ケビン・ランデルマン(英語: Kevin Randleman, 1971年8月10日 - 2016年2月11日)は、アメリカ合衆国の男性総合格闘家、プロレスラー。オハイオ州サンダスキー出身。第5代UFC世界ヘビー級王者[1]。UFC殿堂入り。
レスリング出身であり、優れた身体能力をベースにした、弾丸のようなタックルによるテイクダウン、そして強烈なパウンドを得意とする。スタンドの打撃(特に左フック)も強力で、ストライカーであるミルコ・クロコップやムリーロ・ニンジャなどをスタンドのパンチでKOしている。
PRIDEでは驚異的な跳躍力を披露するパフォーマンスにあやかってリアル・ドンキーコングと呼ばれた[1]。
来歴
オハイオ州サンダスキーの11人兄弟の家庭に生まれる。アフリカ系とネイティブ・アメリカンの血を引いていた[2]。
サンダスキー高校時代は、アメリカンフットボールで4年間通してレギュラーとして活躍。レスリングでは1989年にオハイオ州王者になっている。オハイオ州立大学時代はレスリングのNCAAディビジョン1で2度王者になり[3]、3度オールアメリカンに選出された[1]。
総合格闘技
師と仰ぐマーク・コールマンの勧めで1996年に総合格闘技デビュー。
UFC
1999年3月5日、UFC初戦となったUFC 19でモーリス・スミスに判定勝利。
1999年5月7日、UFC 20のUFC世界ヘビー級王座決定戦でバス・ルッテンと対戦し、1-2の判定負けを喫し王座獲得に失敗した。
1999年11月19日、UFC 23のUFC世界ヘビー級王座決定戦でピート・ウィリアムスと対戦し、3-0の判定勝ちを収め王座獲得に成功した[1]。2000年6月9日のUFC 26ではペドロ・ヒーゾを判定で下し王座の初防衛に成功。しかし、2000年11月17日のUFC 28で行われたランディ・クートゥアとの防衛戦ではパウンドでTKO負けを喫し王座陥落した。
2001年5月4日、UFC 31でライトヘビー級に階級を落としチャック・リデルと対戦し、KO負け。
PRIDE
PRIDE参戦後3連勝したが、PRIDE.25でクイントン・"ランペイジ"・ジャクソンに敗北。さらにPRIDE GRANDPRIX 2003 決勝戦のワンマッチで桜庭和志に腕ひしぎ十字固めで一本負け[1]。
2004年4月25日、PRIDE GRANDPRIX 2004 開幕戦のヘビー級グランプリ1回戦でミルコ・クロコップと対戦し、左フックでダウンを奪いパウンドでKO勝ち。戦前の下馬評を覆す番狂わせの勝利となった[1]。6月20日、PRIDE GRANDPRIX 2004 2nd ROUNDの2回戦でPRIDEヘビー級王者のエメリヤーエンコ・ヒョードルと対戦。ヒョードルをスープレックスで頭からマットに叩きつけたが、直後にチキンウィングアームロックで一本負け。
2004年12月31日、PRIDE 男祭り 2004でミルコ・クロコップと再戦し、フロントチョークで一本負け。リベンジを許した。
2005年4月23日、PRIDE GRANDPRIX 2005 開幕戦のミドル級グランプリ1回戦で中村和裕と対戦し、判定負け。
2005年12月、肺の真菌性感染症のため左肺の手術を受け、しばらくの間、病院で闘病生活を送った[1]。
2006年10月21日、1年10か月ぶりの復帰戦となったPRIDE.32でマウリシオ・ショーグンと対戦し、膝十字固めで一本負け。試合後の薬物検査で偽の尿サンプルを提出したとしてネバダ州アスレチック・コミッションから、1年以上の選手ライセンス停止処分を受けた[4]。
2007年初頭、ブドウ球菌感染症と腎臓のダメージのため、再び闘病生活を送った[5]。
2007年8月、アメリカ合衆国ネバダ州で飲酒運転、速度違反、無免許運転などの容疑で逮捕された[6]。
戦極・Strikeforce
2008年3月5日の戦極 〜第一陣〜において、戦極への参戦が発表された[7]。
2008年5月18日、戦極 〜第二陣〜で川村亮と対戦し、判定勝ち。
2009年4月25日、5年半付き合ってきた白人女性と結婚[8]。
2009年6月6日、Strikeforce初参戦となったStrikeforce: Lawler vs. Shieldsでマイク・ホワイトヘッドと対戦し、判定負け[9]。
2009年11月7日、戦極 〜第十一陣〜でスタニスラブ・ネドコフと対戦し、判定負け。この試合から所属がTapout Training Facilityとなった。
2010年5月15日、Strikeforce: Heavy Artilleryでホジャー・グレイシーと対戦し、チョークスリーパーで一本負け[10]。
プロレス
2002年11月17日に『ファンタジーファイトWRESTLE-1』へ参戦、マークコールマンと組んで、馳浩、小島聡と対戦するが、最後は小島聡のラリアットに沈む。以来、総合格闘技と並行してプロレス活動も行っていた。目標とするプロレスラーはジミー・スヌーカで、スヌーカ同様に驚異的な跳躍力を生かした技を得意としていた。
2007年4月のハッスルシリーズに覆面レスラーランデルマンが登場、金村キンタロー似のキンターマン、黒田哲広似のクロダーマンと組んで参戦[1]。勝利を呼び込んだ上で、モンスター軍への雇用を求めるもあっさり拒否された。
死去
2016年2月11日、肺炎による心不全のため、44歳で死去[1]。12日に家族がランデルマンの死去をFacebookにて報告した[11][12]。ヒョードルやミルコ、ノゲイラを始めたとした多くのファイターが哀悼の意を表した。
2016年4月17日、RIZIN.1で追悼セレモニーが行われた[13]。
人物・エピソード
- 卓越した身体能力から爆発力のある攻撃を繰り出す反面、試合運びや駆け引き等の面では脆さを見せ、本人も「俺はいつも最後にミスを犯す」と認めている。
- ミルコに勝った時は大声を発しながら壁を叩き、ヒョードルに負けた時は机を殴るなど感情の起伏が激しい。
- 2009年に4年半練習してきたブラジリアン柔術で青帯を取得。本人はこのことについて「俺はUFCのベルトも持っているけど、今の俺にとってはこの青帯のほうが大事だよ」とコメントした。
戦績
総合格闘技 戦績
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33 試合
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(T)KO
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一本
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判定
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その他
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引き分け
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無効試合
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17 勝
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5
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4
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8
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0
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0
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0
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16 敗
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4
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8
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4
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0
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獲得タイトル
- レスリング NCAAディビジョン1 王者(1992年、1993年)[3]
- Universal Vale Tudo Fighting 4 優勝(1996年)
- 第5代UFC世界ヘビー級王座(1999年)
表彰
- レスリング NCAAディビジョン1 オールアメリカン(1991年、1992年、1993年)
- UFC殿堂入り(2020年)
脚注
関連項目
外部リンク