シカゴ・ブルズ

シカゴ・ブルズ
Chicago Bulls
2021-22シーズンのシカゴ・ブルズ
呼称/略称  CHI 
チームロゴ 赤い雄牛の頭部。
所属リーグ  NBA アメリカ合衆国の旗カナダの旗
カンファレンス  イースタン・カンファレンス 
ディビジョン  セントラル 
創設 1966年
チーム史 シカゴ・ブルズ
(1966年-)
本拠
シカゴ・ブルズの位置(アメリカ合衆国内)
シカゴ・ブルズ

イリノイ州の旗イリノイ州シカゴ
アリーナ ユナイテッド・センター
収容人数 20,917人 開設1994年
チームカラー 赤、黒、白[1][2]
   
主なスポンサー Zenni Optical[3]
オーナー ジェリー・ラインズドルフ
社長 マイケル・ラインズドルフ
GM マーク・エバーズリー英語版
ヘッドコーチ ビリー・ドノバン
優勝歴 6回
(1991年, 1992年, 1993年, 1996年, 1997年, 1998年)
ファイナル進出 6回(1991年, 1992年, 1993年, 1996年, 1997年, 1998年)
ディビジョン優勝 9回(1975年, 1991年, 1992年, 1993年, 1996年, 1997年, 1998年, 2011年, 2012年)
永久欠番  4   10   23   33 
NBAGL提携チーム ウィンディシティ・ブルズ
公式サイト www.nba.com/bulls
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シカゴ・ブルズ (Chicago Bulls) は、アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ市に本拠を置く全米プロバスケットボール協会 (NBA) のチーム。イースタン・カンファレンス、セントラル・ディビジョン所属。

概要

バスケットボールの神様マイケル・ジョーダンがドラフト指名され長年所属していたことで知られる。1991・1992・1993の3連覇1996・1997・1998の2連覇と8年間で6度優勝し2度のスリーピートを達成した。

しかしチームはこの6回以外に優勝したことはなく、1998年を最後に優勝から遠ざかっている。

歴史

初期

1946年設立のシカゴ・スタッグズ1950年に解散、1961年設立のシカゴ・パッカーズは、NFLシカゴ・ベアーズの宿敵であるグリーンベイ・パッカーズと同じチーム愛称が不興を買ってしまい、1962年にシカゴ・ゼファーズと改称、1963年ボルチモアへ移転しまうなど、米国第2の都市(当時)であるにもかかわらず、シカゴにはNBAのチームがなかなか根付かずにいた。

パッカー(ミートパッカー)は食肉加工業者といった意味だが、当時のシカゴにはユニオン・ストックヤードという広大な食肉加工場があり、インターナショナル・アンフィシアターというアリーナが隣接していた。シカゴ・パッカーズと同様にインターナショナル・アンフィシアターを当初のホームアリーナとし、1966年に設立された3番目のチームは、シカゴ・ブルズと命名された。なお、シカゴは北米屈指の金融センターでもあるが、金融用語でブル(Bull)には「強気」や「上昇」、ベア(Bear)には「弱気」や「下落」という意味がある。

初期のブルズは新興チームながらもプレイオフに進出する活躍を見せたが、勝率5割に届かない時期が続いた。最初の2シーズンの監督はレッド・カーだった。

1970年代のブルズはボブ・ラブジェリー・スローンを擁するディビジョン屈指のチームだった。70年代末期からブルズは低迷の時期に入り、引退したジェリー・スローンを初め監督が何度か入れ替わり、レジー・セウスなどスター選手も活躍したが数年間プレイオフから遠ざかった。

ジョーダンの時代

マイケル・ジョーダン

1984年にシカゴ・ブルズはドラフトで全体で3番目にマイケル・ジョーダンを選び、チームの運命を大きく変えることになる。それ以前はディフェンスを中心とした有力なチームではあったものの優勝には近づくことはなかった。平均30点以上を毎シーズン記録したジョーダンを擁していたが、チームとしての力に欠けており、1980年代に優勝をつかむことはなかった。しかし、1987年にはホーレス・グラントスコッティ・ピッペンを揃え、1990年代のチームを支える選手が着々と揃っていった。トライアングル・オフェンスを採用することになるフィル・ジャクソン1989年にコーチに迎えている。また、このシーズンよりプレイオフにおいて黒いシューズを着用するという伝統が始まる。これにあやかって、「黒いシューズ」は他チームも真似をするようになった。

