クリケット級沿岸駆逐艦(英語: Cricket-class coastal destroyer)は、イギリス海軍の沿岸駆逐艦の艦級。就役直後に1等水雷艇に種別変更された[1]。
設計
第一海軍卿ジョン・アーバスノット・フィッシャー大将は、トライバル級(後のF級)を補完する戦力として、沿岸駆逐艦の整備を提案した。これに基づき、1905年末に12隻、1906年には更に12隻が発注された。主機は3段式の蒸気タービン、ボイラーは重油専焼式である。艦型・兵装ともに、TB.98級水雷艇の後期建造型と同等であった。艦容は多彩だが、2本煙突であることと、3番魚雷発射管が艦尾に配されている点は共通である[1]。
ただし1906年、最初期に建造された「クリケット」「ドラゴンフライ」の海上公試の結果、外洋での作戦行動には強度不足と判断され、1等水雷艇に種別変更された。このため、後期建造分12隻には艦名が付与されず、水雷艇としての番号のみとなった[1]。
同型艦一覧
計画 |
艦名 |
# |
造船所 |
進水 |
解体/売却
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1905-6年度
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クリケット HMS Cricket |
TB 1
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ホワイト
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1906年1月23日 |
1920年
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ドラゴンフライ HMS Dragonfly |
TB 2
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1906年3月11日
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ファイアフライ HMS Firefly |
TB 3
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1906年9月1日
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サンドフライ HMS Sandfly |
TB 4
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1906年10月30日
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スパイダー HMS Spider |
TB 5
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1906年12月15日
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ガドフライ HMS Gadfly |
TB 6
|
ソーニクロフト
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1906年6月24日
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グローワーム HMS Glowworm |
TB 7
|
1906年12月20日 |
1921年5月
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ナット HMS Gnat |
TB 8
|
1906年12月1日
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グラスホッパー HMS Grasshopper |
TB 9
|
1907年3月18日 |
1916年7月、衝突事故により沈没
|
グリーンフライ HMS Greenfly |
TB 10
|
1907年2月15日 |
1915年6月10日 戦没
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メイフライ HMS Mayfly |
TB 11
|
ヤーロウ
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1907年1月29日 |
1916年3月7日 戦没
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モス HMS Moth |
TB 12
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1907年3月15日 |
1916年1月、衝突事故により沈没
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1906-7年度
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命名なし
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TB 13
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ホワイト
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1907年7月10日 |
1916年1月、衝突事故により沈没
|
TB 14
|
1907年9月26日 |
1920年10月
|
TB 15
|
1907年11月19日 |
1920年10月
|
TB 16
|
1907年12月23日 |
1921年1月
|
TB 17
|
デニー
|
1907年12月21日 |
1919年
|
TB 18
|
1908年2月15日 |
1920年
|
TB 19
|
ソーニクロフト
|
1907年12月7日 |
1921年
|
TB 20
|
1908年1月21日 |
1921年
|
TB 21
|
ホーソン
|
1907年12月20日 |
1920年10月
|
TB 22
|
1908年2月1日 |
1920年10月
|
TB 23
|
ヤーロウ
|
1907年12月5日 |
1921年
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TB 24
|
パルマーズ
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1908年3月19日 |
1917年1月、遭難・沈没
|
1906-7年度
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TB 25
|
ホワイト
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1908年8月28日 |
1921年5月
|
TB 26
|
TB 27
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1908年9月29日
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TB 28
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1908年10月29日
|
TB 29
|
デニー
|
1908年9月29日 |
1919年11月
|
TB 30
|
TB 31
|
ソーニクロフト
|
1908年10月10日 |
1921年5月
|
TB 32 |
1908年11月23日
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TB 33 |
ホーソン
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1909年2月22日 |
1922年8月
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TB 34
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1921年5月
|
TB 35 |
パルマーズ
|
1909年4月19日 |
1922年8月
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TB 36
|
1909年5月6日 |
1921年5月
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参考文献
関連項目
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×は退役艦級・△は未成艦級・{ }は将来艦級・国旗は建造国 |
揺籃期 |
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WW1期 |
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戦間期 |
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WW2期 |
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WW2後 |
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