『バニティ・フェア 』1881年4月9日号におけるカリカチュア 、カルロ・ペリグリーニ 画。
第3代エクセター侯爵 ウィリアム・アレイン・セシル (William Alleyne Cecil, 3rd Marquess of Exeter PC 、1825年 4月30日 – 1895年 7月14日 )は、イギリス の貴族、保守党 の政治家。庶民院 議員、王室会計長官 (英語版 ) 、儀仗衛士隊隊長 を務めた[ 1] 。
生涯
第2代エクセター侯爵ブラウンロー・セシル と妻イザベラ (英語版 ) (1803年2月6日 – 1879年3月6日、ウィリアム・スティーブン・ポインツ (英語版 ) の娘)の息子として、1825年4月30日にコノート・プレイス (英語版 ) で生まれた[ 1] 。1839年から1843年までイートン・カレッジ で教育を受けた後[ 1] 、1844年6月27日にケンブリッジ大学 セント・ジョンズ・カレッジ に入学、1847年にM.A. の学位を修得した[ 2] 。
1847年イギリス総選挙 で保守党 候補としてサウス・リンカンシャー選挙区 (英語版 ) から出馬、無投票で庶民院 議員に当選した[ 3] 。1852年イギリス総選挙 でも無投票で再選した[ 3] 。1857年イギリス総選挙 でノース・ノーサンプトンシャー選挙区 (英語版 ) に鞍替えして無投票で当選、1859年イギリス総選挙 では1,849票(得票数1位)、1865年イギリス総選挙 では無投票で再選した[ 4] 。
1845年11月26日にノーサンプトン民兵連隊の少佐に任命され[ 5] 、1846年1月7日に中佐(副隊長)に昇進した[ 6] 。1854年6月24日、ノーサンプトンシャー の副統監 に任命された[ 7] 。1860年12月21日、民兵隊におけるヴィクトリア女王 のエー=ド=カン (英語版 ) (副官)に任命され[ 8] 、1895年まで務めた[ 1] 。
第3次ダービー伯爵内閣 において、1866年7月10日に枢密顧問官 [ 9] 、王室会計長官 (英語版 ) に任命された[ 10] 。1867年1月16日に父が死去すると、エクセター侯爵 位を継承した[ 1] 。同年2月に王室会計長官を辞任[ 11] 、3月20日に儀仗衛士隊隊長 に任命された[ 12] 。続く第1次ディズレーリ内閣 で続投し、内閣が倒れると1868年12月に辞任した[ 13] 。第2次ディズレーリ内閣 では1874年3月2日に儀仗衛士隊隊長に任命され[ 14] 、1875年2月に辞任した[ 15] 。
1883年時点でノーサンプトンシャー に15,625エーカー 、ラトランド に8,998エーカー、リンカンシャー に3,095エーカー、レスターシャー に553エーカーの領地を所有し、合計で年収49,044ポンド に相当した[ 1] 。このほか、ロンドン のストランド にも不動産を所有した[ 1] 。
スタンフォード・バロン・セント・マーティン (英語版 ) の教会にある第4代エクセター侯爵の記念碑、2023年撮影。
1895年7月14日にバーリー・ハウス (英語版 ) で死去、長男ブラウンロー・ヘンリー・ジョージ が爵位を継承した[ 1] 。
家族
エクセター侯爵夫人ジョージアナ・ソフィア
1848年10月17日、ジョージアナ・ソフィア・パケナム(Georgiana Sophia Packenham 、1827年10月11日 – 1909年3月26日、第2代ロングフォード伯爵トマス・パケナム の娘)と結婚[ 1] 、4男6女をもうけた[ 16] [ 17] 。
出典
^ a b c d e f g h i j Cokayne, George Edward ; Gibbs, Vicary ; Doubleday, H. Arthur, eds. (1926). The Complete Peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Eardley of Spalding to Goojerat) (英語). Vol. 5 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 223–224.
^ "Cecil, William Alleyne (Lord Burghley). (CCL844WA)" . A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
^ a b Craig, F. W. S. (1977). British Parliamentary Election Results 1832–1885 (英語). London: Macmillan Press. p. 419. ISBN 978-1-349-02349-3 。
^ Craig, F. W. S. (1977). British Parliamentary Election Results 1832–1885 (英語). London: Macmillan Press. p. 431. ISBN 978-1-349-02349-3 。
^ "No. 20548" . The London Gazette (英語). 5 December 1845. p. 7080.
^ "No. 20560" . The London Gazette (英語). 13 January 1846. p. 126.
^ "No. 21568" . The London Gazette (英語). 4 July 1854. p. 2080.
^ "No. 22462" . The London Gazette (英語). 21 December 1860. p. 5148.
^ "No. 23137" . The London Gazette (英語). 13 July 1866. p. 3983.
^ "No. 23137" . The London Gazette (英語). 13 July 1866. p. 3984.
^ "No. 23228" . The London Gazette (英語). 8 March 1867. p. 1596.
^ "No. 23247" . The London Gazette (英語). 3 May 1867. p. 2583.
^ "No. 23450" . The London Gazette (英語). 15 December 1868. p. 6654.
^ "No. 24701" . The London Gazette (英語). 3 March 1874. p. 1452.
^ "No. 24179" . The London Gazette (英語). 9 February 1875. p. 547.
^ a b c d e f g Lodge, Edmund , ed. (1902). The Peerage and Baronetage of the British Empire as at Present Existing (英語) (71st ed.). London: Hurst and Blackett. p. 275.
^ a b c d e Burke, Sir Bernard ; Burke, Ashworth Peter, eds. (1934). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, The Privy Council, and Knightage (英語). Vol. 1 (92nd ed.). London: Burke's Peerage, Ltd. p. 931.
^ a b c d Mosley, Charles , ed. (2003). Burke’s Peerage, Baronetage & Knightage Clan Chiefs Scottish Feudal Barons (英語). Vol. 1 (107th ed.). London: Burke's Peerage Limited. p. 1364. ISBN 978-0-97119662-9 。
外部リンク