1990年-1991年のシーズン、ブルズはマジック・ジョンソン率いるロサンゼルス・レイカーズを4勝1敗で下し、初のリーグ制覇を成し遂げる。翌シーズンは、クライド・ドレクスラー率いるポートランド・トレイルブレイザーズを4勝2敗で下し、1992-1993シーズンチャールズ・バークレー率いるフェニックス・サンズを4勝2敗で下し、スリーピート(3連覇)を果たした[4]。3シーズン連続でリーグ制覇を成し遂げたのは、1960年代のボストン・セルティックス以来であった。

しかし、父親をオフシーズン中に殺害されたジョーダンは引退し、スコッティ・ピッペンやクロアチア出身のルーキー、トニー・クーコッチに率いられたチームは、シーズン55勝の記録を残したものの、3勝4敗でニューヨーク・ニックスに敗れ、記録は途切れることになる。

フィル・ジャクソンとマイケル・ジョーダン

1995年3月17日、マイケル・ジョーダンは引退してメジャーリーガーを目指していたが、チームに復帰する。しかしオーランド・マジックに敗れ、1994年-1995年のシーズンは優勝を逃す。その後、拡張ドラフトにより、B.J.アームストロングを失うもののトレードを通じて、デニス・ロッドマンがチームに加わり、ブルズは再びリーグ制覇に向かう。

1995-1996シーズン、72勝10敗でレギュラーシーズンを終えると、シアトル・スーパーソニックスを破り、4度目のリーグ制覇を成し遂げる。

1996-1997シーズン1997-1998シーズンジョン・ストックトンカール・マローン率いるユタ・ジャズと対戦するが、いずれも制し再び3年連続でリーグを制覇する。このシリーズでは、試合終了間際にジョーダンからフリーのスティーブ・カーにパスがわたり決勝シュートが決まり優勝を決定づけたプレイがあるが、前回の3連覇の際のジョン・パクソンの3ポイントを多くの者に思い出させた。

ジョーダン退団後低迷期

GMのジェリー・クラウスと現場との確執が根深かったチームは1998年に完全に解体されることになる。スコッティ・ピッペンがトレード、フィル・ジャクソンが契約切れで共にチームを去り、マイケル・ジョーダンもコーチと一緒に引退した。デニス・ロッドマンスティーブ・カーは放出された。トニー・クーコッチロン・ハーパーがチームを率いたもののロックアウトによって短くなったシーズンを13勝37敗で終える。

1999年、ドラフト1位指名権を獲得し、エルトン・ブランドロン・アーテストを指名、引き続きトライアングル・オフェンスを採用して戦うが、成績は低迷を続け、1999-2000年シーズン途中にクーコッチ、2001年にブランド、2002年にアーテストは放出され、タイソン・チャンドラーエディ・カリーの二人の高卒選手を軸に再建を図ることになった。

ジョン・パクソンGM時代

2003年の夏に、長年GMを務めてきたジェリー・クラウスが体調不良と長引くチームの不振の責任を取るため退くと、ジョン・パクソンが代わってGMに就任した。同年のドラフトでカーク・ハインリックを指名、2003-04シーズン途中に、スコット・スカイルズを監督に就任させ、体制を整える。

2004-2005シーズンは、開幕直後こそチーム最長タイとなる9連敗を喫したが、チームリーダーに成長したハインリック、ベン・ゴードンルオル・デンアンドレ・ノシオーニクリス・デューホン、新人4人の目覚しい活躍もあり、後期3連覇最後の年以来初めて勝ち越し、プレーオフに進出した。プレーオフは、1回戦でワシントン・ウィザーズに敗れた。2005-2006シーズンは、インサイドの得点源であったカリーを放出した影響で、成績は前年を下回ったが2年連続でプレイオフに出場、チャンピオンのマイアミ・ヒート相手に善戦した。(次の年ではヒートに4-0で勝っている)。2006年6月に、デトロイト・ピストンズからFAとなったベン・ウォーレスと契約。また、チャンドラーと交換でP・J・ブラウンを獲得し、2006-2007シーズンは勝率を6割まで伸ばしたが、プレイオフで、積年のライバルであるピストンズに敗れた。

