サッカーパラグアイ代表(サッカーパラグアイだいひょう、西: Selección nacional de fútbol de Paraguay)は、パラグアイサッカー協会(APF)によって構成される、パラグアイのサッカーのナショナルチームである。ホームスタジアムは、首都・アスンシオンにあるエスタディオ・ディフェンソーレス・デル・チャコ。
概要
通算8回のFIFAワールドカップ出場経験があり、最高順位は2010年大会(南アフリカ開催)のベスト8。コパ・アメリカでは1953年大会、1979年大会で優勝を果たしている。FIFAランキングでは最高順位は2001年3月に記録した8位、最低順位は1995年5月に記録した103位。
歴史
第1回W杯への参加
1930年、ウルグアイで開催された第1回ワールドカップに参加した。グループの首位のみが突破となる1次リーグで、アメリカに0-3の敗戦、ベルギーには1-0の勝利で1勝1敗となり決勝トーナメントには進めなかった。
1930年代 – 1970年代
南米選手権(現コパ・アメリカ)1929、1947、1949でそれぞれ準優勝を果たし、1950 FIFAワールドカップ・予選では辞退国が出たため自動的に20年ぶりとなるFIFAワールドカップ出場が決まった。本大会ではスウェーデン、イタリアと同組になったが1分1敗に留まり、決勝トーナメント進出を逃している。
南米選手権1953(ブラジル開催)で南米選手権初優勝を遂げた。出場8カ国が総当たりを行う1次リーグをブラジルと並ぶ6勝1敗で終え、それに伴い行われた決勝戦でブラジルを3-2で破った[1]。
1958 FIFAワールドカップではフランス、スコットランド、ユーゴスラビアと共にグループ2に入ったが1勝1分1敗でグループ3位となり、またしてもグループリーグ敗退となった。
1970年代 – 1990年代
W杯予選では前述のスウェーデン大会以降、南米予選敗退が続いたが、コパ・アメリカでは断続的に好成績を残した。
コパ・アメリカ1979ではグループリーグで強豪ウルグアイ、エクアドルが属するグループCとなったが、2勝2分と無敗で決勝トーナメントに進出。準決勝ではブラジルを打ち合いの末4-3で、決勝ではチリを3-1で下し、26年ぶりに南米王者に輝いた[2]。
予選を勝ち抜き、実に28年ぶりの出場となった1986 FIFAワールドカップ(メキシコ開催)では、ロベルト・フェルナンデス、ロランド・チラベルトなどの好選手を揃えて参加。グループリーグの初戦で初出場のイラクを1-0で破ると、メキシコ、ベルギーにはそれぞれ1-1、2-2での引き分け。通算で1勝2分となり、4回目の出場にして初めて16強に進出した。決勝トーナメント1回戦ではイングランドに0-3で敗れた[3]。
黄金期(1998年 – 2011年)
W杯メキシコ大会で好成績を残したパラグアイ代表だが、続く1990年大会、1994年大会では南米予選敗退に終わった。
1992年、バルセロナ五輪に出場。グループステージを2位で勝ち抜いたが、準々決勝でガーナに敗れた[4] 。この大会では、カルロス・ガマーラ、セルソ・アジャラ、ホセ・ルイス・チラベルト、フランシスコ・アルセ、ホセ・カルドーソといった才能ある若手が台頭し、後にこの世代はW杯で好成績を残し、ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイに並ぶ南米強豪国となったため、黄金世代と呼ばれている。
1998 W杯
南米予選では、勝ち点差僅か1でアルゼンチンに次ぐ2位となり、1986年大会以来となる本大会出場権を獲得した。
本大会ではブルガリア、スペイン、ナイジェリアが入るグループDに振り分けられた。ブルガリア、スペインとの試合をいずれも0-0のスコアレスドローで終えた[5]。最終戦は既に1次リーグ突破を決めているナイジェリアとの一戦であったが、これに3-1で勝利。1986年大会同様、1勝2分で決勝トーナメントに進出した。
ベスト8を賭けた決勝T1回戦では、主力のジネディーヌ・ジダンを欠く開催国・フランスと対戦。前後半90分で0-0と決着がつかず、延長戦に突入。ところが、延長後半9分にローラン・ブランに先制点を許した。この大会から導入されたゴールデンゴール方式により、これが決勝点となりベスト16で散った[6]。大会後、今大会のオールスターチームにDFのカルロス・ガマーラ、GKであり主将のホセ・ルイス・チラベルトが選出された。
