子アロイスの妃。公式称号はリヒテンシュタイン公世子妃(ドイツ語: Erbprinzessin von und zu Liechtenstein)およびリートベルク伯爵夫人(ドイツ語: Gräfin zu Rietberg)。最後のバイエルン王ルートヴィヒ3世の玄孫にあたる。
経歴
バイエルン公マックス・エマヌエルとその妻でスウェーデン貴族の伯爵夫人エリーザベト・ドゥグラスの間の長女として生まれた。母方の高祖父にオイレンブルク侯フィリップ、大叔母に反ナチ運動「赤いオーケストラ」の女性活動家リベルタス・シュルツェ=ボイゼン(英語版)、叔母にマールバラ公爵夫人ロジータ(英語版)(第11代マールバラ公爵の3番目の妻)がいる。
4人の妹たちと一緒にヴィルトバート・クロイト(ドイツ語版)で育った。若い頃はゾフィー・バイエルン(ドイツ語: Sophie Bayern)と名乗っていたこともあるが、これは自分の姓に付けられる「イン(in)」が、ドイツ貴族の姓に使われる前置詞の中でも特殊であり、見苦しいと感じたためだった。
1978年から1980年までロレット女子修道会(英語版)の経営する女子校で学び、同校を離れるとレングリース(英語版)のホーエンブルク城(英語版)に移った。1984年から1988年までミュンヘンのアドルフ・ヴェーバー高校(ドイツ語版)に在籍し、アビトゥーアを取得している。また家具調度に関心を持っていたため、ロンドンに数ヶ月間滞在し、インテリアデザインの学校で講習を受けている。その後、アイヒシュテット=インゴルシュタット・カトリック大学(英語版)で歴史学と英語学を学んだ。
1993年7月3日にファドゥーツ大聖堂(ザンクト・フローリン大聖堂)において、リヒテンシュタイン侯ハンス・アダム2世の長男アロイスと結婚した。2006年にはリヒテンシュタイン侯世子妃として、フェルトキルヒに妊婦のための相談所を設立している。
ゾフィーはジャコバイトの支持するイングランド・スコットランド王位の継承予定者でもある。伯父のバイエルン王家家長フランツに子供がないため、伯父と父マックス・エマヌエルの後はゾフィーが名目的なイングランド・スコットランド女王ソフィア(英語: Sophie)となり、その後は長男のヨーゼフ・ヴェンツェルが後継者となる予定である。
子女
- ヨーゼフ・ヴェンツェル・マクシミリアン・マリア(1995年 - )
- マリー・カロリーネ・エリーザベト・インマクラータ(1996年 - )
- ゲオルク・アントニウス・コンスタンティン・マリア(1999年 - )
- ニコラウス・ゼバスティアン・アレクサンダー・マリア(2000年 - )
参考文献
- Frank P. van Eck: Wer ist wer. Wer tut was. Handbuch für das Fürstentum Liechtenstein. Eck Verlagsanstalt, Triesen 1995, Seiten VII-IX, Biografien der fürstlichen Familie.
- Harald Wanger: Die regierenden Fürsten von Liechtenstein. Eck Verlagsanstalt, Triesen 1995, ISBN 3-905501-22-8.
- Hausgesetz des fürstlichen Hauses Liechtenstein vom 26.Oktober 1993. In: Liechtensteinisches Landesgesetzblatt, Jahrgang 1993, Nr. 100, Ausgabe vom 6. Dezember 1993.