2007-2008シーズン、さらなる躍進が期待されたが、序盤チームは大きく出遅れ地区最下位に転落。スカイルズ監督は解任され、ジム・ボイランが暫定監督を務めた。

ローズの時代

デリック・ローズ

2008年のNBAドラフトで1位指名権を得たブルズは、地元シカゴ出身でメンフィス大学デリック・ローズを指名。2008-2009シーズンは、ローズが新人王に選出されチームは勝率五割を記録。プレーオフ一回戦では第二シードのボストン・セルティックスを追い込み3勝4敗で敗退したものの善戦は評価された。

2009-2010シーズン、オフシーズンに主力のゴードンが去ったが、ジョアキム・ノア、ローズが成績を上げ2年連続勝率五割となった。

2009-2010シーズン終了後、オフにカルロス・ブーザー獲得し戦力をアップさせた。

2010-2011シーズンはローズが史上7人目の25得点、4リバウンド、7アシスト以上を記録し、1997-1998シーズン以来となる62勝20敗でカンファレンス1位でプレーオフに進出したが、カンファレンスファイナルでマイアミ・ヒートに敗れファイナル進出はできなかった。

2011-12シーズンは、強固なディフェンスと組織力でチームは好調を維持。 短縮シーズンとなったこのシーズンもサンアントニオ・スパーズと同じ50勝16敗の成績で、前年に引き続きリーグ最高勝率を挙げた。 プレーオフ初戦でローズが右膝前十字靭帯断裂で離脱し、1stラウンドで敗退した。

United Center coloring

2012-13シーズンは、ローズがシーズンを全休する中で、ディフェンスと組織力で乗り切り第5シードでプレーオフに進出し1stラウンドはブルックリン・ネッツを第7戦で下したが、続くヒートには1勝したのみで敗退した。

2013-14シーズンは、満を持してローズは復帰を果たしたが10試合に出場したのみで11月22日のポートランド・トレイルブレイザーズ戦で負傷し、翌日のMRI検査で右膝半月板損傷が確認され[5]、11月25日に手術が行われ残りシーズン全休が発表された[6]。 またしてもローズのいないシーズンが続き、ジョアキム・ノアが、最優秀守備選手に選ばれるなど、チーム力で乗り切り、48勝と昨シーズンより成績を伸ばしプレーオフに進出したが、1stラウンドで、強力ポイントガード、ジョン・ウォールがコントロールするワシントン・ウィザーズに敗れた。

バトラーの時代

2014-15シーズンは、オフにロサンゼルス・レイカーズからFAになっていたパウ・ガソルと契約した。代わりにカルロス・ブーザーとの契約を解消したが、インサイドに高さと経験を加えた。デリック・ローズは故障癖に悩まされているが、ジミー・バトラーが飛躍的な成長を見せ、MIP候補にも挙がる活躍ぶりでチームを牽引。トニー・スネルや新加入のニコラ・ミロティッチなども力を付け、危なげのない戦いぶりで、5年連続でプレーオフ出場を決めた。1stラウンドはミルウォーキー・バックスを4勝2敗で退けたが、セミファイナルはレブロン・ジェームズが5年振りに復帰したクリーブランド・キャバリアーズに2勝4敗で屈し、トム・シボドーヘッドコーチは5月28日に解任。6月1日にフレッド・ホイバーグが新ヘッドコーチに就任した。

ホイバーグを新ヘッドコーチに迎えた2015-16シーズンは、開幕当初は好調だった。ところが2016年に入り、ジョアキム・ノアジミー・バトラーなど主力に負傷者続出して以降状況が一変。勝率が5割前後までに低下。結局42勝40敗に終わり、ローズがブルズに入団して以降初のプレーオフ不出場に終わり、シーズン終了後にはローズをニューヨーク・ニックスに放出。一つの時代が終結した。

