ジョシュア・レノルズ による肖像画、1769年。
第3代ドーセット公爵 ジョン・フレデリック・サックヴィル (英語 : John Frederick Sackville, 3rd Duke of Dorset KG PC 、1745年 3月25日 – 1799年 7月19日 )は、グレートブリテン王国 の貴族、政治家。庶民院 議員(在任:1768年 – 1769年)、ケント統監 (英語版 ) (在任:1769年 – 1797年)、国王親衛隊隊長 (在任:1782年 – 1783年)、在フランスイギリス大使 (在任:1783年 – 1789年)を歴任した[ 1] 。
生涯
ジョン・フィリップ・サックヴィル卿 (英語版 ) (1765年12月3日没、初代ドーセット公爵ライオネル・サックヴィル の次男)と妻フランシス(Frances 、旧姓ルーソン=ゴア(Leveson-Gower )、初代ゴア伯爵ジョン・ルーソン=ゴア の娘)の息子として、1745年3月25日に生まれ、4月24日にピカデリー のセント・ジェームズ教会 (英語版 ) で洗礼を受けた[ 1] 。1754年ごろよりウェストミンスター・スクール で教育を受けた[ 2] 。
1768年イギリス総選挙 でケント選挙区 (英語版 ) から立候補して当選した[ 3] 。サックヴィルは1767年より立候補準備しており、初代ニューカッスル公爵トマス・ペラム=ホリス の支持を取り付けたこともあり無投票での当選だった[ 2] 。サックヴィルが庶民院で演説したり投票したりした記録はなく[ 2] 、1769年1月6日に伯父チャールズ が死去すると、ドーセット公爵 位を継承した[ 1] 。同年1月27日から1797年6月13日までケント統監 (英語版 ) を務めた[ 4] 。
1778年4月13日にウェスト・ケント民兵隊隊長に任命され[ 4] 、1794年3月18日に民兵隊が軍務中のときでのみ名乗れる陸軍大佐の名誉軍階を与えられた[ 5] 。
1782年2月11日、国王親衛隊隊長 と枢密顧問官 に任命された[ 4] [ 6] 。第2次ロッキンガム侯爵内閣 、シェルバーン伯爵内閣 を支持して留任したが、のちに小ピット 支持に転じ[ 7] 、1783年4月3日に国王親衛隊隊長を辞任した[ 4] 。同年12月26日から1789年8月8日まで在フランスイギリス大使 を務め、フランス革命 が勃発するとフランスから出国した[ 4] 。『オックスフォード英国人名事典 』はドーセット公爵を「怠惰で平凡な大使」と評したが、公爵は1年間小ピットに申請し続けた末1788年4月9日にガーター勲章 を授与された[ 7] [ 8] 。
1789年10月7日に王室家政長官 (英語版 ) に任命され[ 9] 、1799年2月20日に辞任した[ 4] 。
1796年3月4日、チャーターハウス・スクール 理事に選出された[ 4] 。
1799年7月19日にノール で死去、サセックス のウィザム (英語版 ) で埋葬された[ 1] 。息子ジョージ が爵位を継承した[ 1] 。
クリケット
クリケット のパトロンであり、ハンブルドン・クラブ (英語版 ) 会員だったほか[ 4] 、自身の領地でジョン・ミンシャル (英語版 ) などのクリケット選手を雇用した[ 7] 。
1787年にメリルボーン・クリケット・クラブ が設立されたときに会員になり、メリルボーンでローズ・オブ・クリケット (英語版 ) (クリケット競技規則)が起草されたときは起草委員会の委員を務めた[ 4] [ 7] 。
家族
1790年1月4日、アラベラ・ダイアナ・コープ(Arabella Diana Cope 、1769年 – 1825年8月1日、第2代準男爵サー・チャールズ・コープ (英語版 ) の娘)と結婚[ 1] 、1男2女をもうけた。
一方でエリザベス・アーミステッド 、アン・パーソンズ (英語版 ) 、ダービー伯爵夫人エリザベス・スミス=スタンリー (英語版 ) 、デヴォンシャー公爵夫人ジョージアナ・キャヴェンディッシュ など多くの愛人を相次いでかかえたことで知られた[ 7] 。
出典
^ a b c d e f g Cokayne, George Edward ; Gibbs, Vicary ; Doubleday, H. Arthur, eds. (1916). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Dacre to Dysart) (英語). Vol. 4 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 428–429.
^ a b c Drummond, Mary M. (1964). "SACKVILLE, John Frederick (1745-99)." . In Namier, Sir Lewis ; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2023年3月13日閲覧 。
^ Brooke, John (1964). "Kent" . In Namier, Sir Lewis ; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2023年3月13日閲覧 。
^ a b c d e f g h i Williams, William Rees (1897). "Sackville, John Frederick" . In Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 50. London: Smith, Elder & Co . p. 92.
^ "No. 13633" . The London Gazette (英語). 18 March 1794. p. 245.
^ "No. 12269" . The London Gazette (英語). 9 February 1782. p. 1.
^ a b c d e Howat, Gerald M. D. (3 January 2008) [23 September 2004]. "Sackville, John Frederick, third duke of Dorset". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi :10.1093/ref:odnb/24445 。 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入 。)
^ "No. 12980" . The London Gazette (英語). 8 April 1788. p. 169.
^ "No. 13138" . The London Gazette (英語). 6 October 1789. p. 641.
^ Cokayne, George Edward ; Doubleday, Herbert Arthur; Howard de Walden, Thomas , eds. (1945). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Oakham to Richmond) (英語). Vol. 10 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. p. 564.
^ Cokayne, George Edward ; Gibbs, Vicary , eds. (1912). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Bass to Canning) (英語). Vol. 2 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. p. 385.
外部リンク