グレン・ホドル(Glenn Hoddle, 1957年10月27日 - )は、イングランド・ヘイズ (Hayes, Hillingdon) 出身の元イングランド代表サッカー選手、サッカー指導者、サッカー解説者。現役時代のポジションはミッドフィールダー。
略歴
1975年、トッテナム・ホットスパーFCに入団するとその年にリーグ戦デビューを飾り、1979-1980シーズンには19得点を挙げる活躍で最優秀若手選手賞に選ばれるとともに、1979年11月22日のブルガリア戦で代表デビューを果たし初得点をマーク。翌年開催されたEURO1980にも出場、1982年のスペインW杯にも2試合ながら出場した[2]。
その後もトッテナムの主力として活躍を見せ、1983-84シーズンにはUEFAカップ優勝のタイトルを獲得。1986年のメキシコW杯では5試合に出場し、ベスト8進出の原動力となった。1987-88シーズンよりASモナコへ移籍し、同シーズンのリーグ制覇に貢献。またEURO1988を最後にイングランド代表を引退した[2]。
1991-92シーズンからは再びイングランドへ戻り、プレイングマネージャーとして2部に相当するスウィンドン・タウンを指揮。指導者としてのスタートを切ると同シーズンにFAプレミアリーグ昇格へと導いた。1993年からはチェルシーFCの監督に就任。3年間監督を務め、1994-95シーズンのUEFAカップウィナーズカップにおいてベスト4進出に導く手腕を魅せた。これらの成功を受けてEURO1996終了後、テリー・ベナブルズの後任として、イングランド史上最年少の38歳でイングランド代表監督に就任した[2]。
1998年のフランスW杯予選ではイングランドを2大会ぶりのワールドカップ出場に導き、本大会で指揮を執ったが、代表の中心選手であったポール・ガスコインを外し論議を呼んだ。翌年「障害者は前世の罪の報いを受けている」と発言したことが基になり代表監督を解任された[3]。
1999年、 ワールドサッカー誌の20世紀の偉大なサッカー選手100人で63位に選出された。
その後、2000-01シーズンにサウサンプトンFCの監督に就任。
2000-01シーズン途中に古巣トッテナムの監督に就任。当初は元スター選手の帰還という事で、トッテナムファンからは歓迎されたが、思うような成績が残せず2002-03シーズン途中で解任[2]。
現在は英国のスポーツ専門放送局・スカイ・スポーツで解説者を務めている[2]。
エピソード
- 彼の名前の由来は、ジャズが好きな父親が尊敬していたジャズ奏者、グレン・ミラーに因んで名付けられた。
- 右利きではあるが、両足を遜色なく使いこなすことから「利き足のない男」と呼ばれたこともある。
タイトル
クラブ
- トッテナム
- FAカップ:1980-81,1981-82
- チャリティ・シールド:1981
- UEFAカップ:1983-84
- ASモナコ
個人
出典
外部リンク