シャンドス公爵 (英 : Duke of Chandos )は、かつて存在したイングランド貴族 の公爵 位。トーリー党 の政治家だった初代カーナーヴォン伯爵 ジェイムズ・ブリッジス が1719年 に叙位されたのに始まるが、孫にあたる第3代シャンドス公爵ジェイムズ・ブリジッス が1789年 に死去した際に廃絶した。本稿では関連性の高いシャンドス男爵についても触れる。
歴史
初代シャンドス公爵ジェイムズ・ブリッジズ (ヘルマン・ファン・デア・マイン (オランダ語版 ) 画)
ハートフォードシャー やグラモーガン (英語版 ) などのシェリフ を務めたロジャー・ド・シャンドス(-1353) は1337年 12月20日 に議会招集令状によるイングランド貴族爵位としてシャンドス男爵(シャンドス卿)に叙された[ 1] 。初代男爵の死後、その息子のトマス・シャンドス(1333頃 - 1375) が2代シャンドス男爵を継承し、ついでその息子のジョン・シャンドス(1349頃 - 1428) が3代シャンドス男爵を継承したが、彼の死去で男系男子が絶えた際に保持者不在 (abeyant)となったが、その後デ・ジュリ で2代シャンドス男爵の娘の孫にあたるジャイルズ・ブルージ(1396-1467) [ 2] 、トマス・ブルージ (英語版 ) (1427–1493) [ 3] 、ジャイルズ・ブルージ (英語版 ) (1462頃–1511) [ 4] と継承されたことになる。
ジャイルズの息子であるジョン・ブリッジス (英語版 ) (1492–1557) は、ヘンリー8世 からメアリー1世 のテューダー朝 の宮廷に仕え、ロンドン塔長官 (英語版 ) としてジェーン・グレイ が断頭台へ向かうのを手伝い、またエリザベス王女 を収監した[ 5] 。メアリー女王にスードリー城 (英語版 ) を与えられるとともに1554年4月8日の勅許状によりイングランド貴族爵位カウンティ・オブ・グロスター におけるスードリーのシャンドス男爵(Baron Chandos, of Sudeley in the County of Gloucester) に叙位された[ 6] 。彼は時々デ・ジュリの第1期の第7代シャンドス卿とも記される[ 7] 。
初代男爵の次男の息子であるジャイルズ・ブリッジズ (英語版 ) (1573年-1637年) は、1627年 5月17日 にイングランド準男爵位の(カウンティ・オヴ・ハートフォード におけるウィルトン (英語版 ) の)準男爵 (Baronet "of Wilton in the County of Hereford") に叙せられており、彼の孫にあたる3代準男爵ジェイムズ・ブリッジズ (1642年-1714年) が8代シャンドス男爵を継承したことで、この(ウィルトンの)準男爵位はシャンドス男爵位の従属称号となった[ 6] 。
8代シャンドス男爵の子ジェイムズ・ブリッジズ (1674年-1744年) は、襲爵前にヘレフォード選挙区 (英語版 ) 選出のトーリー党 の庶民院 議員などを務め[ 8] [ 9] 、1714年 10月19日 に第9代シャンドス男爵を襲爵した直後の同年10月19日にグレートブリテン貴族 爵位カーナーヴォン伯爵 (Earl of Carnarvon) とカウンティ・オヴ・ハートフォードにおけるウィルトン子爵 (Viscount Wilton, in the County of Hertford ) に叙せられた[ 10] [ 11] [ 12] 。この2つの爵位には彼の父の男系男子を特別継承者(special remainder)とする規定が付けられていた(兄弟の男系男子も続かなかったので結果的にはこの規定は意味をなさず)[ 8] 。ついで1719年 4月29日 にはグレートブリテン貴族爵位シャンドス公爵 (Duke of Chandos ) とカーナーヴォン侯爵 (Marquess of Carnarvon ) に叙せられた[ 13] [ 11] [ 12] 。
彼の没後これらの爵位は息子のヘンリー (1708年-1771年) が継承し、ついでその息子のジェイムズ (1731年-1789年) に継承された。3代公ジェイムズは1747年2月10日に母方からスコットランド貴族 爵位のキンロス卿 (Lord Kinloss) を継承していたことが後世に確認されている(デ・ジュリ )。男子のない3代公爵の死去後、シャンドス公爵、カーナーヴォン伯爵はじめほとんどの保有爵位が断絶したが[ 11] [ 12] 、キンロス卿のみは娘のアンに継承されている[ 8] 。
アンの夫である第2代バッキンガム侯爵リチャード・テンプル=ニュージェント=ブリッジス=シャンドス=グレンヴィル は、1822年 に連合王国貴族 爵位バッキンガム=シャンドス公爵 に叙されている[ 14] 。
歴代当主