ローズをニューヨーク・ニックスに放出したのに続き、FA交渉が解禁した2016年7月に入ってからも、ジョアキム・ノア (ニックスへ) 、パウ・ガソル (サンアントニオ・スパーズへ) との再契約を見送るなど、ブルズはチーム再建の道を歩んでいくものと思われていた。ところが、ブルズは精力的な動きを見せた。3日にレイジョン・ロンドを獲得したのに続き、6日にはマイアミ・ヒートに3度の栄冠をもたらした、地元シカゴ出身のドウェイン・ウェイドの獲得を発表したのである。落胆していたはずのブルズファンが、希望に満ち溢れたことは言うまでもない。2016-17シーズンのブルズは、NBAチャンピオン経験を誇る強力ガードコンビを中心に挑むことになった。しかし、蓋を開けてみると、大量補強の効果は見られず、勝率5割前後の闘いに終始。ロンドとニコラ・ミロティッチフレッド・ホイバーグHCと反目し、ウェイドはシーズン終了後に退団を仄めかすなど、プレーオフ出場こそ何とか決めたもの、1stラウンドでボストン・セルティックスに2勝4敗で屈し、期待外れのシーズンに終わった。

低迷期

その後チームは再建に舵を切り、チームの顔であったバトラーをミネソタ・ティンバーウルブズへ放出し、期待された程の成績を残せなかったロンドとウェイドも解雇した。(ロンドはニューオーリンズ・ペリカンズへ、ウェイドはクリーブランド・キャバリアーズへ移籍)主力を軒並み放出した2017-2018シーズンは27勝55敗と大きく低迷。2018年のオフにはドラフト7位を獲得すると、Cもウェンデル・カーター・ジュニアを指名。さらにFA戦線ではシカゴ出身のジャバリ・パーカーを獲得する。

