第2代ラトランド公爵ジョン・マナーズ(英語: John Manners, 2nd Duke of Rutland KG、1676年9月18日 – 1721年2月22日)は、イギリスの貴族。1679年から1703年までルース男爵の儀礼称号を[註釈 1]、1703年から1711年までグランビー侯爵の儀礼称号を使用した。
生涯
1676年9月18日、初代ラトランド公爵ジョン・マナーズ(英語版)とキャサリン・リズリー・ノエル(第3代カンプデン子爵バプティスト・ノエル(英語版)の娘)の次男(長男は夭折)として生まれた[1]。
1711年1月10日、父の死去に伴いラトランド公爵の爵位を継承した[2]。1712年から1715年ラトランド統監(英語版)を、1714年から1721年までレスターシャー統監(英語版)およびレスターシャー首席治安判事(英語版)を務めたほか、1714年10月16日にガーター勲章を授与された[1]。
ホイッグ党の一員としてダービーシャー選挙区(英語版)(1701年)、レスターシャー選挙区(英語版)(1701年 – 1702年、1710年 – 1711年)、グランサム選挙区(英語版)(1705年 – 1710年)選出の庶民院議員を務めた[1]。
家族
1693年8月17日[1]、ウィリアム・ラッセルの娘キャサリン(1711年10月31日没)と結婚した。2人は3男3女をもうけた。
1713年1月1日、第2代シェラード男爵ベネット・シェラードの娘ルーシー(1751年10月27日没)と再婚[3]、下記の子女をもうけた。
脚注
註釈
- ^ 彼の名乗っていたルース男爵は現在ラトランド公爵家が保有する『ルース男爵位(1896年創設の連合王国貴族爵位)』ではなく、単に彼が仮冒していたもの。保持していたマナーズ男爵では家名と重なるため、父方の家系ルース男爵家に因んで、この儀礼称号を用いた。
出典
- ^ a b c d “MANNERS, John, Ld. Roos (1676-1721), of Belvoir Castle, Lincs.” (英語). History of Parliament. 2019年4月22日閲覧。
- ^ G.E. Cokayne; with Vicary Gibbs, H.A. Doubleday, Geoffrey H. White, Duncan Warrand and Lord Howard de Walden, editors, The Complete Peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, Extant, Extinct or Dormant, new ed., 13 volumes in 14 (1910-1959; reprint in 6 volumes, Gloucester, U.K.: Alan Sutton Publishing, 2000), volume IX, page 156.
- ^ Burke's Peerage (英語) (99th ed.). 1949. p. 1749.