シャンドス男爵 第1期 (1337年)
『Complete Peerage』における称号のスペルは'Chaundos'である[ 15]
初代シャンドス男爵ロジャー・ド・シャンドス (-1353)
2代シャンドス男爵トマス・シャンドス (1333頃 - 1375)
3代シャンドス男爵ジョン・シャンドス (1349頃 - 1428) 死後に保持者不在 (abeyant)
4代シャンドス男爵ジャイルズ・ブルージ (1396-1467) 1458年に従兄弟の死で保持者不在解除。デ・ジュリ
5代シャンドス男爵トマス・ブルージ (英語版 ) (1427–1493) デ・ジュリ
6代シャンドス男爵ジャイルズ・ブルージ (英語版 ) (1462頃–1511) デ・ジュリ
シャンドス男爵 第2期 (1554)
シャンドス公爵 (1719年)
出典
^ Lundy, Darryl. “Sir Roger de Chaundos, 1st Lord Chaundos ” (英語). thepeerage.com . 2019年10月28日 閲覧。
^ Lundy, Darryl. “Giles Brugge, 4th Lord Chaundos ” (英語). thepeerage.com . 2019年10月28日 閲覧。
^ Lundy, Darryl. “Thomas Brugge, 5th Lord Chaundos ” (英語). thepeerage.com . 2019年10月28日 閲覧。
^ Lundy, Darryl. “Sir Giles Brugge, 6th Lord Chaundos ” (英語). thepeerage.com . 2019年10月28日 閲覧。
^ この記事にはアメリカ合衆国 内で著作権が消滅した 次の百科事典本文を含む: Chisholm, Hugh , ed. (1911). "Chandos, Barons and Dukes of ". Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 5 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 838.
^ a b Heraldic Media Limited. “Chandos, Baron (E, 1554 - 1789) ” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage . 2019年9月26日 閲覧。
^ The Peerage — John Brydges, 1st Baron Chandos of Sudeley
^ a b c Heraldic Media Limited. “Chandos, Duke of (GB, 1719 - 1789) ” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage . 2019年10月10日 閲覧。
^ Lundy, Darryl. “James Brydges, 1st Duke of Chandos ” (英語). thepeerage.com . 2019年10月10日 閲覧。
^ "No. 5269" . The London Gazette (英語). 16 October 1714. p. 2. 2013年11月17日閲覧 。
^ a b c Doyle, James William Edmund [in 英語] , ed. (1886). "CHANDOS." . The Official Baronage of England . Vol. 1. London : Longmans, Green & Co . pp. 351–358. 2013年11月17日閲覧 。
^ a b c Gibbs, Vicary, ed. (1913). "CHANDOS" . The complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom . Vol. 3 (2nd ed.). London : The St. Catherine Press, Ltd. pp. 126–134. 2013年11月17日閲覧 。
^ "No. 5742" . The London Gazette (英語). 28 April 1719. p. 1. 2013年11月17日閲覧 。
^ "No. 17781" . The London Gazette (英語). 12 January 1822. p. 59.
^ 2nd edition, volume 3, P147
^ Complete Peerage, 2nd edition, Vol 3, P 133
関連項目