シーズンごとの成績

Note: 勝 = 勝利数, 敗 = 敗戦数, % = 勝率

シーズン % プレーオフ 結果
シカゴ・ブルズ
1966-67 33 48 .407 ディビジョン準決勝敗退 セントルイス 3, ブルズ 0
1967-68 29 53 .354 ディビジョン準決勝敗退 レイカーズ 4, ブルズ 1
1968-69 33 49 .402
1969-70 39 43 .476 ディビジョン準決勝敗退 ホークス 4, ブルズ 0
1970-71 51 31 .622 カンファレンス準決勝敗退 レイカーズ 4, ブルズ 3
1971-72 57 25 .695 カンファレンス準決勝敗退 レイカーズ 4, ブルズ 0
1972-73 51 31 .622 カンファレンス準決勝敗退 レイカーズ 4, ブルズ 3
1973-74 54 28 .659 カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝敗退
ブルズ 4, ピストンズ 3
バックス 4, ブルズ 0
1974-75 47 35 .573 カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝敗退
ブルズ 4, カンザスシティ・オマハ 2
ウォリアーズ 4, ブルズ 3
1975-76 24 58 .293
1976-77 44 38 .537 1回戦敗退 ブレイザーズ 2, ブルズ 1
1977-78 40 42 .488
1978-79 31 51 .378
1979-80 30 52 .366
1980-81 45 37 .549 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
ブルズ 2, ニックス 0
セルティックス 4, ブルズ 0
1981-82 34 48 .415
1982-83 28 54 .341
1983-84 27 55 .329
1984-85 38 44 .463 1回戦敗退 バックス 3, ブルズ 1
1985-86 30 52 .366 1回戦敗退 セルティックス 3, ブルズ 0
1986-87 40 42 .488 1回戦敗退 セルティックス 3, ブルズ 0
1987-88 50 32 .610 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
ブルズ 3, キャブス 2
ピストンズ 4, ブルズ 1
1988-89 47 35 .573 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝敗退
ブルズ 3, キャブス 2
ブルズ 4, ニックス 2
ピストンズ 4, ブルズ 2
1989-90 55 27 .671 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝敗退
ブルズ 3, バックス 1
ブルズ 4, シクサーズ 1
ピストンズ 4, ブルズ 3
1990-91 61 21 .744 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル優勝
ブルズ 3, ニックス 0
ブルズ 4, シクサーズ 1
ブルズ 4, ピストンズ 0
ブルズ 4, レイカーズ 1
1991-92 67 15 .817 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル優勝
ブルズ 3, ヒート 0
ブルズ 4, ニックス 3
ブルズ 4, キャブス 2
ブルズ 4, ブレイザーズ 2
1992-93 57 25 .695 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル優勝
ブルズ 3, ホークス 0
ブルズ 4, キャブス 0
ブルズ 4, ニックス 2
ブルズ 4, サンズ 2
1993-94 55 27 .671 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
ブルズ 3, キャブス 0
ニックス 4, ブルズ 3
1994-95 47 35 .573 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
ブルズ 3, シャーロット 1
マジック 4, ブルズ 2
1995-96 72 10 .878 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル優勝
ブルズ 3, ヒート 0
ブルズ 4, ニックス 1
ブルズ 4, マジック 0
ブルズ 4, ソニックス 2
1996-97 69 13 .841 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル優勝
ブルズ 3, ウィザーズ 0
ブルズ 4, ホークス 1
ブルズ 4, ヒート 1
ブルズ 4, ジャズ 2
1997-98 62 20 .756 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル優勝
ブルズ 3, ネッツ 0
ブルズ 4, シャーロット 1
ブルズ 4, ペイサーズ 3
ブルズ 4, ジャズ 2
1998-99 13 37 .260
1999-2000 17 65 .207
2000-01 15 67 .183
2001-02 21 61 .256
2002-03 30 52 .366
2003-04 23 59 .280
2004-05 47 35 .573 1回戦敗退 ウィザーズ 4, ブルズ 2
2005-06 41 41 .500 1回戦敗退 ヒート 4, ブルズ 2
2006-07 49 33 .610 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
ブルズ 4, ヒート 0
ピストンズ 4, ブルズ 2
2007-08 33 49 .402
2008-09 41 41 .500 1回戦敗退 セルティックス 4, ブルズ 3
2009-10 41 41 .500 1回戦敗退 キャブス 4, ブルズ 1
2010-11 62 20 .756 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝敗退
ブルズ 4, ペイサーズ 1
ブルズ4, ホークス 2
ヒート 4, ブルズ 1
2011-12 50 16 .758 1回戦敗退 シクサーズ 4, ブルズ 2
2012-13 45 37 .549 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
ブルズ 4, ネッツ 3
ヒート 4, ブルズ 1
2013-14 48 34 .585 1回戦敗退 ウィザーズ 4, ブルズ 1
2014-15 50 32 .610 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
ブルズ 4, バックス2
キャバリアーズ 4, ブルズ 2
2015–16 42 40 .512
2016–17 41 41 .500 1回戦敗退 セルティックス 4, ブルズ 2
2017–18 27 55 .329
2018–19 22 60 .268
2019–20 22 43 .338
2020–21 31 41 .431
2021–22 46 36 .561 1回戦敗退 バックス 4, ブルズ 1
2022–23 40 42 .488
2023–24 39 43 .476
通算勝敗 2,383 2,297 .509
プレイオフ 187 162 .536 優勝6回

