グランヴィル伯爵 (英語 : Earl Granville )は、イギリス の伯爵 位。過去に2回創設されており、現存する2期目はグランヴィル・ルーソン=ゴア が1833年 に連合王国貴族 として叙されたことに始まる。
歴史
カートレット家
ホイッグ党の重鎮政治家の第2代グランヴィル伯爵・第2代カートレット男爵 ジョン・カートレット
清教徒革命 中、王党派 として行動したジャージー島 の政治家ジョージ・カートレット (英語版 ) (1610頃–1680) は、1645年 5月9日 にイングランド準男爵 位の"ジャージー島におけるMeteschesの"準男爵 (Baronet "of Metesches, in Jersey")に叙せられた。王政復古 後、彼は初代クラレンドン伯爵 エドワード・ハイド が主導する復古王政政府 (英語版 ) で海軍主計官 (英語版 ) を務めたり、王弟ヨーク公 ジェームズ (ジェームズ2世)からニュージャージー植民地 を譲り受けて同地の領主になり、ニュージャージーという名前の名付け親になるなどした[ 1] [ 2] 。
初代準男爵の死後にはその同名の孫であるジョージ・カートレット (1669–1695) が第2代準男爵を継承した。さらにその翌年の1681年 10月19日 にはイングランド貴族 爵位ベッドフォード州のハウネスのカートレット男爵 (Baron Carteret of Hawnes, in the County of Bedford) に叙せられた[ 3] 。またカートレット家のニュージャージーの権利は彼の代にウィリアム・ペン らクエーカー たちに売却して処分している[ 1] 。
その息子である第2代カートレット男爵ジョン・カートレット (1690–1763) は、ホイッグ党 の主要政治家の一人として政界で活躍し、首相ロバート・ウォルポール と政権内で反目し合い、ウォルポール内閣が倒閣された後に成立した初代ウィルミントン伯爵 スペンサー・コンプトン の内閣を実質的に主導したが、その次のペラム 内閣下で議会の批判を受けて失脚した。彼の母グレイス・カートレット (1654–1744) は、1715年 1月1日 に実家バース伯爵 (英語版 ) グランヴィル家の家名に由来するグランヴィル女伯爵 (Countess Granville)、および結婚後の家名に由来するカートレット女子爵 (Viscountess Carteret)に叙されており(いずれもグレートブリテン貴族 爵位)[ 5] 、1744年 10月18日 に彼女が死去するとこれらの爵位もジョン・カートレットが継承したため、以降カートレット男爵位はグランヴィル伯爵位の従属爵位となった[ 6] [ 7]
その息子である3代グランヴィル伯ロバート・カートレット (1721–1776) には子供がなく、彼の死とともにグランヴィル伯位以下全保有爵位が消滅した[ 8] 。
ルーソン=ゴア家
外務大臣 を務めた第2代グランヴィル伯爵グランヴィル・ジョージ・ルーソン=ゴア
初代スタッフォード侯爵 グランヴィル・ルーソン=ゴア の末子で外交官のグランヴィル・ルーソン=ゴア (1773–1846) は、1814年 8月12日 に連合王国貴族 爵位スタッフォード州のストーンパークのグランヴィル子爵 (Viscount Granville, of Stone Park in the County of Stafford) に叙せられた。さらに1833年 5月10日 にはグランヴィル伯爵 とスタッフォード州のストーンのルーソン男爵 (Baron Leveson, of Stone in the County of Stafford) に叙せられた[ 9] [ 10] 。これが現存する2期目のグランヴィル伯爵位である。
第1期の初代グランヴィル女伯爵グレイス・カートレットの父である初代バース伯爵 (英語版 ) ジョン・グランヴィル (英語版 ) の娘の一人ジェーン(1653–1696) は4代準男爵サー・ウィリアム・ルーソン=ゴア (英語版 ) (1647頃–1691) に嫁いでおり[ 11] 、2期目のグランヴィル伯爵に叙されたグランヴィル・ルーソン=ゴアはその子孫にあたるという関係だった。
初代伯の死後、その息子のグランヴィル・ジョージ・ルーソン=ゴア (1815–1891) が2代伯を継承した。彼は自由党 の政治家として外務大臣 などの閣僚職を歴任した[ 12] 。
その息子である3代伯グランヴィル・ジョージ・ルーソン=ゴア (英語版 ) (1872–1939) は、外交官として欧州各国の大使を歴任した[ 10] 。
3代伯には男子がなかったため、彼の死後は弟のウィリアム・スペンサー・ルーソン=ゴア (英語版 ) (1880–1953) が4代伯を継承した。彼は海軍中将(Vice-Admiral)まで昇進した王立海軍 の軍人であり、晩年には北アイルランド総督 やマン島総督も務めた[ 10] [ 13] 。4代伯の夫人ローズ (英語版 ) は、ジョージ6世 后のエリザベス の実姉である。