コパ・アメリカ1999・2001
地元開催となったコパ・アメリカ1999では、ボリビア、コパ・アメリカ初挑戦の招待国日本、ペルーが入るグループAとなった。開幕戦となったボリビア戦は0-0のドローに終わったが、第2戦で日本に4-0と完勝、最終戦でもペルーを1-0で下し勝ち点7の首位でグループリーグを突破した。準々決勝ではグループCを辛くも3位で突破したウルグアイと対戦。120分間で1-1と決着がつかずに行われたPK戦で敗れ、ベスト8敗退となった。
コパ・アメリカ2001(コロンビア開催)には、国内組主体のチームで挑んだ。強豪ブラジル、メキシコとペルーが入る厳しい組み合わせとなり、メキシコ、ペルーとは引き分け、ブラジルには1-3で敗れ2分1敗のグループ最下位で敗退した。
2002 W杯
南米予選ではペルーに対し黒星スタートとなったが、ウルグアイに2戦2勝するなど南米4位で予選突破を決めた。本大会には、チラベルトを始めとした前回大会に出場した選手主体のチームで挑んだ。
パラグアイが入ったのはグループBで、南アフリカ、スペイン、スロベニアと同組になった。初戦の南アフリカ戦で引き分け、第2戦のスペイン戦では敗れ、勝利が絶対条件となったスロベニア戦で3-1の快勝。南アフリカと勝ち点、得失点差共に並んだが、総得点で1上回り[7]、2大会連続決勝トーナメントに進んだ[8]。
初のベスト8を賭けた決勝T1回戦では、優勝経験3回という経歴を持つドイツとの勝負になった。試合はドイツが優勢に試合を進めていたが、パラグアイも無失点で耐え忍んでいた。延長突入直前の後半43分、オリバー・ノイビルに均衡を破る先制点を奪われ、初のベスト8進出は叶わなかった[9]。
2010年代以降
2010年の南アフリカ大会では守りを強化して決勝トーナメント1回戦で日本にPK戦の末、勝利して初のベスト8入りを果たし、コパ・アメリカ2011では48年ぶりの準優勝という成績を収めた。
このように近年では、ブラジルやアルゼンチン、ウルグアイの南米3大勢力に続く実力国としての地位をキープしてきた。しかし、直近の3大会は予選敗退が続いており、2014年のブラジル大会では南米予選最下位で予選敗退し、2018年のロシア大会・南米予選でも、第17節時点では7位に付け、同時刻キックオフで行われた最終節のベネズエラ戦で勝利すれば、他のカードの結果次第で本大会出場もしくは大陸間プレーオフへ出場出来たが、最終的にベネズエラに敗れて敗退した[10]。
2022年のカタール大会・南米予選でも、開幕から苦戦が続き予選8位で敗退した[11][12]。パラグアイはPK戦に強いチームでもあり、南アフリカ大会で日本にPK戦で勝利して以来、前述の2011年の南米選手権ではブラジルやベネズエラにもPK戦で勝利している[注釈 1]。
成績
FIFAワールドカップ
コパ・アメリカ
歴代監督
- マヌエル・フレイタス・ソリッチ 1922-1929, 1945-1946, 1947-1951, 1962-1965
- アウレリオ・ゴンサレス 1945-1946, 1957-1959, 1960-1961, 1968, 1970-1972, 1974
- カジェタノ・レ 1985-1986, 1989
- パウロ・セーザル・カルペジアーニ 1996-1998
- セルヒオ・マルカリアン 1992, 1999-2001
- チェーザレ・マルディーニ 2002
- アニバル・ルイス 2002, 2005-2006
- ラウル・アマリージャ 2006-2007
- ヘラルド・マルティーノ 2007-2011
- フランシスコ・アルセ 2011-2012, 2016-2017
- ヘラルド・ペルッソ 2012-2013
- ビクトル・ヘネス 2013-2014
- ラモン・ディアス 2014-2016
- ファン・カルロス・オソリオ 2018-2019
- エドゥアルド・ベリッソ 2019-2021
- ギジェルモ・バロス・スケロット 2021-
歴代選手
歴代記録
脚注
注釈
- ^ グループリーグでは3試合3引き分け、準々決勝、準決勝ともにPK戦で勝ち上がり、決勝戦で敗れ1勝もせずに準優勝を果たす。
出典
関連項目
外部リンク