ジミー・ジョーンズ
Jimmy Jones
サンディエゴ・パドレス時代 (1987年) |
基本情報 |
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国籍 |
アメリカ合衆国 |
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出身地 |
テキサス州ダラス |
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生年月日 |
(1964-04-20) 1964年4月20日(60歳) |
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身長 体重 |
6' 2" =約188 cm 175 lb =約79.4 kg |
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選手情報 |
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投球・打席 |
右投右打 |
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ポジション |
投手 |
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プロ入り |
1982年 MLBドラフト1巡目 |
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初出場 |
MLB / 1986年9月21日 NPB / 1994年4月14日 |
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最終出場 |
MLB / 1993年7月5日 NPB / 1995年5月31日 |
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経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) |
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|
ジェームズ・コンディア・ジョーンズ(James Condia "Jimmy" Jones, 1964年4月20日 - )はアメリカ合衆国・テキサス州ダラス出身の元プロ野球選手(投手)。
来歴・人物
1982年のドラフト会議でサンディエゴ・パドレスから1巡目で指名を受ける。1986年9月21日、メジャーデビュー戦にて1安打完封の好投を見せ、技巧派投手として主に先発投手で起用された。1988年10月24日にパット・クレメンツ(英語版)・ジャック・クラークとの2対3のトレードでランス・マッカラーズ、スタン・ジェファーソン(英語版)とともにニューヨーク・ヤンキースに移籍[1]。1991年3月19日にはヒューストン・アストロズに移籍した[1]。同年秋には右ヒジの手術を受けてリリーフへの転向が決まったが、翌1992年は先発として起用され自身初の2桁勝利を挙げている[2]。1993年1月25日にはモントリオール・エクスポズに移籍した[1] が、夏には右ヒジ遊離骨の除去手術を受けている[3]。
同年11月15日に年俸と契約金合わせて60万ドル(当時のレートで約6,300万円)で、巨人と入団契約を結んだ[4]。1994年はキャンプで投球内容を評価され[3]先発ローテーションに入ったが、5月4日の対横浜戦でショートに内野安打を放った際に一塁で駒田徳広と交錯し、左足首を剥離骨折した[5]。その後2ヶ月間はリハビリに専念し、回復に合わせて走りこみなどのトレーニングを行なっている[5]。7月7日のイースタン・リーグで登板して好投を見せる[6] と、7月14日には一軍の対中日戦で先発し、7回を無失点に抑えて復帰戦で勝利を挙げた[5]。この試合を含めて8月23日の対ヤクルト戦まで35イニングを投げ防御率1.54という安定した投球で5連勝を記録し、斎藤雅樹、槙原寛己、桑田真澄の3本柱に次ぐ先発の地位を確立している[7]。同年の日本シリーズでは第3戦に先発し、5回1/3を投げて6安打1失点(自責点0)でチームは延長戦の末に勝利している[8]。
1995年は一軍で6試合に先発し、4月30日の横浜戦では来日初の完投を完封勝利で記録するが[9]、6月に右ヒジ痛を訴えて登録を抹消され、検査の結果内側側副靱帯損傷が判明した[10]。その後は一軍に復帰することなく9月28日に戦力外通告を受け[11]、そのまま現役を引退している。
2012年は当初サンディエゴ・パドレス傘下AAA級ツーソンで投手コーチを務めていたが、パドレスのブルペンコーチであるダレル・エイカーフェルズ(英語版)が膵臓がんにより亡くなったため、6月からシーズン途中までその後任を任された。
その後もパドレス傘下球団での指導者の道を歩み、2013年から2018年まではAA級サンアントニオ・ミッションズ、2019年はAA級アマリロ・ソッドプードルズ、2021年から2022年まではA+級フォートウェイン・ティンキャップス(英語版)で投手コーチを歴任した[12]。2023年からはAAA級エルパソ・チワワズの投手コーチ補佐を務めている[13]。