主な選手

現役選手

プレーヤー スタッフ
Pos. # 名前 国籍 年齢 身長 体重 出身
G 2 ロンゾ・ボール (Lonzo Ball)  アメリカ合衆国 27 (1997/10/27) 6 ft 6 in (1.98 m) 190 lb (86 kg) UCLA 
F 14 マタス・ブゼリス (Matas Buzelis) リトアニア 20 (2004/10/13) 6 ft 10 in (2.08 m) 209 lb (95 kg) イグナイト 
G 5 ジェヴォン・カーター (Jevon Carter) アメリカ合衆国 29 (1995/09/14) 6 ft 1 in (1.85 m) 200 lb (91 kg) ウェストバージニア大学 
F 13 トーリー・クレイグ (Torrey Craig) アメリカ合衆国 34 (1990/12/19) 6 ft 5 in (1.96 m) 221 lb (100 kg) USCアップステート 
G 11 アヨ・ドスンム (Ayo Dosunmu) 6th アメリカ合衆国 24 (2000/01/17) 6 ft 5 in (1.96 m) 200 lb (91 kg) イリノイ大学 
G 27 クリス・ドゥアルテ (Chris Duarte) アメリカ合衆国 27 (1997/06/13) 6 ft 5 in (1.96 m) 190 lb (86 kg) オレゴン大学 
G 3 ジョシュ・ギディー (Josh Giddey) オーストラリア 22 (2002/10/10) 6 ft 8 in (2.03 m) 205 lb (93 kg) オーストラリア 
G 22 テイレン・ホートン=タッカー (Talen Horton-Tucker) アメリカ合衆国 24 (2000/03/31) 6 ft 4 in (1.93 m) 234 lb (106 kg) アイオワ州立大学 
G 8 ザック・ラビーン (Zach LaVine) アメリカ合衆国 29 (1995/03/10) 6 ft 5 in (1.96 m) 200 lb (91 kg) UCLA 
F 32 E・J・リデル (E. J. Liddell)  アメリカ合衆国 24 (2000/12/18) 6 ft 7 in (2.01 m) 240 lb (109 kg) オハイオ州立大学 
F 15 ジュリアン・フィリップス (Julian Phillips) アメリカ合衆国 21 (2003/11/05) 6 ft 8 in (2.03 m) 198 lb (90 kg) テネシー大学 
F 21 アダマ・サノゴ (Adama Sanogo)  マリ共和国 22 (2002/02/12) 6 ft 9 in (2.06 m) 245 lb (111 kg) UConn 
C 7 ジェイレン・スミス (Jalen Smith) アメリカ合衆国 24 (2000/03/16) 6 ft 10 in (2.08 m) 215 lb (98 kg) メリーランド大学 
G 00 DJ・スチュワード (DJ Steward)  アメリカ合衆国 23 (2001/10/02) 6 ft 2 in (1.88 m) 162 lb (73 kg) デューク大学 
G/F 25 デイレン・テリー (Dalen Terry) アメリカ合衆国 22 (2002/07/12) 6 ft 7 in (2.01 m) 195 lb (88 kg) アリゾナ大学 
C 9 ニコラ・ブーチェビッチ (Nikola Vučević) モンテネグロ 34 (1990/10/24) 7 ft 0 in (2.13 m) 240 lb (109 kg) USC 
G 0 コービー・ホワイト (Coby White) アメリカ合衆国 24 (2000/02/16) 6 ft 4 in (1.93 m) 195 lb (88 kg) ノースカロライナ大学 
F 44 パトリック・ウィリアムズ (Patrick Williams) アメリカ合衆国 23 (2001/08/26) 6 ft 8 in (2.03 m) 215 lb (98 kg) フロリダ州立大学 

記号説明


外部リンク


更新日:2024年12月11日


年代別主要選手

太文字…殿堂入り選手 (C)…優勝時に在籍した選手 (M)…在籍時にMVPを獲得した選手 (50)…偉大な50人 (75)…偉大な75人

栄誉

コーチ、その他


チーム記録

シカゴ・ブルズのチーム記録

脚註

  1. ^ “NBA Unveils Logo for NBA All-Star 2020 in Chicago”. NBA Media Ventures, LLC. (February 17, 2019). オリジナルのFebruary 19, 2019時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20190219020232/https://www.nba.com/bulls/news/nba-unveils-logo-nba-all-star-2020-chicago February 18, 2019閲覧. "The Chicago Bulls’ signature font and team colors – red and black – are also incorporated into the logo scheme." 
  2. ^ Chicago Bulls Reproduction and Usage Guideline Sheet”. NBA Properties, Inc.. December 22, 2017時点のオリジナルよりアーカイブDecember 22, 2017閲覧。
  3. ^ "Zenni Optical Become First Every Jersey Patch Partner". Bulls.com (Press release). NBA Media Ventures, LLC. 16 October 2018. 2018年10月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年10月16日閲覧
  4. ^ 「グラントがいた時代のほうが良いチームだった」黄金期のブルズと対戦したバークレーがそう語る理由”. THE DIGEST (2021年1月13日). 2021年1月14日閲覧。
  5. ^ Derrick Rose out indefinitely”. ESPN.com (November 23, 2013). November 23, 2013閲覧。
  6. ^ K.C. Johnson, "Bulls' Rose is likely out for season," Chicago Tribune, November 25, 2013.

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