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この項目では、1976年生まれのサッカー選手について説明しています。その他の用法については「エメルソン」をご覧ください。 |
エメルソン・フェレイラ・ダ・ローザ(Émerson Ferreira da Rosa、1976年4月4日 - )は、ブラジル・リオグランデ・ド・スル州ベロタス出身の元同国代表サッカー選手。ポジションはMF。
クラブ経歴
グレミオの下部組織を経て、1994年にトップチームデビューを果たした[1]。2度のリオ・グランデ・ド・スル州選手権、コパ・リベルタドーレスなどの制覇に貢献し、1996年、レコパ・スダメリカーナ、全国選手権等の優勝の原動力となって名を挙げた[1]。
1997年、ヨーロッパの7クラブからオファーを受けたが、バイエル・レバークーゼンへ移籍[1]。まだ21歳であったが、移籍後すぐにレギュラーの座を掴むと1999-00シーズンは5得点、10アシストの成績を記録し、チームは優勝争いも繰り広げた。レバークーゼンではレギュラーとして3シーズンを過ごし、108試合で15得点を挙げた[1]。
2000-01シーズン、20万ーロでASローマへ移籍[1]。しかし、移籍直後のトレーニングで左膝十字靭帯を傷め約6ヵ月の離脱を余儀なくされた[1]。2001年1月28日のナポリ戦でようやく公式戦デビューを果たした[1]。以降、チームの中心選手の一人としてリーグ優勝に貢献した[1]。その後も2004年まで在籍した。
2004-05シーズンにそのカペッロ監督がローマからユヴェントスに移籍すると、フロントにエメルソン獲得を要求、多少契約時に問題が発生したが、結局2800万ユーロ(約37億5000万円)の移籍金でユヴェントスに移籍[1]。これまで支持を集めてきたローマファンたちからは、裏切り者と言われ罵倒されるなどもあった[1]。ユヴェントスでもレベルの高いプレーを見せ、2度のリーグ優勝に貢献した[1]。カルチョスキャンダルにより優勝が取り消され、チームのセリエB降格が決まると、カペッロと共にレアルマドリードへと移籍することとなる[1]。
2006年7月19日、ユヴェントスからチームメイトのDFファビオ・カンナヴァーロと共にレアル・マドリードへの移籍が発表された[2]。しかし思うような結果を出せず、推定500万ユーロ(約7億6900万)でACミランへと移籍する事となった[3]。しかしながら、レギュラーポジションを掴み取ることはできず、2009年4月に両者の合意の下契約を解除。同年7月にサントスFCへの加入が発表されたが、膝の怪我で殆どプレー出来ず、僅か3ヵ月で契約を解除した[1]。2010年3月に33歳で現役を引退した。
その後、アマチュアのクラブであったが、マイアミ・デイドでもプレーしていた。
代表経歴
ブラジルU-20代表を経て、1997年9月10日にエクアドル戦でフル代表デビュー[1]。1998年のワールドカップ・フランス大会のメンバー入りを果たし、2試合に起用された[1]。
2002年、ワールドカップ・日韓大会時にはレギュラークラスの選手であったが、直前に練習のレクリエーションでゴールキーパーを務めた際、リバウドのシュートを止めようとして肩を脱臼してしまい、本大会のメンバーから外れた[4]。
2006年のワールドカップ・ドイツ大会のメンバーにも選出され、決勝トーナメント1回戦のガーナ戦が代表最後の試合となった[1]。
脚注
外部リンク