プレースタイルなど
カーブ、チェンジアップのほか、鋭いスライダーやムービングファストボールなど多彩な変化球を駆使した[2]。長い腕をしならせるフォームから低めに制球し、大崩れしにくいタイプだと言われた[3]。スタミナに不安があるため巨人では100球をメドに交代していたが、5回までは安心して試合を任せられるとコーチの堀内恒夫は評している[7]。
被本塁打が少なく、1994年は9月10日の広島戦で江藤智に打たれたのが唯一のホームランだった。
投手ながら打撃が良く、メジャーでは通算2本塁打を放ち、日本でも28打数8安打という打撃記録を残した。
詳細情報
年度別投手成績
年
度 |
球
団 |
登
板 |
先
発 |
完
投 |
完
封 |
無 四 球 |
勝
利 |
敗
戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝
率 |
打
者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬
遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴
投 |
ボ 丨 ク |
失
点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P
|
1986
|
SD
|
3 |
3 |
1 |
1 |
1 |
2 |
0 |
0 |
-- |
1.000 |
65 |
18.0 |
10 |
1 |
3 |
0 |
0 |
15 |
0 |
0 |
6 |
5 |
2.50 |
0.72
|
1987
|
30 |
22 |
2 |
1 |
0 |
9 |
7 |
0 |
-- |
.563 |
639 |
145.2 |
154 |
14 |
54 |
2 |
5 |
51 |
3 |
2 |
85 |
67 |
4.14 |
1.43
|
1988
|
29 |
29 |
3 |
0 |
0 |
9 |
14 |
0 |
-- |
.391 |
760 |
179.0 |
192 |
14 |
44 |
3 |
3 |
82 |
4 |
1 |
98 |
82 |
4.12 |
1.32
|
1989
|
NYY
|
11 |
6 |
0 |
0 |
0 |
2 |
1 |
0 |
-- |
.667 |
211 |
48.0 |
56 |
7 |
16 |
1 |
2 |
25 |
1 |
0 |
29 |
28 |
5.25 |
1.50
|
1990
|
17 |
7 |
0 |
0 |
0 |
1 |
2 |
0 |
-- |
.333 |
238 |
50.0 |
72 |
8 |
23 |
0 |
1 |
25 |
3 |
0 |
42 |
35 |
6.30 |
1.90
|
1991
|
HOU
|
26 |
22 |
1 |
1 |
1 |
6 |
8 |
0 |
-- |
.429 |
593 |
135.1 |
143 |
9 |
51 |
3 |
3 |
88 |
4 |
0 |
73 |
66 |
4.39 |
1.43
|
1992
|
25 |
23 |
0 |
0 |
0 |
10 |
6 |
0 |
-- |
.625 |
579 |
139.1 |
135 |
13 |
39 |
3 |
5 |
69 |
4 |
1 |
64 |
63 |
4.07 |
1.25
|
1993
|
MON
|
12 |
6 |
0 |
0 |
0 |
4 |
1 |
0 |
-- |
.800 |
175 |
39.2 |
47 |
6 |
9 |
0 |
0 |
21 |
1 |
1 |
34 |
28 |
6.35 |
1.41
|
1994
|
巨人
|
14 |
13 |
0 |
0 |
0 |
7 |
2 |
0 |
-- |
.778 |
272 |
61.1 |
64 |
1 |
27 |
0 |
0 |
35 |
1 |
1 |
33 |
28 |
4.11 |
1.48
|
1995
|
6 |
6 |
1 |
1 |
0 |
2 |
2 |
0 |
-- |
.500 |
141 |
32.1 |
34 |
1 |
14 |
0 |
1 |
16 |
2 |
0 |
14 |
11 |
3.06 |
1.48
|
MLB:8年
|
153 |
118 |
7 |
3 |
2 |
43 |
39 |
0 |
-- |
.524 |
3260 |
755.0 |
809 |
72 |
239 |
12 |
19 |
376 |
20 |
5 |
431 |
374 |
4.46 |
1.39
|
NPB:2年
|
20 |
19 |
1 |
1 |
0 |
9 |
4 |
0 |
-- |
.692 |
413 |
93.2 |
98 |
2 |
41 |
0 |
1 |
51 |
3 |
1 |
47 |
39 |
3.75 |
1.48
|
記録
- NPB
背番号
- 45 (1986年 - 1988年)
- 26 (1989年 - 1990年)
- 37 (1991年 - 1992年)
- 38 (1993年)
- 49 (1994年 - 1995年)
- 56 (2012年)
脚注
関連項目
外部リンク