4代伯の死後はその息子ジョージ・ジェイムズ・ルーソン=ゴア (1918–1996) が5代伯を継承し、5代伯の死後はその息子グランヴィル・ジョージ・ファーガス・ルーソン・ゴア (1959-) が6代伯を継承した。2017年現在の当主も彼である[ 10] 。
伯爵家のモットー は、『私を粉砕することはできても、私の意思を曲げることはできない(Frangas Non Flectes) 』[ 10] 。
現当主の保有爵位
現在の当主ファーガス・ルーソン・ゴア は以下の爵位を保有している[ 10] [ 14] 。
第6代グランヴィル伯爵 (6th Earl Granville)
(1833年 5月10日 の勅許状 による連合王国貴族 爵位)
スタッフォード州のストーンパークの第6代グランヴィル子爵 (6th Viscount Granville, of Stone Park in the County of Stafford)
(1815年 8月12日 の勅許状による連合王国貴族爵位)
スタッフォード州のストーンの第6代ルーソン男爵 (6th Baron Leveson, of Stone in the County of Stafford)
(1833年5月10日の勅許状による連合王国貴族爵位。法定推定相続人 の儀礼称号 )
当主一覧
Meteschesの準男爵 (1645年)
カートレット男爵 (1681年)
グランヴィル伯 第1期 (1715年)
グランヴィル伯 第2期 (1833年)
脚注
^ a b Chisholm, Hugh , ed. (1911). "Carteret, Sir George" . Encyclopædia Britannica (英語) (11th ed.). Cambridge University Press.
^ Lundy, Darryl. “Sir George de Carteret, 1st Bt. ” (英語). thepeerage.com . 2015年8月12日 閲覧。
^ Lundy, Darryl. “George Carteret, 1st Baron Carteret of Hawnes ” (英語). thepeerage.com . 2015年8月12日 閲覧。
^ Lundy, Darryl. “Grace Granville, Countess Granville ” (英語). thepeerage.com . 2015年8月12日 閲覧。
^ Lundy, Darryl. “John Carteret, 2nd Earl Granville ” (英語). thepeerage.com . 2015年8月12日 閲覧。
^ Heraldic Media Limited. “Granville, Earl (GB, 1715 - 1776) ” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage . 2017年10月26日 閲覧。
^ Lundy, Darryl. “Robert Carteret, 3rd Earl Granville ” (英語). thepeerage.com . 2015年8月12日 閲覧。
^ Lundy, Darryl. “Granville Leveson-Gower, 1st Earl Granville ” (英語). thepeerage.com . 2015年8月12日 閲覧。
^ a b c d e f Heraldic Media Limited. “Granville, Earl (UK, 1833) ” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage . 2017年10月26日 閲覧。
^ Lundy, Darryl. “Lady Jane Granville ” (英語). thepeerage.com . 2017年12月1日 閲覧。
^ Lundy, Darryl. “Granville George Leveson-Gower, 2nd Earl Granville ” (英語). thepeerage.com . 2015年8月12日 閲覧。
^ Lundy, Darryl. “Vice-Admiral William Spencer Leveson-Gower, 4th Earl Granville ” (英語). thepeerage.com . 2017年12月1日 閲覧。
^ Lundy, Darryl. “Granville George Fergus Leveson-Gower, 6th Earl Granville ” (英語). thepeerage.com . 2017年12月1日 閲覧。
参考文献
関連項目