ジャマール・ウィルクス
ジャマール・ウィルクス (Jamaal Wilkes) ことジャマール・アブドゥル=ラティーフ (Jamaal Abdul-Lateef, 1953年5月2日 - ) は、アメリカ合衆国の元プロバスケットボール選手。身長198cm、体重86kg。ポジションはスモールフォワード。NBAのゴールデンステート・ウォリアーズやロサンゼルス・レイカーズで4度のリーグ制覇を経験し、自身も新人王や3度のオールスターに輝いた名選手であった。2012年にバスケットボール殿堂入りを果たしている。 出生名はジャクソン・キース・ウィルクス (Jackson Keith Wilkes) である。1975年にイスラム教に改宗したことに伴い改名した。 経歴生い立ちと学生時代ウィルクスはカリフォルニア州バークレーで生れ、ベンチュラで少年期を過ごした。彼が高校生のとき、父の転勤により一家はサンタバーバラに移った。サンタバーバラ高校に転入したウィルクスは、後にNBA入りするドン・フォードとともにチームを26連勝に導き、カンファレンス年間最優秀選手に選ばれた。 高校卒業後、ウィルクスは当時NCAAトーナメント4連覇中だったUCLAに進学した。UCLAではビル・ウォルトンとともにチームの主力として活躍し、1972年・73年と2年連続で全米制覇を果たしたほか、NCAA史上空前絶後となる公式戦88連勝に大きく貢献した。自身はオールアメリカ1stチームに2度選ばれている。カレッジにおける3年間の成績は平均15.0得点7.4リバウンドであった。また学業でも優秀な成績を修め、経済学の学士号を修得した。2013年にウィルクスの背番号『52』がUCLAの永久欠番に指定されている。 プロキャリア大学を卒業したウィルクスは、1974年のNBAドラフトにおいてゴールデンステート・ウォリアーズから全体11位指名を受け入団すると、1年目からチーム2位となる平均14.2得点をあげて新人王を受賞した。ウォリアーズはこの年48勝の成績であったが、絶対的エースのリック・バリーに率いられてプレーオフを勝ち抜き、ファイナルでリーグ首位のワシントン・ブレッツを破る大金星をあげて19年ぶり3度目の優勝を果たした。ウィルクスはプレーオフ平均15.0得点の活躍で優勝に貢献し、1年目にして早くもチャンピオンリングを手に入れた。 ウィルクスはその後2シーズンをウォリアーズでプレーし、2年連続でオールディフェンシブ2ndチームに選ばれた。また1976年には自身初となるオールスター選出を果たしている。1976-77シーズン終了後、ウィルクスはロサンゼルス・レイカーズに移籍した。 レイカーズではカリーム・アブドゥル=ジャバーらとともにチームの中心を担った。1979-80シーズン、大物新人マジック・ジョンソンを迎えたレイカーズは60勝を記録してファイナルに進出した。ファイナル第6戦では、負傷で欠場したアブドゥル=ジャバーに代ってマジックが42得点、ウィルクスが37得点の大活躍でレイカーズの優勝を決定づけた。 1980-81シーズン、ウィルクスはキャリアハイとなる平均22.6得点をあげて2度目のオールスターに選ばれた。翌1981-82シーズンも平均21.1得点の好成績を残し、レイカーズはファイナルでフィラデルフィア・76ersを退けて2年ぶりのリーグ制覇を達成した。ウィルクスはチームトップとなるファイナル平均19.7得点を記録して自身3度目の優勝に花を添えた。1982-83シーズンは平均19.6得点で3度目のオールスター選出を果たし、チームは2年連続でファイナルに進んだが76ersに4連敗してシーズンを終えた。 これ以降、ウィルクスの個人成績は徐々に後退していった。1984-85シーズンには先発の座をジェームズ・ウォージーに奪われ、さらに左膝の靭帯断裂で40試合を欠場し、プレーオフも全休した。レイカーズはこのシーズンにファイナルでボストン・セルティックスを破って優勝している。シーズン終了後にレイカーズから解雇されたウィルクスは、リーグ最低年俸でロサンゼルス・クリッパーズと契約した。1985-86シーズン、ウィルクスはクリッパーズで13試合に出場した後現役引退を表明した。 NBAでの成績は、828試合に出場して通算14,644得点5,117リバウンド(平均17.7得点6.2リバウンド)であった。 引退後ウィルクスはNBAを離れた後、20年以上にわたって不動産や金融サービス業に携わる傍ら、モチベーショナル・スピーカーとしても活動した。2003年にはウェルスマネジメントを専門とするジャマール・ウィルクス・ファイナンシャル・アドバイザーズを設立している。またバスケットボールにも関わっており、2000年に発足したばかりのセミプロリーグABAのロサンゼルス・スターズから要請を受け、バスケットボール事業部の副部長に就任した。 2012年、ウィルクスはバスケットボール殿堂入りを果たし、その3ヶ月後に背番号『52』がレイカーズの永久欠番となることが発表された。 個人成績
レギュラーシーズン
プレーオフ
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